第五章 貧乏お嬢様と奪還計画

第六十三話 私は戦闘民族足立区民ですよ?

「なにそれ信じられないんだけど!?」


 昨日のお見合い事件(?)からの流れを聞いた四谷は憤慨した様子で机の天板を叩いた。

 バンバンと音が鳴る度に彼女の黒髪が揺れて、微かに甘い香りが漂ってくる。いつの間にか隣の席に座っていて物理的な距離も近くなっていた。


「まあ落ち着けって」

「はあ!? これで落ち着ける訳無いじゃん!」


 何故か当事者では無い四谷の方が感情的になっているのだが。確かに理不尽極まりない理由で志賀郷とろくに話せなくなるのは怒りたくもなるだろうけど……。


「怒っても志賀郷は戻ってこないぞ」

「分かってるよ! だけど……だけどさっ! おかしいよ、絶対……」


 唇を噛み締めて自分の事のように悔しがる四谷が続ける。


「両片想いの二人が互いを探りあってる超盛り上がる時にゴミみたいなクズ男が割り込んで持ち逃げされようとしてるんでしょ!? 大人の事情とか権力があるからとか知らないよ! 恋愛くらい自由にしたっていいじゃん!」

「よ、四谷……? お前は何を言って――」

「そもそも、さーくんがさっさと咲月ちゃんに告らないからこうなったんじゃないの!?」

「…………はい?」


 今何の話をしてるんだっけ? 俺と四谷のような庶民には志賀郷との会話さえ許されないなんて有り得ないよね! という話題のつもりだったが、四谷が食いついたのはまさかのお見合い事件の方らしい。


「お金の方が大事って思ってるかもしれないけど、好きなら好きって言わないと駄目だって」

「待て待て。大体、何故俺が志賀郷の事を好いている前提で話してるんだよ」

「え……。違うの?」

「違うだろ」


 そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔をされても困るのだが。


「……さーくん。もしかして君は自分の気持ちを理解していないのではないのかね?」

「いやそんな訳ない……。自分の事が分からない程俺は馬鹿じゃないぞ」

「なら考えてみて。さーくんは咲月ちゃんが好きで、二人でデートしたりいつまでも一緒にいたいなあって思ってる――――どう? 異論はある?」

「急に言われても……。その前に俺が志賀郷を好きになる事自体おこがましいというか……」

「私はさーくんの気持ちだけを聞いてるの。咲月ちゃんは関係ないでしょ!」


 強い語気と共に見開いたブラウンの瞳に睨まれる。

 なるほど確かに……。今の俺――いや、今までの俺は他人がどう思うとか、金や時間の無駄だなんて言い訳を立てて自分と真剣に向き合ってこなかった。


 志賀郷の事は嫌いじゃない。今の近しい関係が続いたら良いと思っている。彼女の素直さは人を惹きつける魅力があると思うし、時折見せる無邪気な笑顔にドキッとする事もある。


 ただ、それは志賀郷がとびきりの美少女であるからで、男子なら誰だって反応してしまう不可抗力のようなものだろう。これだけでは恋愛感情と呼ぶに値しないと思うのだ。


 では一体どうなのか、と再び頭を捻らせていると呆れるように笑う四谷が口を開いた。


「もっと分かりやすくしてみよっか。……今のさーくんは咲月ちゃんに頼まれてるから、割り込みNTR下衆男をドブ川に捨てようと躍起してるんだよね?」

「間違ってはいないが……言い方に恨み憎しみしか感じないぞ」


 思いのほか毒舌な志賀郷でさえここまでの暴言は無かったのに。


「だって普通にウザくない? もし会ったら百発くらい顔ぶん殴ってやりたいよ」

「物騒だなおい」

「ふふ……。私は戦闘民族足立区民アダチクミンですよ? 暴力なんて正当化しちゃえば何の問題も無いの」

「いや怖ぇから」


 こうして戦争は生まれるのだな、とスケールのでかい事を考えちゃったよ。


「ともかく、話を戻して――咲月ちゃんはゴミ男を嫌っているんだよね。だけどさ、もしその男がすごーく格好良くて咲月ちゃんもメロメロになっちゃったらどうする?」

「ならないよ絶対。有り得ないって」

「だからって言ってるじゃん! 今回は狙ってきた男がクズだったから良かったけど、普通にイケメンの金持ちで咲月ちゃんも惚れちゃったら、さーくんは何もできないんだよ?」

