第10話 第四層 レッサーオーク①
この感覚にもなんだか慣れてきた。
俺はゆっくりと瞼を開けた。
視界に闘技場の景色が広がる。この景色も見慣れてきた。
そして、これまた同じ様に、ガラガラガラと向かいの鉄柵が上がって───
ズシィィン!
「───!?」
重く・鈍い音が響き、軽く闘技場の砂が揺れる。な、何だ………?
ズシィィン! ズシィィン!
「ブルルルルゥゥ……」
「なっ……!?」
俺は言葉を見失った。
闘技場に姿を現したのは───
いや、本で読んだ限りじゃ、オークは三、四メートルあるって書いてあった。
でも、目の前のオークは二メートル程。つまりは、オーク
───レッサーオークか。
緑色の体皮・禿げた頭部、お粗末な動物の皮の腰巻───ここまではゴブリンと変わらない。
しかし、体型はまるで違う。出張った腹・筋肉質な腕と足・口から はみ出した二本の下犬歯───ゴブリンよりも凶悪なのが伝わってくる。腕には金のブレスレットが二個ずつ装着されているが、腕がぶっといせいか隙間無くピッタリとくっ付いている。
「ブルルルゥ……」
オークから感じる威圧は、これまでのモンスターの比では無かった。一人で
けど───。
「───っ」
俺は拳を握る。そうすると、俺の体が震えていた事が分かった。力を入れ、無理やり震えを止める。
殺る、殺る、殺る、殺る、殺る────
第二層の時から繰り返してきた自己暗示。
強烈な恐怖に
俺はもう、
剣を鞘から抜く。
「クゥブッルゥ……」
俺の抜刀に反応したのか、オークが訝しげな表情になった気がする。まるで、「この俺と一人で戦う気か?」とでも言われている様だ。
その通りだとも。俺は一人でお前と戦う気だ。─── 一人で、お前を殺る。
そもそも、ここには俺以外の人間はいない。人数もクソも無いのだ。一人で殺る以外、選択肢なんて無い。
その俺の意思が通じたのか、オークは「ブルル」と鼻息を荒くし、両腕は動かし始めた。
オークから感じる視線は鋭い。今にも襲いかかってきそうな勢いだ。
いや、実際に、襲いかかってくる寸前なのだろう。
───来る。
バァァァン!!
「───!?」
俺は目を剥く。すでにオークが、自分の目の前へと迫ってきていたからだ。
その巨体で、どんな速さしてんだよ!?
オークが右腕を突き出してくる。
俺はバックステップにより移動。
オークがさっきまで俺がいた地点に拳をぶち当て───
バゴォォォン!!!!
多量の砂埃が起こると共に、強烈な振動が闘技場を襲った。拳が刺さった地点は小さなクレーターが出来ている。
なんつう馬鹿力!?
ま、まずい!! あれを食らったら一発で即死だ! い、いや、少しは強くなったし、今なら耐えられる? でも、確証は無い。なら、食らわないに越した事は無い。
ギラッとオークの視線がこっちを追う。
すかさず追い討ち。斜め下から迫る左腕のアッパー。
俺はなんとか体と頭をずらし、紙一重でそれを避ける。
チッと髪とオークの腕がかする音が聞こえた。
「っ───」
俺は無防備に晒されたオークの左脇を、通過すると共に剣で斬り裂いた。しかし、オークの脂肪が思ったより分厚く、深い傷は負わせられない。
俺はそのままの勢いで走り、オークの背後、その少し離れた位置で止まると、再び剣を構え直した。
「ブルルルゥ………」
オークがこっちを向く。まるで怪我なんて気にしていない様な振る舞いだ。
「………っ」
力も耐久もゴブリンや狼とは桁違いだ。思わず息を飲んでしまう。でも───
「スー……ハー……」
だから何だ?
一度息を整えると、すぐにまた「殺る」という意志が湧き出てくる。
おそらく、このまま攻撃をかわして斬るを繰り返していけば、いつか あのオークは倒れるだろう。
見た所、あまり賢そうなモンスターでも無さそうだし、攻撃を交わし続ける事はそう難しくない───と思う。いざとなったら魔術もある。大丈夫な筈だ。
それから俺は、何度もオークの体を斬り裂いていった。
案の定、オークは直線的な動きしかしてこず、何らかの予備動作も必ずあるため、攻撃を避けるのは容易だった。
オークによる右手の薙ぎは屈む事で避け、蹴りと両手を組んでの叩きつけは横に逃れる事で回避・突進は、風属性魔術を少し遅らせる事と跳躍の手助けをする事に用いて、上空へと跳んで回避───と、避けていき、回避行動中に斬るを繰り返す。
すでにオークの体には斬り傷が十数箇所と出来ていた。タラタラと血液が垂れている。
それにしても……このオーク、倒れる感じが全くしない。
ダメージは確実に溜まっている筈だ。それなのに、倒れる予兆を一切感じる事が出来ない。何故……?
