第5話 第二層 待機時間

 時は現在に戻る。


 またさっきの見慣れない部屋だ。

 俺は体を起こす。


 そうだ、思い出した。あの男───フェイシエルって言ったけ? あいつにあんなことを口走ってしまったから、俺は今こんな状況になっているのか。


 正直、後先考えずに突っ走りすぎた。後悔している。あの時は、急に現れたフェイシエルに混乱していたし、訳わからない言葉を並べてくる あいつに苛ついてもいた。それでも、もう少し冷静に話すべきだった。


 とりあえず、フェイシエルが言っていたことは本当だと思っていいだろう。じゃないと、この訳わからない空間やさっきのゴブリンについて説明ができない。

 過去へ戻れる───フェイシエルのことを思い出してから、その言葉がずっと脳裏から離れない。


 過去へ戻り、人生をやり直せる。


 しかし、その代わりに、俺は特異点を───人を殺さなければならない。

 特異点の話を聴いてから、俺にとっての特異点はある程度想像ついてる。俺にとっての特異点───異川敦。多分、あいつだ。それ以外、考えられない。


 人を……殺す。もしかしたら、この試練も、そのための予行演習という意味合いを含んでいるのかもしれない。


 ───命を奪う。


 さっきのゴブリン戦でわかった、試練の合格条件。おそらく、俺はこれからも沢山の命を奪わないといけないのだろう。───それこそ、命を奪っても何も感じなくなるぐらいまで。


 俺は自身の右手を上げ、視線を移す。

 俺の右手には、さっき戦ったゴブリンの血がべっとりと付いていた。

 この血を見て、臭いを感じるだけで、さっきの戦闘が───ゴブリンが悲鳴を上げ、血液を撒き散らし、力尽きていく様が目に浮かんでくる。ナイフを刺した時のあの肉の感触・つんざく様な悲鳴・充満する『死』の臭い───それらがハッキリと思い出される。

 命を奪ったという罪悪感・込み上げてくる吐き気。俺は「うっ」と吐きそうになり、左手で口を抑える。

 何とか吐かずに済んだものの、右手が震える。瞳孔も揺れているのか、目の焦点が合わない。俺は右手を握り、左手で右手首を掴んで顔の近くまで持ってきて、限界まで力を入れて、この悪感情を追い出そうとする。


 ───しかし、それらの感情が消えることは無く。


「………っっっ!!!!」


 俺は歯を食いしばり、それらが早く落ち着いてくれることを祈った。



   □□□



 あれから どれくらいの時間が経過したのだろう?


 やっと少し落ち着いた。


 そう言えば……あのウィンドウは今も表示されているのだろうか? 俺は扉の方に視線を移す。


 ………あった。


『試練の塔 第二層 チャレンジ!

 只今、待機時間 残り 64852秒』


 第二層……てことは、やっぱりまだ続くのか。てか、待機時間の表示がえぐいことになってるんだけど。


 まぁいいや。とりあえず、体に付いたままの血とか洗い流したいな。

 と、そこで、俺はふと思った。………そう言えば、トイレがあった囲いの奥───そこにさらに浴室のドアみたいなのがあった気が……。


 俺はトイレの囲いに付いているドアを開ける。


「……やっぱり」


 囲いの中にある洋式の便器は左手の壁近くに設置されている。そして、その反対側の少し奥には木製の洗濯籠が置いてあって、俺の真正面奥には浴室のドアがあった。

 浴室のドアを開けてみる。中には、浴槽とシャワーが設置してあった。


「ありがてぇ……」


 俺は早速入ろうと服を脱いで───


「………あっ」


 タオルと着替えが無いことに気がついた。


 どうするべきだ?

 思い返してみても、この部屋にタオルや着替えが入ってそうなタンスは無かったし、床に置いても無かった。

 これでは、設備はあっても入れないではないか。


 どうするか………最悪、部屋に設置してあった洗面所の所にコンセントがあったし、上には白の収納ボックスがあったから、多分そこにドライヤーがあると───ん? ちょっと待て。

