第六十八話 私ならもっと上品に振る舞いますわっ!

「母屋までご案内いたします。少々歩きますが、道中の景観をお楽しみいただければ幸いです」


 俺達は堂庭家の敷地内にある駐車場に降り立ったのだが、一軒の家とは思えぬ広大な土地に驚いた。


 日光が眩しくて片手を額に当てながら周囲を見渡してみる。敷地を囲う背の高い塀とその中に広がる緑豊かな草花。噴水や美術館にありそうなモニュメントも置かれていて、テーマパークの一角のような豪華さを感じた。少なくとも個人が所有する庭のレベルを数段階超えている。


 更に奥にそびえ立つ母屋は洋風の城そのものであった。家の次元越えてるよこれ、と思いつつも五大名家なら仕方無いかと納得する自分もいて、徐々に感覚が麻痺してるなあと怖く思った。


「狭山くん……。あ、あまりジロジロ見てたら庶民くさいとお、思われますよ……」


 たどたどしい口調で志賀郷に指摘された。いつもの覇気が無いのは間違いなく移動中の出来事があったからだろう。


「そう言う志賀郷だって……。周りキョロキョロしてないか?」

「い、いえこれは丁寧に鑑賞しているだけです……。まあ、正直こんなに広い御屋敷にお邪魔した事はほとんど無いので緊張してますけど……」


 かつて俺の住むボロアパートを豚小屋と揶揄していた志賀郷がビビるくらいなのだから桁違いの豪邸なのだろう。前方を歩くゴスロリメイド服を纏ったメアリーさんも絵になっている。


「お二人とも肩の力を抜いて大丈夫ですよ。うちは鎌倉の外れにあるから無駄に広い土地が取れただけで……。物件の価値で言えば咲月お嬢様が住まわれていた渋谷の邸宅の方に軍配が上がります」

「そんな……。あの家はとても狭いですし、全然立派ではございませんわ」

「ふふ、都会育ちのお嬢様が言う謙遜は皮肉にも聞こえてきますね」


 うーん……。やはりメアリーさんと志賀郷の会話には入れる気がしない。俺ら庶民の「家賃五万だから大した事は無いよ」とは訳が違うからなあ。


 女性陣の富豪トークはしばらく続いた。志賀郷に とって俺と話すよりも慣れた人と喋った方が気が休まるだろうと思い、俺は二人の邪魔をしないように後ろを付いて歩く。

 そして、志賀郷の後ろ姿を見て思った。やはり彼女は誰よりも可愛らしいお嬢様だ。ふわふわと舞う金色の髪をした風貌と洋風の建物が似合い過ぎている。


 対して俺はどうだろうか。志賀郷の言う通り庶民くさく見えているのではないだろうか。今の状態では彼女の隣に立てる資格は無いのではないだろうか。


 仮に両想いだったとしても身分差があれば世間から受ける風当たりは厳しい。現に、志賀郷家のメイド、ナタリーさんは俺を遠ざけようとしている訳だし。


 すぐ近くで談笑する志賀郷が、今だけは離れた存在のように思えた。



 ◆



 ここで寛いでくださいとメアリーさんに通されたのは派手なシャンデリアが飾られた広い部屋だった。どうやら応接室のようだが、俺には金持ちが住むリビングにしか見えない。


「綺麗なお魚ですわね……」


 志賀郷が見つめる先――壁面と一体化した大きな水槽があり、その中で色鮮やかな熱帯魚が泳いでいた。


「食べたら駄目だぞ」

「そこまで食い意地張ってませんわ。あと女の子に対してその発言は失礼です」

「ご飯三杯食べる奴に言われてもなぁ」


 目線さえ合わさなければこうした冗談も言える。志賀郷と二人きりになってしまったので、俺はどうにかして空気を和ませようとしていたのだ。


「もし泳いでいるお魚がマグロだったらよだれも垂れていたかもしれませんけど」

「食欲旺盛な肥満キャラみたいな反応じゃないか」

「冗談ですけどね。私ならもっと上品に振る舞いますわ」


 言いながら向かったのは石造りの豪勢なテーブル。これは……大理石なのだろうか。貧乏人には良く分からないが価値は高そうだ。


「お茶をいただきましょう。冷めないうちに」

「ああ……」


 テーブルにはメアリーさんが用意してくれたティーセットが並んでいた。食器一枚から高級感が伝わってくる。


 並べられた位置に座ると、自然に志賀郷と向き合う形となった。距離は近いし嫌でも視界に入ってしまう為またしても緊張してしまう。


 ただ、緊張しているのは俺だけではなさそうだった。ティーカップに触れた志賀郷の指が震えていて、持ち上げようとするもカタカタと分かりやすい音を立てている。大丈夫か……?


