第4話「決戦」
「はぁっ!」
気炎万丈に、エンジュの槌が振り下ろされる。
しかしそれは軽やかな身のこなしで避けられ、空を切って大地を穿つに至る。
「……?」
何かが引っかかるが、今は追いつくことが先決だった。
僕は腐葉土を蹴飛ばして先を急ぐ。
視線の先では、咆哮と咆哮が重なり、巨腕と巨槌が入り乱れていた。
超重量の塊を巧みに操り、時にその慣性すら利用するエンジュの乱舞は、想像に反してとても軽やかな動きだった。対する魔熊も負けてはいない。全身を包む強靱な筋肉は、驚くほどに機敏な動きを実現して見せる。
いくつもの死線をくぐり抜けてきた歴戦の猛者なのだろう。エンジュの攻撃を見切り、巨体をくねらせそれを避ける。
「エンジュ!」
ようやく追いついた僕は、必死に呼吸を整えて考え、そして側にいたシルフィに指示を出す。
突風が落ち葉を巻き上げる。空気の塊となって射出されたそれは、視界の外から巨熊の横腹を強打する。熊の肺を圧迫したか、その顎の隙間から空気が吹き出す。
爛々と光る赤い目がこちらに向けられる。初めて感じる魔物の威圧に、僕の足は竦む。圧倒的な強者の覇気に押しつぶされ、指先すら動かせない。
だけど、
「らぁぁあああっ!」
私を忘れるなと、エンジュの鉄槌が熊の横顔を殴打する。
全霊の力を込めた一撃が、熊の視界を揺らす。
空を引き裂くような悲鳴が、森を揺らす。
頭部は、ほぼ例外なく全ての生物の弱点だ。しかも打撃の戦槌は、斬撃の剣とは違い、その奥深くにまでダメージを押し込む。
熊の巨体がぐらりと揺れる。
その時、僕は重大な事実にようやく気が付いた。
「エンジュ! その熊、左腕が!」
その言葉で彼女も気が付いたらしい、咄嗟に視線を太い前足に向ける。
巨躯を揺らした魔熊は、負傷しているはずの左前足で大地を掴み、その重量を支えた。
「そんな、もう回復したのか!?」
「違う。そうじゃない……。その熊は――」
僕の言葉を遮り、熊の咆哮が大気を揺らす。
だがそれは目の前の熊のものではない。
僕の背後から、怒り狂った吐息が空気を焼く。
「リューク!」
シルフィの突風が僕の体を突き飛ばす。
回転する天地に、二頭の巨熊が立っていた。
「夫婦か!」
左前足を大きく腫らした熊が、朦朧とするもう一頭へと駆け寄る。
隣り合っても、その外見はとてもよく似ていて、腕を見なければ見分けが付かない。
「転移魔法なんていう小技じゃない。高度な連携を取った狩りだったのか!」
舌打ちをして、エンジュは槌を構え直す。
一頭でも脅威だった魔熊は、実は二頭だった。どう考えても、獲物は僕らの方だ。
片方が姿を現すとき、もう片方は巧みに姿を隠していたのだろう。そうして獲物の注目を攪乱させ、隙を作る。とても獣とは思えない、賢い狩猟だ。
「くっ」
どちらかに槌を向ければ、どちらかがその隙を突く。
エンジュは明らかな窮地に立たされていた。
だけど、二人なのは熊だけではない。
「《解放》!」
虚空に現れた黒い穴に躊躇なく手を突っ込む。
掴むのは、小さな石ころ。
黒々としたそれを、白い杖に打ち付ける。
「顕現せよ、サラマンダー!」
キーワードの発声と同時に、望むだけの魔力を注ぎ込む。
小さな火花は魔力を吸い込み、巨大な炎へと成長する。
それは蛇のように体をくねらせ、空をぐるぐると螺旋を描きながら駆け上る。
「エンジュの援護を頼む!」
『――!!』
僕の要請に応えるように、火精霊は声なき雄叫びを上げる。
空を滑るようにして巨熊へと向かったサラマンダーは、その長い体を赤黒い毛皮に巻き付ける。
灼熱の炎が肉を焦がし、魔獣が雄叫びを上げる。
小さな火種、火の気より水の気の方が強い森の中。とてもではないが長時間彼を権限させ続けることはできない。サラマンダーは魔熊の剛毛を焦がすと、溶けるように消えていく。
けれど、それで十分だった。エンジュは地を蹴り、もう一方の熊へと肉薄する。
ドン、と鈍い衝撃音が響き、熊の横腹を殴りつける。
魔獣の強固な肋骨にひびが入る。
「シルフィ!」
精霊任せで傍観するほど、僕も暇ではない。
シルフィに指示を出す。
顕現している状態の精霊たちは、魔獣の攻撃で傷つくこともある。
シルフィが風を巻き起こし、熊を怯ませる。そこへすかさずエンジュが懐に潜り込み、破壊力の鎚を叩き込む。
二人の連携は密で、凶暴な魔獣でさえ翻弄してみせた。
「リューク!」
エンジュの声に振り向く。
そこには、地に伏し目の光を失った魔熊と、その上に立つ彼女の姿があった。
「エンジュ、倒したの!?」
「体力も万全だったからな。逃げに徹されなければ倒せる」
「じゃ、こっちも頼めるかな?」
