第2話「鬼人族の女傭兵」

 僕が住むサルドレットという町の側に、小さな森がある。ちゃんとした地図にはミモザの森という正式な名前が記されてはいるけれど、町の住民たちからは単に森とだけ呼ばれている。


 小さいとは言え森は森であり、そこは人里とは隔離された一種の別世界だ。鬱蒼と茂る木々の陰では、凶暴な魔獣達が牙を研ぎながら獲物が迷い込むのを待ち構えている。


 いかに豊かな山の幸にあふれているとはいえ、何の武器も能力を持たない一般人が気軽に足を踏み入れられるほど優しい土地ではない。


 だからこそ、僕のような傭兵に依頼が出され、需要が生まれるのだ。


「はぁ、また一人で薬草採集か」


 一般人には危険とはいえ、傭兵の世界で言えば駆け出しの為の簡単な依頼。それが僕の受注した薬草採集依頼の位置付けだった。


 ギフトのおかげで身軽な僕は、ギルドを出たその足で町を抜け、森へと続く道を歩いていた。


 傭兵と言えば魔獣狩り。それは世間一般の常識であり、僕もそう思ってこの世界に飛び込んだ。しかし魔獣狩りという危険な依頼を受けるには、よほどの実力がない限り二人以上のパーティを組むことが原則だ。それはただでさえ高い傭兵の死亡率を可能な限り下げるため、ギルドが奨励していることでもある。


 そんなパーティを組むこともできない僕には、こうして簡単な薬草採集の依頼をこなして日銭を稼ぐことしかできなかった。


「とはいえ、森もなんだか不穏みたいだし気をつけないと」


 僕は頬を叩き、落ち込んでいた気分を上げ直す。薬草採集とはいえ、気を張らなければ大怪我だってあり得る。魔獣と鉢合わせないように、万全の準備を画さなければ。


「顕現せよ、シルフィー」


 杖を構え、内蔵された魔術回路に魔力を注ぐ。

 精霊杖の先端に埋め込まれた四つの魔宝石のうちの一つ、緑色の石が淡く光を放つ。


 術式が展開され、薄い緑の魔法陣が杖を中心にして拡散する。魔方陣はクルクルと回転をしながら、二層、三層と数を増やして重なっていく。


 陣を構成する複雑な精霊文字と精霊紋の描かれた精緻な記号群は、魔宝石に封じられた精霊を呼び起こすための術式だ。


 魔法陣はなめらかな回転と共に光を強め、やがて収束する。

 次の瞬間、僕の目の前に浮遊する小さな光が現れた。


「今日もよろしく。いつものように見張りを頼むよ」


 淡い緑色の光は次第に人型を取ると、僕の言葉に応えてコクリと頷いた。

 僕の扱う精霊術は、その名の通り精霊を扱う術だ。


 精霊とは、自然の隣人。自然を司り、その調和を担う種族。濃密な魔力の集合体でもあり、それゆえに自然に対して強力な干渉力を持ち合わせる。だからこそ、精霊は人間はおろかエルフですら到達し得ない魔法の領域へと踏み込むことができる。


「いつも通り、報酬は魔力でいいかい?」


 とはいえ、精霊術は召喚術とは系統がまるっきり異なる技術だ。


 精霊を強制的に使役するのではなく、良き友人としてその力を借りる術であることは、あまり知られていない。精霊使役術ではなく、精霊契約術だとは、僕の師匠のよく言う言葉だ。


 それ故に精霊術の出力は精霊の気分次第という面があり、不安定さが否めない。そこが、精霊術師が敬遠される一因なのだ。


 僕の提示した契約に、シルフィーは再度コクリと頷く。

 シルフィーは風を司る精霊で、普段は不可視の存在として気ままに空を飛び回っている。


 少し気分屋なところが玉にきずではあるけれど、火の精霊や水の精霊ほど場所を選ばず、土の精霊より機敏に動けるという利点があった。


「それじゃ、よろしく頼むよ」


 そう言って僕が歩き出すと、シルフィーはふよふよと宙を浮かんで僕の周囲を飛び回る。彼女が周囲を警戒してくれれば、死角がなくなり、突然の襲撃もなくなる。安心して採集に専念できるというものだ。


