第6話 第二層 レッサーウルフ
視界が白で埋め尽くされてから少し経ち、ゆっくりと瞼を開けていく。
目の前に広がっていたのは───第一層の時と同様、闘技場だった。
「………」
来た───来てしまった。
多分、また俺は殺さないといけない。
………殺る、殺るんだ。生き残りたくば、殺れ。
俺は左手に持っていた剣の柄に手をかけ、鞘から その刀身を引き抜く。
俺の視界の奥にある───反対側の出入口を塞いでいた檻のような鉄柱陣が徐々に上がっていく。鎖を扱った時のようなジャラジャラという音を立てながら。
「………っ」
俺は無意識に唾を飲んでしまう。
さぁ……何が出てくる?
「グルルルゥ」
「───!」
獣のような唸り声。向かいの廊下から姿を現したのは───
「………」
第一層で出てきたゴブリンのことを考えると……えらく
「ガァルルルゥ!!」
「───うっ」
余裕こいてる場合じゃない。相手は狼───肉食獣だ。しかも……何だ あの顔? 普通の獣があんな醜く顔を歪ませられるのか? まるで、鬼の顔をした獣と向き合っているようだ。
カタカタカタ
「………!」
ふと、俺の右手辺りから音がして、そこに視線を落とす。
───震えていた。
俺の右手だけじゃない。俺の体全体が、恐れを成して震えている。
「……っ」
違う、そうじゃない。決めたじゃないか……! ───殺る、殺るんだ。震えている場合じゃない。もう一度あの頃に戻りたいんだろ? だったら怯えるな。しっかり力を入れろ。
あの獣を───殺気を向けてくる獣を、切り捨てろ!!
勝手に怯えを成し震える体を見て、俺は怒りを感じ、己で己を鼓舞する。
しかし、それが終わるまで待ってくれるほど相手は優しくない。
「ガアッ!!」
俺が覚悟を決め直して前を向いた頃には、すでに狼が口を大きく広げて飛び込んできていた。
「うおっ!?」
俺は驚いて、ほぼ反射的に剣を振り、丁度 剣の腹が狼に当たって弾き飛ばす。
急な不意打ちということもあって、俺は無意識に二、三歩後退してしまう。
「ハァッ、ハァッ───」
頬に嫌な汗が流れてくる。
危なかった……もう少しで俺、あの狼に───あれ? そういえば、よく反応できたな俺。火事場の馬鹿力ってやつ? まぁ何であれ、助かった……。
まだ狼と対峙し始めて数秒しか経ってない筈なのに、すでに胸の鼓動が五月蝿い。
俺は両手で柄を握り直し、しっかりと狼を見据える。
「グルルルゥ……」
すでに狼も体勢を立て直しており、こっちを見ながら唸っている。ポタポタと垂れる涎が汚い。
───来る!
「ガアッ!」
狼は疾走。闘技場を一周するのかと思ったらそうでもなく、斜めに走ったり、時折真っ直ぐに走ったりと滅茶苦茶だ。まるで十二芒星でも描いているようだ。俺を撹乱する気なんだろう。
この狼、ゴブリンよりもさらに速い。しかも、ゴブリンと違って、速さを出すのが一瞬ではなく、持続している。これだけで、この狼がゴブリンよりも強いのは明らか。
───でも、目で追えている。
ゴブリンの突撃は見えなかった筈なのに、それよりも速く動く狼は目で追えているなんて……どんな冗談だ? でも、実際追えているのだから、訳がわからない。
けど、好都合だ。目で追えるのなら何とかなる………気がする。
もう怯えている暇は無いぞ俺。覚悟、決めてくれよ。
「ガアッ!!」
狼が一気に方角を変え、こっちに突撃してくる。両前足を大きく開き、爪をこっちに向け、涎が風圧によって飛び散っていくのなんかお構い無しに、大きく口を拡げて。
───でも、見えている。
俺はその狼の突撃に合わせて剣を持っていく。
このまま振り下ろせば この狼を斬れる。
「───っ」
俺は手首を切る直前に捻ってしまい、またしても剣の腹で狼を吹っ飛ばす結果に。
狼は少し宙に放り出されるも、着地時に上手く体勢を立て直し、再び疾走開始。
そこからはこれの繰り返しだった。
狼は十二芒星の描くように走り、俺を錯乱させようとし、その後突撃・俺はそれらが見えているため、突撃のタイミングに合わせて剣を動かすも、そのどれもが剣の腹で攻撃してしまうため、狼に上手くダメージを与えられない。