「任された!」
エンジュは鉄槌を担ぎ直すと、魔熊の上から跳躍する。
「はあっ!」
鋭い声と共に、懇親の一撃が魔熊の眉間に叩き込まれる。
頭蓋を粉砕し、なおも勢いを緩めず、鉄の塊は衝撃を打ち込んでいく。
圧倒的な重量によって、顎まで粉砕され、巨熊は一瞬にして骸となった。
「――ふぅ」
重い音を立てて槌を地面に置き、エンジュは額の汗を拭う。
僕はシルフィに引き続き周囲の警戒を指示した。
激闘の後の静寂が、広場を包み込んでいた。
「なんとか、終わったな」
「終わりましたね」
三体目が出てくる様子はなく、エンジュはその場にどっかりと腰を下ろした。
「とっても強いんですね」
「まあ、私は一人で活動しているしな」
思わず飛び出た言葉に、エンジュは複雑な笑みを浮かべて答える。
そこでようやく、僕は彼女もまた一人であることに気が付いた。
「そういえば。どうして――」
「鬼人族だからさ」
僕の疑問に、エンジュは自嘲気味に目を逸らして答える。
その意味が分からないでいると、彼女は更に言葉を続けた。
「鬼人族は、燃費が悪い。依頼を達成しても、そのほとんどは食費に消える」
「あっ――」
そこまで聞いて、ようやく僕も気が付いた。
パーティで行動すれば、当然依頼の報酬金は人数で割られる。そうすれば、彼女の食費は足りなくなり、結果的に傭兵は続けられない。
「一人なら、報酬金は総取りだ。二人で割ったとしても、私に必要な食費を抜けば、微々たる金額しか残らない」
彼女もまた、経験があるのだろう。
その顔には見覚えのある翳りがあった。
しかし、僕は彼女に言葉を投げかける。
「知ってますか? 精霊術師ってお金がかからないんですよ」
「……は?」
きょとんと、エンジュが間抜けな顔で僕を見上げる。
「普通、魔法使いはとてもお金が掛かります。一つ魔法を使う度に高価な触媒を消費しますし、魔法力を上げるために高価な素材を使った装飾品を身につけないといけません」
思い出すのは、昼間に出会った治癒術師の少女。
彼女の首もとにあった聖印の首飾りは、聖銀と魔石が惜しみなく使われた高級な代物だ。ローブも教会の織女が作った特別製なので、安くはない。
自身の魔力の純度を上げ、その上で量も多く要求する魔法使いは、それらを底上げするために実に様々な装備を調える必要があった。
「けれど、精霊術師は違います。必要なのは、自分の魔力だけ。後は自然が触媒になります」
精霊術師が敬遠される理由の一つ。魔法を使う、すなわち精霊を呼び出す為には、それぞれの精霊に応じた自然を用意しなければならないこと。それは見方を変えれば、環境さえあれば自身で触媒を消費する必要がないということだ。
「それに、僕にはギフトがあります。いくらでも荷物が持てる、優秀なギフトが」
そう言って、僕は小山ほどもある二頭の熊を見上げる。
「普通なら持ち帰れないような巨大な魔物の素材だって、余すことなく持ち帰れますね」
普通、ギルドの依頼で討伐した魔獣の全てを持ち帰ることはできない。それは、単純に荷物としてかさばり、重量的に非現実的だからだ。
だけど僕なら、それをまるまる解決できる。
普通なら、泣く泣く捨てなければならない魔獣の素材も持ち帰り、換金することができる。
「どうでしょう、エンジュ。とてもいいとは思いませんか?」
そう言って、エンジュの橙色の瞳をのぞき込む。
暫く唖然としていた彼女は、はっと正気に戻って狼狽える。
「いや、そんな……。でも……」
きゅぅ、と不意に彼女の腹の虫が声を上げる。
エンジュは恥ずかしそうに下腹部を押さえ頬を朱に染めた。
「それに、僕は沢山食べ物を持っておけます」
そう言って、僕は収納箱の中から瑞々しい果物を一つ取り出す。
僕は《収納箱》の中に、生活に必要な荷物を全て放り込んでいる。当然、食料もそれなりの蓄えがあった。
「……ありがとう」
エンジュは伏せ目がちに、しかしはっきりとそう言って、果物を受け取る。
シャクリと小気味のいい音を立てて、彼女の鋭い歯が果肉を削る。瞬く間に、大きな果実は彼女のおなかに収まってしまう。
「……リューク!」
彼女は口を拭い、突然立ち上がる。
きっと眉を寄せ、鋭い視線が僕を射抜く。
「これからも、よろしく頼む」
そう言って差し出されるのは、とてもあの巨槌を持っていたとは思えないほどに細い手。
僕は今度こそ、しっかりとその手を握り返した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
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