「い、いただきますわ」


 コクリと一口。動揺していてもその所作は品があって美しい。更にカップに触れた唇に妙な色気があって――って駄目だ。全然自分を落ち着けられない。


「ハーブティーですわね。口当たりがとても優しいです」

「そ、そうか……」

「狭山くんも是非お飲みになってください」


 促されて俺も一口。うん……とても高級そうなのは分かるけど、志賀郷の事で一杯で全く味を感じない。


「そういえば……。明日志賀郷の家の人が迎えに来るって言ってたよな! なんだか泊まりで遊びに来てる感覚だよな」


 わざとらしく、無理矢理な話題を振ってみた。お互いの為に少しでも気を紛らわす意図だったのだが、その話題が良くなかった……と気付いた時にはもう遅くて――


「ええ……。でもどうせメアリーだけが来るのでしょうけど。私の親は忙しいですからね。子供が誘拐された位じゃ駆け付けませんよ」


 当たり前だ、と期待すらしない諦めた表情で志賀郷は吐き捨てた。


 彼女の家庭環境は複雑だ。部外者の俺にはその全容は分からない。けれど、既に親は迎えに来ないと志賀郷が断言できるくらいに親子の間にある溝が深いのは確かだ。


 志賀郷は寂しくないのだろうか。……いや、寂しくない訳が無い。どんな事情があるにせよ親の愛情を受けられないのは悲しいことだ。それでも俺は何の手助けもできないのだけど……。


「というか、散々追いかけ回された癖に警察沙汰にはならんし、揉め事すら起きず次の日まで放置って……普通じゃ考えられないよな」

「その普通が狭山くんのような一般市民だとすれば当然でしょう。ですが五大名家なら驚きません。警察とは癒着してますし、共に騒ぎは起こしたくないのです」


 志賀郷は油少なめの朝ラーメンよりもあっさりと恐ろしい内容を口にした。五大名家は国家権力さえねじ伏せることができるようだ。こりゃ逆らえないな。


「俺が振った話題なのにこう言うのは申し訳ないけどさ……。もっと楽しい話をしよっか」


 俺は志賀郷の悲しむ顔を見たくないし、ここに来てまで金持ちの闇の話はしたくない。半ば強引でも彼女を楽しませたいと思った。


「そ、そんな……! 私の方こそすみません。お気を遣わせてしまって」

「全然大丈夫だから。そしたら何か楽しい話を……」


 と言ったものの何も思い浮かばない。こう必要な時にアイデアが出ないのは世の常だ。ちなみにハーブティーを飲んでみても変わらなかった。味も感じないし。


「……あ! そういえばこの後堂庭家のお嬢様とご挨拶できるとメアリーさんが仰ってましたよね。私楽しみですわ」


 ありがたいことに志賀郷はポンと手を叩いて、考えあぐねている俺に助け船を出してくれた。


「名家の中でも特に可愛らしいとの噂があるんですよ。同い年ですし仲良くしたいですわ」

「可愛らしい、か……」


 広大な敷地と洋風の城。そこに住むお嬢様といえば……。頭に浮かんだのはゲームに出てくるようなドレス姿で長髪のお姫様だった。見晴らしの良いバルコニーでなびく髪を押さえながら「今日は風が騒がしいですわね」なんて言ってくれるのだろうか。まるでフィクションのような世界だけど、現実でありそうと思えるのが恐ろしい所だ。


「その、狭山くんは……。可愛い女の子の方が……好きですか?」


 静寂な部屋にか細い声が響いた。志賀郷は顔を俯けてもじもじと眼下のティーカップに目を落としている。そんな姿を見たらまた心臓が飛び跳ねてしまった。


 それよりも、今の質問は俺を試しているのだろうか。それかヤキモチ……? まあどちらにせよ答えはもちろん志賀郷一択、どんな子が現れても志賀郷のかわいさには到底及ばない訳だが、そんな小っ恥ずかしい事は口にできないので言葉に詰まってしまう。


「ごめんなさい。今のは無視していただいて――」

「俺は見た目だけで判断しないぞ!」


 反射的に断言した。何も伝えずに終わらせたく無かったからだ。とはいえ、好きになった子が金髪ウェーブの超可愛い美少女なので説得力に欠けるかもしれない。だが俺は面食いでは無いぞ。志賀郷の優しさと芯の強さに心惹かれたのだ。


「……っ! うぅ……」


 志賀郷の頬は一気に赤く染まり、彼女を楽しませるどころか余計に困らせてしまった。俺も告白の一歩手前の発言をした事に恥ずかしくなり燃えるような暑さを感じる。


 結局、何を話しても和やかな空気にはならないようだ。お互いに好きという想いが溢れても今は一方通行に流れるだけ。思い切って告白すればこのわだかまりも解けるだろうけど、タイミングは今じゃない気がする。


 だだっ広い部屋に流れる沈黙。突破口が見つからず、もはや詰みの状態になって数分間が経ったと思われる頃。

 気まずい空気を打破したのは、ノックすらせずに思いっ切り扉を開いた少女だった。


「メアちゃーん。今ナナミたんのルート入ってて忙しいんだけどー! 用があるなら後にして――」


 金色ツインテールで小学生くらいの背の低い女の子が何故か部屋に入ってきた。え、誰この子……?

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