 森に入ると、日差しは生い茂る木々の枝葉に遮られ、途端に薄暗くなる。魔力を見る精霊にはそのあたりが関係ないというのも、精霊術の利点だろう。


「あったあった」


 森を歩けば、すぐに見慣れた濃い緑色の草を見つける。

 今回の依頼の内容でもある、薬草だ。正式な名前はまた別にあるのだけれど、広く分布していて薬品に多用されているせいで、単に薬草というだけで通じてしまう。


 僕は薬草を引き抜いたナイフで切り取り、丁寧に土を落として柔らかな布にくるんだ。


「《解放》」


 力を込めた言葉を口にする。

 途端に空気がゆがみ、ぱっくりと丸い口が開く。

 その奥は光を通さず、塗りつぶしたような闇があるだけだ。

 そこへ薬草を入れる。


「《封印》」


 再度キーワードを発すれば、音もなく口は閉じる。

 肩の後ろから、シルフィーが興味深そうにその様子を見ているのが分かった。元来、風妖精は好奇心が旺盛な種族で、様々なことを知りたがる。


「これはギフトだよ。《収納箱》って言うんだ」


 精霊の頭を指先で撫でながら、なんとはなく説明する。この子とも長い付き合いだし、もう知っているとは思うけれど。


 ギフトは、一見すると魔法のようだけれど、その実魔法とはまた別の系統のものだ。別名、神々の贈り物とも言い、種族を問わず遍く全ての人が生まれながらにして持ち合わせる、一つだけの能力。


 その種類は実に様々で、身体能力を強化する戦闘系統から、魔力を見透かす魔眼、中には時間すら停止させる強力なものまで。効果や代償、あらゆる面に於いて千差万別な多様性を見せる。


「……魔力増強とかなら、もっと使えたんだけどね」


 《収納箱》は、僕だけが干渉できる異空間への扉を開閉するギフトだ。未だに容量の限界は分からないけれど、これのおかげで僕は沢山の荷物を手ぶらにして持ち運ぶことができる。