「…………確かに」


 志賀郷のお見合いそのものに俺が反対する筋合いはない。政略結婚という言葉もあるくらいだし、理不尽はあれど違法性は基本的に無いはずだ。

 だから志賀郷さえ納得すれば誰も介入する余地が無くなる訳で。


「私達は寧ろ咲月ちゃんの恋路を応援する立場だったかもしれないでしょ。さーくんはそれに耐えられるの? 好きな人が自分じゃないという事実に……」

「それは……」


 約半年に渡り隣で生活をしていた人がめでたく結婚する。純粋に喜ばしいことでは無いか。


 だけど相手が自分じゃないと考えると何故か心が苦しくなって、素直に喜べない気がした。「おめでとう」と言って笑ってるが想像できない。俺だけ取り残されて、頭を抱えてうずくまる光景が目に浮かんだ。


 これは紛れもない独占欲というヤツだろう。もしかして……と考える事もあったが、あの時の予感は間違ってなかったんだ。


 俺は志賀郷を手離したくない。自分のすぐ近くで彼女の笑顔を見ていたい。金が無いとか、相手に失礼だとか、そう言った言い訳を全て取り除いた答えがようやく分かった。随分と身勝手な欲だけどこれが本音だ。四谷の言う通り、俺は自分の気持ちさえ理解できない大馬鹿者だったのだ。


「良い表情をするねぇ。……つまりそういう事じゃない?」

「否定はできないな」


 生まれて初めて味わった、誰かを好きになる感覚。今すぐに会いたいという欲求が込み上げてくるが、それは叶わぬ夢の話だ。


 つい昨日までは当たり前のように話していたのに。もしあの時に気付いていれば、俺は志賀郷に想いを伝える事ができたのだ。そうすればお見合いに立ち会った時も演技では無い本当の彼氏として、より大胆な手も打てたかもしれない――なんて一瞬思ったが、いやいや待てよ。俺の気持ちは分かったが、志賀郷の想いは何一つ知らないじゃないか。

 ただ、ある程度は予想はできる。きっとあいつは……。


「例え志賀郷に好きです、と言っても呆気なくフラれておしまいだろうなあ」

「…………さーくん、それ本気で言ってる?」


 別におかしな事は言ってないはずなのに、どうしてなのか四谷に睨まれてしまった。


「今更冗談なんて言わないよ」

「はぁ……。って事はさーくんはほんっっっとに何も分かってないんだねっ!」


 バンッと再び天板を叩く音が一回。四谷の呆れゲージは本日の最高記録を更新したようで、盛大な溜め息がこぼれた。一体俺が何をしたというのか。


「もうこの際だからはっきり言うけどね、咲月ちゃんはさーくんが大好きだよ絶対」

「そんな夢みたいな話は――」

「あるんだよこれが! というか私から見れば二人は普通にカップルだよ? 昼休みとかバイトの時とか人目が無くなった途端にイチャイチャイチャイチャするしもう目障りったらありゃしない!」

「イチャついた記憶はない。話の捏造もいい所だぞ」


 なんなら全財産を賭けても良い。俺は健全な交友関係しか築いていない。


「嘘じゃないもんね! だってさー、コンビニで片方だけシフト入ってる時とかにカウンター越しで「明日の朝ご飯のおかずは愛のゆで卵にしますわ♡」「ふふ、もう一つのおかずはかな?(キラッ」とか言ってるし!」

「気色悪い声マネをするな」


 過去一の変態男になってるじゃないか。それと四谷よ、上手い事を言ったようなドヤ顔をするな。


「まあ今のは大袈裟だけど、明日のご飯はどうする?  みたいな会話はするでしょ。しかも笑顔で。いくら隣に住んでるとはいえ、好きじゃない相手にあんな夫婦ムーブはかまさないはずだよ」

