第3話 第一層 レッサーゴブリン
「うっ……」
一面眩しいほどの光が襲ってきたことで、俺は咄嗟に目を瞑った。
それで少しして、ちょっとずつ目を開けると───
俺の目の前にはコロッセオが広がっていた。
古代人とかが楽しんだという決闘場。下は砂で、周りには観客が座るための沢山の石製の席が円柱状に設置されている。そんな映画で見たような光景が広がっていた。
空は快晴。ここにいるのは俺だけ。どうなっているんだ?
と考えていたところで、俺のいる反対側───目の前にある檻みたいな鉄柱陣が急に上げられていく。まるで、そこに閉じ込め用意していた獣を解き放つみたいに。
俺は無意識に自分の武器───剣の柄の部分に手を伸ばしていた。何が出るにしても嫌な予感しかしない。
「フゥーーーっ」
変な汗が頬をなぞる。また早打ちしだした自身の鼓動───それを落ち着けるために大きく息を吐く。
ヒタッ ヒタッ ヒタッ
「───!!!!」
何かの足音!? ち、近付いてきている……! 俺は自分の前で空いている反対側の廊下を凝視する。
「ギギィ……」
「───」
そして、その廊下から姿を現した相手に───俺は目を見張った。
RPGなどでよく出てくる序盤のモンスター。正しくそれとしか形容できない生物が現れたのだ。
緑色の体皮・幼稚園児ぐらいしかない身長・口から見える鋭い歯郡・尖った両耳・髪の毛が生えていない頭部・吊り上がった目元、眼球は俺達人間と違って虹彩が丸くない。横に伸びた線のような長方形型で、色は黄色い。ボロボロな灰色の布を腰に巻いているだけで他は何も着ていない。右手には、粗く削って作ったであろう木の柄に、これまた粗く削って作ったであろう石器を括り付けた物を握っていた。所謂、簡易な石の小斧である。
「ギッ?」
廊下から出てきたゴブリンが、俺を見つけると頭を斜めに傾ける。言外に「何だこいつ?」と言われたみたいだ。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
対して俺は体を動かせないでいる。ゴブリンに似た容姿の相手───しかし、現実で見るゴブリンの容姿はゲームよりも醜悪で歪だ。最早、あれは俺の知っているゴブリンでは無い。
得体の知れない生物───それだけで、俺の体は震え、うまく力が入らない。呼吸も荒くなる。
ゴブリンはすぐに頭の位置を戻すと、唇の両端を醜悪に吊り上げ。
「ゲッゲッギャァ!!」
「ひぃ!!」
まるで久し振りに獲物を見つけた獣が鳴くように、ゴブリンは唾を飛ばしながら汚らしく叫んできた。
それだけで俺は萎縮し、尻もちを着いてしまう。
ゴブリンは歓喜を表情に浮かべながら突っ込んでくる。
走り方もなっていない。両手を軽く横に広げ、異常に上半身を倒して迫ってくる。だから、大したスピードも出ていない。
「う、うわぁぁぁあああ!!!!」
俺は怯んでいた自分の体を無理やり起こし、その場から駆ける。
とにかく、後ろのゴブリンが怖い!
距離とか確認する余裕も無く、ただ一直線に走る。しかし、ここは狭い闘技場内。すぐに闘技場の壁が迫ってきて。
小さなゴブリンの歩幅と俺の歩幅では明らかに俺の方が長い。
この時の俺はそんなことにも気が付かず走っていたからわからなかったけど、徐々にゴブリンと俺の間は大きくなっていってたんだ。
でも、次の瞬間、俺はゴブリンに追い付かれる。
なぜかって? それは───
怖い、怖い怖い怖い、怖い!
俺は恐怖という本能のまま、目の前に迫ってきた壁に両手をつき、すぐに両手両足で横っ飛びした。
ズザサァァァ……と砂の上を転がる。走る勢いそのままに両手を壁につけ、しかも、ろくに受け身も取らずに砂の上を転がったから、あちこち痛い。
けど───
ボゴォォォン!!!!
俺がさっき横っ飛びした場所で大きな音がしたため、痛みなんてそっちのけで、すぐにそっちへ視線を移した。
「ハッ、ハッ、ハッ」
ガラガラと崩れる闘技場の瓦礫。それで立つ砂煙にまみれながらも、そこに立っている生物の姿が見えた。
───ゴブリンだ。
と、そこで俺はゴブリンの後ろ辺りが視界に入った。
そこの砂の上に一つだけ、やけに抉れている部分があったのだ。ゴブリンから十数メートルといった場所だ。
………まさか、跳んで一気にそこから距離を詰めてきたのか?
