第六十二話 お嬢様を厳重にお守りする目処がついたのです
お見合いランチの翌日朝。
週始めの月曜日ということで、いつも通り制服に着替えて二人分の朝食を用意したのだが、そろそろ来るはずの志賀郷がまだ来なかった。
ただ、心配する事ではない。朝に弱い志賀郷はきっとまだ気持ち良く眠っているのだろう。よくある事だ。世話役メイドがいない分、俺が代わりに叩き起してやろう。
重い腰を上げて玄関に向かう。しかし、ドアを開けようとした所で異変に気付いた。すぐ近くで誰かが会話しているのだ。
「……そうです。ですから、貴方は右後方に待機していてください。昼休みはですね――」
木製のドア越しに聞こえたのはナタリーさんの淡々とした声だった。扉を開けると、全身黒ずくめの屈強な男数人が志賀郷の部屋の前に集まっているのが目に入った。
「はい、ですので食事が終わったら速やかに――――あら狭山君。おはようございます」
男達の壁からひょっこり顔を覗かせたナタリーさんと目が合う。その軽やかな仕草と小柄な体型を見ると幼子そのものだが、冷気を帯びた無表情の顔と胸の部分がはち切れんばかりに膨らんだスーツで上手いこと相殺して三十路に落ち着いていた。(口に出したら確実に怒られる)
つまり、いつものナタリーさんという訳だ。違うのは物々しい今の状況であって……。
「なにかあったんですか?」
「ええ、大アリですよ。ついに咲月お嬢様を厳重にお守りする目処がついたのです」
珍しく弾ませた声でそう答える。なるほど、つまり黒服の男は志賀郷のSPで今は事前の打ち合わせをしていたという訳か。
「それにしても突然ですね」
「ええ。無駄な計画はせず、予算がついたらすぐ実行するのが私達の流儀ですから。時は金なりですよ」
「流石です」
本当に仕事が早い。早過ぎてつい裏があるんじゃないかと疑ってしまう。もしかしてこのまま志賀郷を親元へ引き戻すのではないかと……。
「……ちなみに言っておきますけど、お嬢様の住まいを変える予定は今の所ありませんよ。ここから離れたくないという強いご希望を聞きましたので」
「なんか心を読まれた気がしますが了解です」
これも志賀郷家の
「志賀郷はまだ部屋にいますよね? そろそろ起こさないと学校に間に合わないんですが」
「ああ、それなら問題ございません。学校への送迎は私が依頼した者達が責任を持って
ふふ、と手を口元に当てながらナタリーさんは皮肉たっぷりの答えを返してくる。やはりと言うべきか、真の目的を彼女はまだ口にしていないと見た。
「……そんなに俺が志賀郷の近くにいるのが嫌ですか?」
「いえいえ、そこまで失礼な事は申し上げておりませんよ。咲月お嬢様は志賀郷家のご令嬢なのです。いつ誰に狙われるか分からない身ですから、ご友人である狭山君を巻き込まない為にも、我々がしっかりとお守りする必要がある訳です」
なんだか正論じみた言い訳に聞こえるけれど、志賀郷の警護が必要なのは頷ける。そもそも大多数の庶民ですら縁の無いボロアパートで放置プレイされている今が異常なのだ。
本物のお嬢様なら相応の生活をする。そこに反対するつもりは全く無い。だけど志賀郷はきっとそれを望んでいない……。
「送迎するのは分かりました。ならバイトとか銭湯、買い物は今まで通りにさせてやってくださいね。多分志賀郷もあの生活を気に入っていると思うので」
「そうですね。我々もお嬢様の環境適応能力には驚きました。ですが私達の環境が変わった以上、お嬢様にもご協力いただく必要があるのです」
「……というと?」
「志賀郷家の名に恥じぬ本来の生活に戻させていただきます」
淡々とした声で一刀両断。このメイドに人情は一切通じないようだ。ほんと、血も涙もない人だな……。
ひとまず、これ以上は何を言っても無駄だと悟った俺は
「我々と違う家系……例えば狭山君のような一般庶民との接触は今後控えさせていただく方針です。あくまで保安上の理由ですので、勘違いなさらぬ様お願いしますね」
◆
昼休み。
俺は購買で買った弁当を片手に校舎奥の薄暗い教室へ向かう。
いつも集まるその場所は貧乏同盟事務所と名付けられた我々庶民の憩いの場である。メンバーは俺と四谷に志賀郷。秘密を共有した三人で今日もいざ昼食――――のはずだった。
「お目当ての
「まあ、一応……」
殺風景な空き教室で一人、揚げパンを
漂う空気はいつにも増して重い。丁寧な足取りで四谷の背後を横切り、彼女の二つ隣の席に座っても気まずい雰囲気は変わらなかった。
まるで喧嘩でもしたかのような距離感。普段なら真ん中の席に志賀郷が入るのに今日はそれが無い。綺麗に並んでいた歯が突然抜けてしまったような衝撃と違和感がある。
「咲月ちゃんバイト辞めるって。さっき店長からLI○Eで連絡あったよ」
「マジか……。ってか店長とL○NE交換してたんだな」
「まあねー。早く結婚するか資格とか取らないと人生詰みますよー、みたいな事言ってからかうのが楽しいからね。よく連絡してるよ」
「鬼かよお前は」
普通に可愛い顔してる癖に……。全国の独身男性の敵じゃないか。
「……新しい子が入るまでは私達で穴埋めしないと駄目だよね、きっと」
「そうだな……」
先程からだが、四谷は眼下のスマホを見つめたまま笑いもせず独り言のように話していた。特に驚いた様子が無いのは午前中の志賀郷を見ていたからであろう。
朝のホームルームぎりぎりに登校した志賀郷は数名のSPに警護されながら教室に入ってきていた。また、聞いた話によれば今朝の校門前には高級車の車列ができていたらしい。もはや総理大臣でも視察してきたかのような騒ぎである。
だから、わざわざ俺が言うまでもなく志賀郷を見た生徒は「急にスーパーお嬢様になるじゃん」と思ったはず。とりわけ、裏事情を知っている四谷は「理由は分からないけど自分達と離れた存在になったかもしれない」と悟ったはずだ。
だけど、無闇に悲しんだり興奮していないのはきっと俺が口を割るのを待っているからであって。
この急過ぎる展開に隣人である俺が何も知らない訳が無いという四谷の確信が今の重たい空気を作り出しているのだ。
「ねえ、さーくん」
スマホの画面を消した四谷は、椅子を少し後ろに下げてから体と視線をこちらに向けてきた。今日初めて目が合った。
「ああ、まずはどこから話そうか……」
求められている内容くらい言われなくても分かる。
俺は昨日からの出来事を思い出しながら四谷に話し始めた。
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