「そんなもんかなあ」

「そうだよそうだよ! もしさーくんが咲月ちゃんに告ってフラれたら代わりに私がさーくんと付き合ってあげるから!」

「え…………。四谷って俺の事好きなの?」

「あ、ごめん。好きじゃないよ。私が好きなのはRay! Wa! STEPの悠月ゆづきくんだけなんで」

「さいですか」

「…………」


 既に俺がフラれたようなこの空気感はなんなんだよ。そもそも付き合ってあげる、とか冗談でも言っちゃいけないと思うぞ。純粋な男子高校生なら誰だって「え、もしかして俺の事ずっと……?」なんて幻想を抱いてしまうからな。


「えっと……。要するにさーくんの告白が失敗するのは私がさーくんと付き合うのと同じくらい有り得ないってこと! 私も応援してるし、さっさと爆ぜてしまえこのリア充め」

「なんか言葉の各所にトゲがある気がするけど……よく分かったよ」


 これ、朗報として受け取って良い案件……だよね?

 しかし、仮に志賀郷が俺を好きだとしても何も手を打てないのが現状だ。声すら掛けられないのがもどかしくて仕方ない。


「どうにかして志賀郷を自由にさせてやりたいよなあ……」

「さーくんも告れないからねぇ」

「それもだけど……。今日の様子を見てると辛そうなのが分かるからさ」


 クラスの女子数名と優雅に話し、一見すればいつものお嬢様であったが、一人になった瞬間に顔つきが崩れたのを俺は見逃さなかった。あの不安そうな表情が恐らく志賀郷の本心だ。


「なんというか……あんな志賀郷を見てたら放っておけないよ」

「ほほう、早速彼氏づらかい?」

「違う。割と前から思ってた事だ」


 ボロアパートに放り込まれて生活の仕方に困ってた時。

 高額な学費を免除する為に勉強を頑張ろうとした時。

 夏休みの間、実家に帰省する時――


 俺は単なる隣人としての間柄以上に志賀郷を手助けしていた。一銭の儲けにもならない仕事なんてやるもんか、と以前の俺なら思ってたはずだが、彼女の憂いに沈んだ顔はそんな俺の醜い性格を全て吹き飛ばす力があると思う。


 ただ、その力は志賀郷だから発動するのであって、例えば四谷がしょんぼり顔で座ってても適当に慰めて終わりだろう(友人としての手助けぐらいはするはずだが)


 要は志賀郷だけ特別な思い入れがある訳だ。その源流は今まで分からなかったけど、俺が志賀郷にずっと好意を抱いていたとしたら納得のいく説明になる。やっぱり俺は志賀郷が好きなんだな……。


 ぼんやりと天井を見上げながら思いにふけていると、隣から快活な声が聞こえてくる。振り向けば柔和な顔つきの四谷と目が合った。


「とりあえず今は様子見で良いんじゃないかな。少しづつ情報を集めて、隙が生まれた時に咲月ちゃんを取り戻そうよ! それまでは寂しいけど我慢するしか無いと思うし 」

「……そうだな。決定打が見つからない現状、何もしないのが無難か」

「うん! くれぐれも下手な真似はしちゃダメだよ。咲月ちゃんに逃げられて、私がさーくんと付き合う羽目になった――なんてまっぴらごめんだから!」

「四谷がジャニオタで俺に興味が無いのはよく分かったからもうやめてくれ。精神的ダメージがヤバい」

「うひひひひ。このネタは暫く使えますなぁ」


 手を口元に当てて気味悪い声で笑う四谷を横目に、俺は購買で買った弁当の蓋を開ける。そろそろ昼飯を食べないと休み時間が終わってしまう。結構長い時間話したし、ご飯もすっかり冷めてるだろうなあ……。


「……ぬるい」


 口に放り込んだ白米を噛み締めながら思う――お気に入りの生姜焼き弁当は今の俺の心のように虚しく冷えていた……なんてね。

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