「ギィ」
「ひっ!」
ありえない───そんな思考が立つ前に、ゴブリンに睨まれたことで俺の脳は恐怖で包まれてしまう。
すぐに立ち上がって逃走再開。
「うわあああああああ!!!!」
またしても情けない声を上げてしまうが……どうしようもなく怖いんだよ!!
そんな情けない俺の走行だが、しかし、さっと同じ結果にはならなかった。
バァン!
俺の後ろで炸裂音らしき音が聞こえる。
と、次の瞬間、ゴブリンが空中で華麗にターンをしながら俺の前に降り立った。
「えっ」
「ギヒッ」
一瞬、俺の体の時が止まる───ような錯覚に陥った。
「ギッギャギャギャアアアァァ!!!!」
ボゴッ!!
「───っ」
瞬間、俺の体が
何も感じない時が数瞬続く。
俺は何かによって与えられた衝撃で吹っ飛び、空を舞って、地面に着地する。さっきの横っ飛びの時よりもさらに砂を引きずることとなった。
ここでやっと握っていた剣を手放してしまう。
訳がわからず、俺は上半身を上げる。
しかし、次の瞬間───
「うっ、おげえぇぇぇ!!!!」
腹部に今まで感じたことの無いほどの痛み。唐突に訪れた嘔吐感。
あのゴブリンの石斧でやられたのか。
「うっ、くっ……」
や……ばい……! 自覚すればするほど……痛みが……強く……!?
「───っ!! おぉぉえぇ!!!!」
二度目の嘔吐。
何だよこれ……何なんだよ これはぁぁぁ!!!!
「ハァ……ハァ……」
息も絶え絶えになりながらもゴブリンの方を見やる。
「ギッ、ギッ、ギィ」
笑っていた。醜悪な笑みを浮かべて見下していた。
何だよこれ……訳がわかんねえよ。何で俺がこんな目に合わなきゃ……。
「ハァ……ハァ……」
俺は視線を下に向け、無様に左手で砂を握った。
(何でこんな目に、か。本当はわかってるんじゃないのか? こんな目に合う理由)
誰かの声が聞こえた。───いや、これは他ならぬ自分の声だ。あの日───詐来を失ったあの日から、ずっと俺を責め立ててくる俺の声だ。
「ゲッギャッギャッギャッ」
ゴブリンの笑い声が聞こえる。
パシッ、パシッと木の柄を掌に当てながら歩いている───ようだが、まだ距離はありそうだ。
………あぁ……わかってる、わかってるさ。本当はわかってる! ───これは、詐来を見捨てた俺への報いだって言うんだろ? わかってるんだよ、そんなことは。
………けどさ、こんな唐突に、こんな……。
(理不尽だと思うなら なぜ反抗しない? なぜそうやって膝を着いている?)
なぜって………あんな化け物、どうやったって敵う訳無いじゃないか! 俺の力じゃ、どうやったってあの化け物には敵わない……!
(だから諦めるというのか? 相変わらずだなお前は。
あの時もそうだった。お前は、自分には何もできることが無いからと言って逃げた。何もせずにおめおめと逃げ帰ることを選択した。あれを失敗だと恥じているくせに、そこから何一つ学んではいないじゃないかっ!!)
───っ、うるさい! 事実、あの時俺にできることなんて何も無かったじゃないか! 非力な俺に……いつも守ってもらうことしかできなかった俺にっ何ができたって言うんだよ!!