 傭兵活動に限らず便利ではあるんだけれど、やっぱり身体能力強化などの花形能力と比べると地味だ。職業的に戦闘力の求められる傭兵稼業では、どうしても見劣りする。


「ふふ、慰めてくれるの?」


 ぐりぐりと頭を押しつけてくるシルフィに、思わず笑みがこぼれる。

 落ち込みかけた気持ちを取り直し、僕は次の薬草を探して立ち上がる。

 生命力だけは強靱な薬草は、探せば至る所に生えている。

 この日も、小一時間ほどで順調に依頼数の半分程度を集めることができた。


「うん、いい感じだね」


 布に包み薬草を《収納箱》へ納め、息をつく。

 この調子なら、日が落ちる前にサルドレットの門を潜れるだろう。

 ズボンの膝に付いた土を払い、肩を軽く回す。


「うん?」


 その時、つんつんとわき腹を刺される。

 視線を向ければ、シルフィーが細い指をのばしてこちらを見ていた。


「どうしたんだい?」


 尋ねる僕に向かって、シルフィは大きく手を振る。

 それは、魔獣が近づいてくる時の合図だった。

 僕は慌てて杖を握り、隠れられそうな場所を探す。


「だめだ。細い木しかない」


 木々の乱立する森の中とはいえ、一本一本は細く、僕の体ではどうしてもはみ出してしまうだろう。


 未だ魔獣の影は見えないが、隠れられる場所もない。


「仕方がない。戻ろう」


 僕はシルフィーにそう言って駆け出す。


「危険になったら帰って良いからね。先に魔力は渡しておくよ」


 町に帰ってから渡す予定だった、報酬の魔力を先にシルフィーへと注ぐ。魔宝石の中に戻ってしまえば、それが砕かれない限り精霊は無敵だ。


 シルフィーはうれしそうに体を震わせた後、しかし魔宝石には戻らず僕の側を併走してくれた。どうやら、付き合ってくれるらしい。


「せめてどんな魔獣か分かれば……」


 思わず口から漏れた言葉に、シルフィーがしょんぼりと肩を落とす。


 精霊は人語を解するけれど、話せるわけではない。それは仕方のないことで、僕ら精霊術師がその意思を汲み取る役割を担う。


「シルフィーにはすごく助かってるから。ありがとうね」


 彼女の頭をそっと撫でて慰める。

 その間にも視線を忙しなく動かして、何か動くものがないかを見張る。


「あれかっ!」


 そして、森の奥の暗がりに僕はそれを見つけた。

 驚くほどに巨大な影だ。

 それはとても興奮した様子で、もの凄い速度を伴って駆けてくる。

 走り方からして四足歩行の獣。赤く輝く眼光は、肉食獣の気迫がある。


「走るぞ!」


 ただの獣であれば、精霊になにも手出しができない。

 しかし魔獣となれば話は別で、精霊喰いと呼ばれるような魔獣も存在する。

 僕らは一斉に、その影から逃げ出す。

 仲間のいない僕にとって、あんな魔獣と戦う理由はない。今は逃げの一手あるのみだ。

 落ち葉を蹴散らし、枝を踏み折り、全力で逃げる。


「くっ!」


 一瞬ごとに地面を揺らすような足音が大きくなる。

 ちらりと後ろを見れば、その姿が鮮明に写る。


「魔熊ッ!?」


 数時間前の、リュカさんの忠告を思い出す。

 ミモザの森に最近住み着いた魔熊の存在。走っても逃げきれず、それどころかいつの間にか先回りされて――


『――ッ!』

「うわっ!?」


 後ろに迫る魔熊の姿に気を取られていると、精霊の言語化できない悲鳴が耳に飛び込む。

 慌てて前方へと視線を向けると、そこには見上げるほどの巨大な熊が立ちはだかっていた。


「なんっ」


 一瞬前まで、後方にいたはずの熊が、目の前にいる。

 慌てて足を伸ばして勢いを殺し、真横へ飛び込む。

 その刹那の判断が、僕の生死を分けた。

 丸太のような腕が地面を割り、土が弾ける。跳ね上がった小さな石の粒が腕を叩く。堆積した枯葉が舞い、鼻先を掠める。


「シルフィ!」


 緑色の人影を探す。

 幸い、彼女もまた瞬時に身を翻してその一撃を避けていたらしい。

 それを確かめた後に背後を見れば、先ほどまで追ってきていたはずの影は見えなくなっていた。

 その代わり、前方に立ちはだかる魔熊が、僕らを睥睨している。


「シルフィ、お願い!」


 僕の言葉に応じて、シルフィが風を巻き起こす。けれど、


「く、森の中じゃ出力が安定しないか」


 風は周囲に乱立する細い木々によって裂かれ、衰える。

 シルフィも頑張ってくれてはいるが、思うように風が巻き上がらない。


「目を狙って、そこだけでいいから、落ち葉を巻き上げて!」