俺が狼を上手く斬れない理由───剣の扱いが下手だということもあるけれど、それ以上に───
「くそっ! いい加減にしろよ
俺は自分自身に嫌気が差し、つい激昴してしまう。
狼はそんな俺の吠えなんか気にせず、突っ込んでくる。
「くそっ!」
それを俺はまた剣の
命を奪うことへの恐れ・覚悟の無さ、どうして自分はここまで情けないのだと苛立ちを感じてしまう。
と、そこで狼の動きが変わった。
弾き返したから、また十二芒星を描くように疾走するのかと思ったら、狼は体勢を立て直すとすぐにまた俺へ突進してきたのだ。
俺は予想外の動きに動揺し、自分への苛立ちもあったせいか上手く頭が回らず、剣を盾にするのが遅れてしまった───。
「───っっっ!!!!」
狼の強靭な顎で、俺は右脇腹に噛み付かれてしまう。
狼の突進威力は凄まじいもので、俺は噛み付かれたまま後ろに吹っ飛ばされて。
地面に落ち引きずられ、砂埃が立ったことで俺と狼は一瞬隠れ、その後ブチッと共に俺の脇腹の肉を引き千切った狼が、前足で俺の体を押さえながら顔を上げた。
「ガッ……グッ……!」
脇腹からゆっくりと血液が体外へ。砂の上に血溜まりが広がっていく。
痛い……凄く痛い。視界がチカチカする。
「グルルルゥ」
狼は俺を見下ろし、唸りながら涎を垂らしてくる。このままじゃ、喰われる!
嫌だ……死にたくない……嫌だ……!
死の恐怖がジワジワと内から湧いてくる。死が湧けば痛みなんて気にならなくなって。
「う、うわぁぁぁぁぁ!!!!」
幸い、俺の右手にはまだ剣が握られていて。柄頭の部分を狼にぶつける。
柄頭をぶつけられた狼は、頭部が少し仰け反るも、それでさらに怒りが増したようで。
「ガァアアアアアァァァ!!!!」
「ひぃっ!!」
狼の形相があまりにも恐ろしくて、俺は情けない声を上げてしまう。半ば狂乱状態に陥りながら俺は何度も何度も柄頭を狼の頭にぶつける。
流石に立て続けに何度も柄頭をぶつけられた狼は「キュウン」と鳴き声を漏らすと共に一旦距離を取って。
俺は急いで立ち上がる。───立ち向かうためじゃない。恐怖からほぼ無意識に、だ。
それでも、立ち上がれたのは運が良かった。
狼は目の辺りを前足でゴシゴシと擦ると、再び視線を俺に向けて。
血走った目で俺を捉えた瞬間、
「ガアアアアアア!!!!」
雄叫びを上げながら突進してきた。
「ひぃっ!? く、来るなぁぁぁぁ!!!!」
俺はあまりの恐怖に、またしても無意識的に、持っていた剣を両手で握って、
「キャウウン!!」
「……………え?」
狼の情けない鳴き声が聞こえた。
俺はおそるおそる目を開ける。
狼の胴体が、俺の剣によって引き裂かれ、陥没していた。
狼の体からは放物線を描くようにピューと何本か血液が吹き出していて、すでにそれ以上の血液が飛び出ていたのか砂の上には大きな血溜まりができていて。目は飛び出すんじゃないかというほど大きく見開かれており、体はピクッピクッとしか動いていない。
さっきまで鬼の形相で噛み付いてきた狼は、瀕死状態へとなっていた。
「………何なんだよ、一体……何なんだよ……」
俺は力が抜けたように砂の上に腰を下ろして、膝を立たせ、顔を両手で覆う。
参っていたのだ。こんな訳のわからない状況で、二度も生き物の命を奪った。そのことに、もう精神的に疲れていたのだ。
ただ、二回目だからか、前より気持ち悪さは無く、吐くことは無か───
「───!? うっ、おえぇえぇぇぇぇ!!!!」
急に脳に浮遊感が襲ってきて、胃から胃液が逆流してきた。ビチャビチャと嘔吐物が砂の上でぶちまけられる。
「な、なん……でぇ……?」
気持ち悪く無かった筈なのに───どうして俺はまた吐いてしまっているのか。
「うっ!!」
俺はまた胃から逆流してきたものに堪えきれず、
「うおぇぇええええええ!!!!」
再び嘔吐してしまうのであった。
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