(はっ、逆ギレかよ。知るか、そんなこと。甘えんな。自分で考えろよ それぐらい。お前はそう、いつも自分の非じゃない部分だけを探して自身を正当化する。だから詐来も取られるんだ、間抜け)
………っ。
(お前が悪くない訳がないんだよっ。あの時も、今もっ、お前にできることはまだまだあるんだよぉ。それなのにさぁ、あっさり諦めて、自分を守るために、今までお前を守ってくれていた詐来をもあっさりと見捨ててぇ? 今度は、そこまで守った自分を、状況が状況だからと見捨てようとしている───何がしたいの?お前は)
………。
(所詮、クズはどこまで行こうとクズだったという訳だな。一体お前は、今まで何のために生きてきたんだよ? はっ)
………五月蝿い。
(人生 上手くいかない? 当然だよなぁ。そんな、大切な人も───自身すらも守れねぇ奴に、何ができるって言うんだよ? こりゃ、死んで当然だわな)
………黙れ。
(ほら、さっさと死ねよ。ゴブリンもすぐそこまで来てる。お前を殺してくれるってさ。良かったなぁ、自殺なんて無様な真似をしなくて済んで)
黙れ。
(お前には結局、
「だぁまぁれえええええええ!!!!」
俺は落とした剣の柄を握り、そのまま刀身を出すと、ゴブリンに斬り掛かっていた。
───しかし、ゴブリンが石斧を振るう方が早い。
俺は再び腹の衝撃を感じると共に仰け反り、今度はその勢いのまま壁にぶつかる。
「───っ!!」
ぶつかった壁はヒビ割れ、俺の体はすぐに砂の上に落ちる。
何とか両手両膝着くことで倒れるのは避けるが………。
「───ゲホッ! ゴホッゴホッ!!」
今度は吐瀉物ではなく血が口から出た。
やばい……肋骨でも折れたか?
しかし、痛みに気をやってる暇は無く。
俺は頭の左横から嫌な感覚を感じ取り、すぐに剣を盾にした。
カァァァン!
すぐに剣から かなりの衝撃が伝わると、俺はまた空に放り出されていた。ゴブリンが石斧で剣ごと俺を殴り、また吹っ飛ばしたのだ。
「………うっ、くぅ……」
何度も吹っ飛ばされたことで頭がクラクラする。
上手く手足に力が入らない。
とそこで、俺の見えていない所でゴブリンが石斧を手放した。
そして、バッと上空に跳んだかと思うと、
ズシャッ!!
「カッ───」
ゴブリンが上から俺の上に跨ってきた。
ゴブリン着地による痛みにより俺が顔を顰めている間に、ゴブリンは俺の両手を取り、身動きがとれないようにしてくる。
ゴブリンは、そのまま俺の左手を自身の顔に近付け、
グシャア!
俺の左腕を噛み千切った。
「───!!? ガッ、あぁぁあぁあああああ!!!!」
噛み千切られた部分から噴水のように血が吹き出している。どんどんとゴブリンの顔と俺の体が血で汚れていく。
痛い………痛い痛い痛い痛い痛い!!!!
痛みで視界が赤で埋まっていく。脳が「痛い」で埋め尽くされていく。
そうやって混乱していく俺の頭。
だから、見間違えたのだ。
ゴブリンの醜悪な笑みを、
俺を苛めていた
「なぁんでぇぇぇ!! いつもぉ! お前はぁぁぁぁぁ!!!!」
咄嗟のことだった。いつの間にか俺は、腰に装備していた短剣に右手を伸ばしていた。
「ふぅざっけんなぁぁぁあああああ!!!!」
そして俺は、
「ゲギャギャギャギャギャ!!?!?!?」
突然の俺の抵抗。傷付けられたのが首。
ゴブリンは驚きと痛みによる絶叫を上げ始める。
「ギャアアア!!! ギャッギャアアアアア!!!!」
俺の上から転がり落ち、必死に首を押さえ、砂の上でのたうち回るゴブリン。しかし、押さえている首の傷からは、今も絶えずに血の噴水が噴き出している。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……」
俺は上半身を起こし、今も悲鳴を上げるゴブリンを見やる。
なぜか目の焦点が定まらない。左腕の痛みも感じない。
ただ自然と、俺は右手を上げ、そこに視線を移した。
そこには、ゴブリンの赤い血が、べっとりと付いていた。
「ハァッ! ハァッハァッハァッ!!」
ゴブリンから出る血の噴水が止まる───と同時に、ゴブリンは力尽きたようにピクッピクッと震えるだけで動かなくなった。
俺はなぜか激しくなる動悸を抑えるために息を吸おうとする───が、こちらもなぜか上手くいかない。それどころか、どんどんと苦しくなる。
次の瞬間、俺の脳は浮遊感に襲われた。
「おえええぇぇぇ!!!! うっくぅ、おぉぇぇえええええ!!!!」
再度 吐瀉物を吐き出してしまう。なのに、気持ち悪さが治まらない。
「うっ、うっ……」
俺は頭を押さえる。───意味は無い。
無限に襲ってくる脳の浮遊感。
俺は───。
俺は、そのまま意識を手放した。
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