倒れる───どころか、徐々にオークの緑の体は赤く熱を持ち出して、今では湯気が立っている。意味が分からない。
意味が分からない以上、俺のやる事は変わらない。避けて斬るだけだ。ただ、さっき以上に奴の動きに注意して───
「ブルゥアァァァァァ!!!!」
「───!?」
何だ!?
オークが急に雄叫びを上げた。豚頭に似つかわしくない牙が何本も
あまりの五月蝿さに、俺は表情を歪めて耳を両手で覆った。
オークがグッと身を屈める。あれは……突進の
一瞬おいて、オークが溜めた力を一気に推進力に変えるために解放しようとする。
俺はそれに合わせて掌をつき出して、風属性魔術を行使。そして、それで稼げた時間で、跳躍の為に再度魔力を溜めようと───
バァァァァァン!!!!
「───なっ!?」
風属性魔術による妨害───があったにも関わらず、オークは一瞬で俺のすぐ近くまで肉迫してきた。
速さがさっきまでの比じゃない!
「ぐっ───!」
俺は魔力溜めを放棄。すぐに横へ跳んで突進をかわす。
それでなんとか攻撃はかわせたものの───
ドゴォォォォォン!!!!
オークがぶつかった闘技場の壁の一部分が、粉々に吹き飛んだ。かなりの砂埃が舞い、バラバラと瓦礫が落ちたり散ったりしている。
「はっ、はっ、はっ───」
もし、魔術無しだったら どうなっていた? ………いや、考えるのはやめよう。俺は頭を振る。
とりあえず、何故かオークの能力が上昇している。これは由々しき事態だ。これじゃあ、今までなんとかかわせていた攻撃もかわせなくなる。どうする……どうする!?
オークが壁から出てくる。
赤熱しているのは変わらない。多分、能力も上昇したままだ。
体の熱で止血されたのか、さっきまで垂れていた血も止まっている。最悪だ……!
『終わりだな』
また、声が聞こえる。
『よくやった方だろ? 弱いお前が、よくここまでやれたもんだ。上出来上出来』
………。
『もう大人しく終わろうぜ? その方がずっと楽だろ。過去に戻れるかどうかも本当は分かっていないんだ。ここでやめたって、誰も咎めはしないって』
………。
『
「───!!!!」
詐来……。
そうだ、何の為にここまでやってきたんだよ?
生きたいが為? ───違う。俺はそこまで自分の生に執着していなかった。じゃあ何の為?
そうだ、詐来の事があったからだ。敦に恨みを持っていたからだ。深層意識に、ずっと二人の事があったから、俺はここまでやれたんだ。
もう一度、詐来と話がしたい。話して何が変わるかは分からない。何をしたいかも定まっていない。でも───あの過去のままでは駄目だと本能が叫んでいる。
敦に、これまでの怒りを───憎しみをぶつけてやりたい。確かに、変われなかった俺も悪いかもしれない。それでも、あいつの暴力を・理不尽を許す理由はどこにも無い。あいつに、目にものを見せてやらないと気が済まない。
いや、それだけじゃない。それだけじゃなくて、俺は、そう……もう一度───詐来のあの笑顔が見たいんだ。
どうしようもなく俗物で、優柔不断で、情けない俺だからこそ───
「………っ」
俺は息を飲む。
勝つんだっこのオークに! 勝って殺って、生き延びる! 俺の我儘をっこの化け物の命で突き通す!! こんな所で死ねるか!!
戻るんだ、あの頃に。例え僅かな希望でも、戻れるというなら………俺は、戻らなきゃいけないんだ!!
───あの過ちを、今こそ正す!!
もう弱いのを分かったフリして諦めるのは終わりだ。
みっともなくてもいい。弱くてもいい。食らいつけ! そうすれば、最後までどうなるか分からない!!
「うっうわぁぁぁぁぁああああああ!!!!」
俺は少しの迷いも断ち切る為に腹から声を出し、剣を腰の所で構えながらオークに向かっていく。
この剣で奴の首を斬る! そして、次へと進むんだ!!
一気にオークへと肉迫すると、俺は奴の首 目掛けて剣を振り上げ―――
「―――ごっ」
オークに剣が当たる―――前に、オークの拳が、先に、俺の脇腹へと突き刺さった。
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