第六十四話 少々私情が混ざってしまいました

「カラオケでも寄って帰ろうぜ」


 ホームルームが終わるや否や田端が声を掛けてきた。


「……お前本当に田端か?」

「おう、最近の夢は幼女にチュッパチャプスを持たせて「おにいたんこれあげる。もうなめちゃったけどっ!」と言わせる事の田端様だぞ」

「マジかよ本人じゃねぇか」


 冗談はともかく。

 疑ったのは田端があまりにもらしくない発言をしたからだ。

 数ヶ月の仲だが、放課後にこいつから遊びに誘われたのは今日が初めて。それなりに由緒ある厳しい家柄だからなのか、放課後になると遊ぼうともせずにさっさと教室を後にしてしまう。故に、帰りにカラオケ行こうなんて言われたら何か裏があるのではと勘繰ってしまうのも仕方が無いだろう。


「ストレス発散って言うのかな。ドカーンと思いっきり歌いたい気分なんだよ」

「へぇ〜珍しい。もし悩みとかあったら聞くけど」

「はは、狭山に言われたらおしまいだなあ。まあとにかく行こうぜ」


 憎らしい程の笑顔で答える田端を冷めた目で眺める。言ってる意味がよく分からないが悪気は無さそうだし誘いに乗るとしよう。生活は厳しいけど学割が効くカラオケ代くらいの出費は許容範囲だ。


「ちなみにどこのカラオケ屋にするんだ?」

「そうだな……。学校出てすぐの新宿西口辺りでいいんじゃないか?」

「いや、あのエリアは観光客向けのぼったくり価格だからダメだ。代々木の方がまだ安い」

「……狭山って時々しょうもないケチくささがあるよな」

「うっせ」


 いついかなる時も節約を心掛けるのが俺のモットーだ。



 ◆



「よっしゃ、まずはポテトと唐揚げを頼んでそれから……」


 部屋に入るなり田端はフード注文のタブレットに夢中になっていた。まるでどこの誰かさんのような行動だな、と某金髪大食い美少女の姿を思い浮かべつつデンモクを手に取る。


「おっと待つんだ狭山。そんなに焦って予約しなくてもカラオケは逃げていかないぜ」

「代わりに金は逃げていくぞ。待ち時間が勿体無い」

「まあ落ち着けって。歌う前に話をしようではないか」


 ソファの真ん中に座る田端は、向かいの席に俺が座るように手で誘導してくる。表情はやや堅く声のトーンも若干低くなった気がした。


「どうしたんだよ改まって」

「確かめたい事があるんだ。……まあ、俺は百パーセントそうだと思ってるけどな」


 ニヤリ、と口角を上げて何かを確信した田端が続ける。


「……狭山。お前、志賀郷さんのこと本格的に好きになっただろ?」

「…………っ!?」


 思わず息を呑んだ。

 どうしてバレた……? まさか四谷が情報を横流ししたとか……。いや、貧乏同盟を結ぶあいつがそう簡単に裏切る事はないか。だとすると……。


「おっと図星か? 狭山って意外と顔に出る所あるよな」

「うっせ」

「まあそんな照れるなって。特に最近はずっと志賀郷さんを目で追ってただろ? まるで片想いする乙女のようにな」

「誰が乙女だ」


 志賀郷を見てたのは事実だけど。ある日突然、要人のように警護されて、一言も話せぬ日々が永遠に続くかもしれない――と考えれば嫌でも気になってしまう。なるべく自然に振る舞ってたつもりだけど、田端ぐらいの友人クラスにはバレバレだったのだろうか。なんだか恥ずかしいな……。


「でも不思議なんだよなあ。狭山と志賀郷さんって全然接点無いだろ? それなのに片想いっておかしいと思うんだよ。面食いでも無ければ女に興味すら無い奴がきっかけも無く恋なんてするか普通」

「それは……そうだな」


 呑気にフードメニューを眺める田端の勘がいつにも増して鋭い。徹底した対策のお陰で俺と志賀郷の関係性は知られてないようだが、それが逆に矛盾を生んで説明に困る事態となってしまった。


 志賀郷が家の事情で極貧生活を送らざるを得ない状況にあること、偶然にも俺の隣の部屋に引っ越してきて秘密裏にサポートをしていること。

 これらを田端に伝えても構わないのだが、志賀郷の許可が得られてない以上、今すぐ言うことはできない。


「理由はある。だけど……悪いが内容は話せない」

「なるほどね。深い事情があるって訳だ」

「ごめんな……」

「謝るなって。男には言いたくない秘密があって当然だろ? 例えば自分の好きなエロのジャンルとか」

「それは聞きたくもねぇよ」


 言わずとも田端ならロリ系が好きなのだろう。一刻も早く警察署へ自首した方が良い。


「ちなみに俺は制服の――」

「それ以上言うと通報するぞ」

「こっわ」


 スマホを耳に当てて電話するフリをしてみたら、田端が慌てて止めに入ってきた。

 ……と、冗談はこの辺にしておいて。


「わざわざそれを聞くためにカラオケに来たのか?」

「まあ……志賀郷さんとか、他の奴等に聞かれたらマズいと思ったからね」

「へぇ〜。意外と配慮できるじゃん」


 安心したものの、いや待てよと。

 ……顔立ちも整ってる上に気遣いもできたら文句無しのイケメンになってしまうではないか。友人の俺からしてみれば許しがたい事実である。(嫉妬ではないぞ)