『――ッ!』


 指示を出し、魔力を補給する。

 シルフィは良く意思をくみ取ってくれた。彼女は一度地面に降り立ち、その両手に落ち葉を抱える。そして飛翔し、迫る魔熊の鼻先を見定め、


『グモッ!?』

「逃げるよっ!」


 落ち葉が顔を覆い、熊が怯む。その瞬間を逃すわけにはいかなかった。

 シルフィに声を掛け、僕たちはまた逃げる。

 ブーツの隙間に土が入るのも構わず、死にものぐるいで足を動かす。

 視界を覆われ、怒り高ぶる熊の咆哮が背中を撫でる。離れていても、ビリビリとコートを揺らす。

 すでに平常は失われていた。

 僕は木々の隙間を縫って、ただ前を目指して進む。

 しかし、


「なんでっ!?」


 またしても、魔熊は僕たちの目の前に立ちはだかった。

 二本の後ろ足で悠然と立ちはだかり、荒い吐息を吹き出す。

 すでに体力は底を尽きかけていた。

 バクバクと脈打つ心臓を押さえ、周囲を見渡す。

 どこかに活路がないか、あらゆる可能性を模索する。


「くそ――」


 しかし、現実は無慈悲に突きつけられる。

 深い森の中。腐葉土は足にからみつき、体力を奪う。

 乱立する木々は障害でしかなく、相手にとっては庭のようなものだ。


「シルフィ」


 上着の中に隠れている精霊に声をかける。


「契約は完了だ。逃げて」


 その声をかき消すように、巨熊が吠える。

 大気を揺るがす咆哮に、思わず腕を上げて視界を覆う。

 しまったと思った時にはすでに何もかもが遅かった。

 急激に時間が緩慢になる。

 振り下ろされる太い筋肉の塊のその先に、黒光りする鋭い爪が伸びていた。

 赤黒い毛皮が靡き、鋭い牙の並んだ大きな顎が開かれる。

 短い人生だったと、どこか冷静に思いを馳せながら、僕は未だ逃げる様子のないシルフィを上着から押し出す。


「ハァァァッ!」


 人生の終焉を覚悟した時、しかしその未来は訪れなかった。

 獣の咆哮に横槍を入れるような、勇ましい女性の声が耳に飛び込む。

 振り上げられた熊の腕を、巨大な鉄塊が殴打する。

 筋が断裂する音が、毛皮の奥から届く。

 長い鮮やかな赤髪が、空を覆っていた。

 唖然とする僕の目の前で、熊が悲鳴を上げる。

 突然の闖入者によって与えられた一撃は、確かに魔獣に損傷を与えた。

 苛立った様子の熊は、しかし前足の一本を地に上げたまま、残りの三本を器用に繰って森の奥へと立ち去る。


「大丈夫か? 怪我はないか?」


 突如として現れたその女性は、身の丈ほどもある戦槌を腐葉土の上に放り出し、僕の方へと駆け寄る。深紅の長髪を一束に纏め、白い異国の服の上から体の要所だけを守る鎧を見つけた彼女は、心配そうに橙色の瞳を向けた。


「――あ、は、はい。あの、助かりました」


 しばらく言葉を忘れていた僕は、慌てて彼女にお礼を言う。

 そっと胸元に手を当てると、上着の下でシルフィがもぞもぞと動くのが分かった。

 ひとまず僕も彼女も無事で、ほっと胸をなで下ろす。


「そうか。それはよかった」


 僕の様子を見て、彼女もまた肩の力を抜く。

 その時になって初めて、僕は彼女の額から伸びる二本の小さな角を見つけた。


「……鬼人族?」


 それは、辺境の島国に存在する種族だった。


「うん? ああ、そうだよ。私は鬼人族さ。名前はエンジュだ」


 そう言って、彼女はそっと右手を差し出す。

 慌てて僕も手を交わし、再度感謝を述べる。彼女は口元に笑みを浮かべ、それに応じた。


 鬼人族は、人間とは比べものにならないほどの強靱な力を持つ種族だ。その高い戦闘能力から、優れた傭兵として名を馳せる者も多い。けれど、その代わり彼女らは――


「うぅ……」


 ぼんやりと考えていると、突然エンジュの体が揺らぐ。

 慌てて彼女の肩を掴むが、大柄な彼女を支えきれず、一緒になって落ち葉へと転がってしまう。

 まさか何処かに怪我をしているのではないか、と全身を眺めるが、血がにじんでいる様子はない。

 取り乱す僕に視線を向けて、彼女はかすかに唇を震わせる。


「ど、どうしたんですか!?」


 彼女の口元に耳を近づける。

 温かい吐息とともに、か細い声が鼓膜を揺らす。


「腹が、へった……」


 人間族など比にならないほどに圧倒的な身体能力を持つ、鬼人族。

 そんな彼女は、代償として途轍もなく燃費が悪かった。

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