 あったじゃないか、収納場所。小さ目のボックスだが、もしかしたらそこにタオルとかも入ってるかもしれない。


 俺は一旦浴室から出て、洗面所の前までやってくる。

 洗面所の上部には両開きの収納ボックスが上部にあり、俺はそれを開けてみた。


 ………やっぱり。


 そこには、歯ブラシや歯磨き粉、ドライヤーにくし、そして白色のタオルが何枚か畳んで置いてあった。

 よし、浴室から出る時はこれで拭けばいいな。後は着替えだが……俺は部屋を見渡してみる───が、着替えが入ってそうな場所は無い。


「はぁ……」


 仕方ない。幸い、服に付いた血は固まっているし、これを着ればいいか。………臭いはアレだけど。


 俺はタオルを持って浴室に戻った。


 裸になり、服を籠の中にほっぽり投げ、浴室のドアを開け、蛇口を捻り、シャワーからお湯を浴びる。

 シャワーはシャワー掛けにかけたまま。俺は右手を壁に付き、少し体重をかけるように体を傾け、頭からお湯を被る。

 体に付いて固まった血が、緩やかに液体へと戻り、お湯と共に排水口へと流れていく。


 目で見える汚れは、時間をかければ落とせる───だというのに。

 手に残った感触・鼻の奥で記憶された臭いは消えない。それどころか、体が綺麗になればなるほど、より鋭敏に感じられるようになる。


 汚れを落とすためにシャワーを浴びている筈なのに、俺の心の汚れは一向に落ちてくれなかった。


 シャワーからお湯が出る音だけが、浴室の中で響き渡っている。






 シャワーを止め、浴室から出る。


「………あれ?」


 ドアの前にある籠に目を移すと、そこにあるのは無造作に投げられた俺の服───ではなく、いや、俺が着ていた服と同様の物なのだが、新しくて、綺麗な服が畳まれて置いてあった。まるで、買い替えられたかのようだ。


「……ま、いっか」


 考えるのをやめた。

 今の俺に、物事について深く考えるような余裕は無い。


 服を着て、トイレの囲いからも出て、置いてある木製のベッドに腰をかける。

 いっそ眠ってしまうか? そうも考えたかど、やけに目が冴えていたから断念する。


 俺は布団に深く座ると、膝を抱えて、腕を組んだ。そのまま頭も埋め、何も考えないようにする。


 しかし、静かになると、またが戻ってきた。


 ───そうだ、俺が命を奪ったのだ。


 自然と手にギュッと力が入る。


 俺が殺した。殺してしまった。奪ったのだ、命を。


 仕方なかった。殺らなきゃ殺されてた。あの場ではああするしかなかった。


 本当に? 本当はもっと別の方法があったんじゃないか?もっと平和的な道もあっただろう。


 平和的な道って何だ? 問答無用で襲いかかってきたのはゴブリンあっちだ。しょうがなかったんだ。


 でも、殺したことには変わりない。


 俺は心の中で自問自答を繰り返す。


 俺が殺した俺が殺した俺が殺した俺が殺した俺が殺した俺が殺───


 仕方なかった仕方なかった仕方なかった。


 殺らなきゃ殺されてた殺らなきゃ殺されてた殺らなきゃ殺されてた殺らなきゃ殺されてた殺らなきゃ殺されてた殺らなきゃ───



 ─── 一時間後



 殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した────



 ───五時間後



 殺らなきゃ死ぬ殺らなきゃ死ぬ殺らなきゃ死ぬ殺らなきゃ死ぬ殺らなきゃ死ぬ殺らなきゃ───



 ───十時間後



 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ───



 ───十五時間後



 殺れ殺れ殺れ殺れ殺れ殺れ殺れ殺れ殺れ殺れ殺れ────






 ───十七時間


 そうだ、殺らなきゃ死ぬ。何もしなけらば ただ殺される。弱肉強食───弱い方が喰われる。


 生き残りたくば殺せ、殺せ、殺せ───。


 俺は自分で軽い自己暗示のようなものをかけていた。かけていないと、心が裂けてしまいそうだったから………俺の深層意識が、反射的にそんな意思を取ったんだと思う。


 俺は時間を確認する。


『只今、待機時間 残り 3152秒』


 残り、一時間きってるって感じか。

 とりあえず、腹ごしらえをしよう。俺は辺りを見渡す。


「……そういえばあったな」


 俺は冷蔵庫があったことを思い出し、ベッドから降りて向かう。

 目の前に着くと、俺は躊躇無く冷蔵庫を開けてみる。中には、色とりどりの野菜や、あらゆる部位の肉、冷凍食品まで、けっこうな物が詰まっていた。


「とりあえず、食い物に困ることは無いな」


 俺はその中からたこ焼きの冷凍食品を出し、近くの床に置いてある電子レンジに入れ、設定を入力して起動させた。ウィーンと無機質な音が響く。


 その後、温め終えた たこ焼きを食べ、ベッドに座り直すと、俺は武器を確認してみる。

 剣に汚れ等無く、まるで誰かが手入れしたかのように綺麗なままだった。ナイフも同様。まっ、使えるのなら問題無い。

 俺は刃を鞘に仕舞う。


「………あ、歯磨いてなかった」


 俺は洗面時へと向かい、歯ブラシを取り出しては歯磨きを開始した。






『只今、待機時間 残り 52秒』


 俺は扉の前にいた。

 ナイフを腰のベルトに挟み、左手には剣を持っている状態。


 大丈夫だ、俺なら殺れる───殺るしかない。


 最後のダメ押しと言わんばかりに、俺は目を瞑り、しっかりと念じておく。






『気珠無ぁ〜!』


「………」






 なぜ、今になって詐来の顔が浮かんでくるのか?


 俺は頭を振り、考えない様に思考を閉じた。


『只今、待機時間 残り 0秒』


 そして再び、俺の視界が光に包まれていった。

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