「んじゃ、乙女なハートの狭山の為に俺が応援ソングを歌ってあげよう」


 その場に立ち上がった田端は軽快な手つきでデンモクに打ち込み始める。そして、マイクを握った彼は得意気な表情で――


「それでは聞いてください。『ドライフラワー』」

「失恋ソングじゃねぇか」



 ◆



 志賀郷の警護が強化されてから一週間が経った。

 穏やかな日常は残酷にもごく平然と流れていく。


 思えば、今の毎日は数ヶ月前のあの時とそっくりだ。貧乏育ちの俺とは違い、富裕層の中の富裕層である志賀郷咲月。彼女に近付くことは許されず「お前とは住む世界が違うのだよ」といったオーラのような、見えない壁が所狭しと張り巡らされている。


 ただ、唯一異なる点があった。それは俺の感情だ。無関係だった過去とは違い、今は俺を拒む壁を壊したくて仕方が無い。


 同じ教室にいるのに話せない。家に帰れば、薄い壁一枚挟んだ距離にいるのに会う事すら許されない。無理に行動すれば志賀郷に迷惑が及び、取り返しのつかない事態に陥るかもしれない。


 俺はこのまま指をくわえて待つことしかできないのか。状況が好転する兆しは一切見られないというのに。


 授業を受けても集中できず、バイトでもミスを多くしてしまった気がする。大きな不安が脳内を支配する中、放課後になって今日も一人で下校していた。


 赤く錆びた外階段を上り、ボロアパート自宅の奥へと進んでいく。すると、通路の突き当たりに一人の少女が立っていた。あそこは俺の部屋の前だ。


 よく見えないが、体格的にナタリーさんだと思った。悪い知らせを持ってきたのだろうか。嫌な予感しかない……と思いきや、彼女の服装にまずは戸惑った。


「メイド服……?」


 普段のビジネススーツとは違い、秋葉原でよく見るようなコスプレ感満載フリル全開のメイド服を着ていたのだ。志賀郷家に仕える本職のメイドとはいえ、クールなナタリーさんには到底似合わない格好……。もしかしたら別人かもしれない、と恐る恐る近付いてみたが、どうにも本人のようだ。


 ところが直後、俺を更に混乱させる事態が起こる。


「ごきげんよう! 狭山涼平様でお間違いないですよね?」

「はい!?」


 満面の笑みでいつもより数倍高いトーンで挨拶された。ナタリーさん……記憶喪失でも起こしたのか?


「そんな漫画みたいな驚き方しなくても……。あ、もしかして妹のナタリーと勘違いされてます?」

「妹……?」

「ええ。私はナタリーの双子の姉のと申します。普段は堂庭どうにわ家のメイドとして従事してますの」

「な、なるほど……」


 体型と顔が瓜二つなのはそういう事か……。そして、にこやかに微笑む顔から少し視線を下げると……。ナタリーさんにあったはずの豊かな膨らみが随分とフラットになっている事に気付く。


「……狭山様。貴方今私の胸を見て「うわ、すげぇまな板だよコレ! 巨乳な妹に根こそぎ全部吸われたんじゃね?www」とか思いましたよね?」

「いやいやいや全然そんな事ないですって」

「もう私は諦めてますから平気です! 所詮姉キャラは残念ポジションのゴミ箱でしかないもの。見てご覧なさい。姉妹が登場するアニメで姉が巨乳、妹が貧乳だった事例がありますか!? 逆は山のようにありますけどね! そもそも妹は単体の属性でも強いのに巨乳まで入ったら勝ち目なんて――」

「あの、とりあえず一旦落ち着きましょう?」


 どうやら地雷を踏んでしまったようだが、喋りだすとナタリーさんとはまるで正反対だな……。

 というか、ナタリーさんでないならこの人は一体何の用事で俺の家に来たのだろうか。


「……すみません。少々私情が混ざってしまいました」

「私情しか無かったと思いますけどね」

「ふふ、まあそれはともかく。早速ですが、時間も無いので狭山様へ重大な事実を簡潔にお伝えさせていただきます」


 メイドらしく両手を前に添えて丁寧にお辞儀をするメアリーさん。それから、悪魔のような薄気味悪い笑みを浮かべると、強烈な一言を放った。



「これから咲月お嬢様を人質として拉致らちします」

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