◆第六十一話 暑い……ですわっ!
咲月視点のお話になります。
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地上に向かって滑り降りるエレベーターの室内。その中で私は両手で顔を覆いながら、込み上げる様々な感情と闘っていた。
嬉しかったり照れくさかったり恥ずかしかったり……。というかそもそも狭山くんが頭から離れない。もう彼の事しか考えられない。無理無理ヤバすぎます……。
それにしてもタキシード姿の狭山くん格好良かったなあ……。もちろん制服を着ている時や私服姿も素敵ですけど、上から下まで完璧に身だしなみを整えた彼は一段と輝いていた。
狭山くんは本格的なフレンチの経験が無かったらしく食事の時はぎこちない部分もあったけれど、隣に居てくれただけで心強かったし、なによりあの
そして僅かに生まれた隙を狙い、
でも狭山くんは怒りもせず、何も言わずに私を守ってくれた。それが嬉しくて私はずっと身体を預けていたけれど、今思えばとんでもなく恥ずかしい事をしていた気がする。
でもでも、すぐに離れたら私が狭山くんを嫌ってる風に思われちゃうかもしれないし、あの時は恋人のフリをしていた訳だから、見せ場という意味では正解と言えなくもない。だから仕方ないのだ。私が狭山くんに触れて幸せを感じたのも不可抗力だったのだ。……という言い訳にしておくとして。
「暑い……ですわ……」
体内で燃え上がる熱は冷めるどころか、上昇の一途を辿っていた。だがそれもそのはず。私を抱きとめたままの狭山くんが放ったあの言葉を思い出すだけで頭から湯気が出そうになるからだ。
『志賀郷は渡さない』
ひゃあああああ!!!
ダメダメダメ。破壊力抜群です……。普段はケチで淡白な人なのにいざという時に強気になる狭山くん……もう
そして、そんな私の顔はきっと見るも無惨な状態になっているだろう。背後にある鏡を見てみるとやはり気持ち悪いニヤケ顔の女が映っていた。狭山くんに見られないようにずっと顔を俯けていたけどバレてない……ですよね?
ただ、こうして私が浮かれてヘラヘラしていても現実は何一つ好転してはいないのだ。
まず私と狭山くんは恋愛関係では無い。彼が志賀郷を渡さないと言ったのは、演技をして欲しいという私の依頼を聞いてくれたからだ。本心はきっと「早く終わらないかな」とかそんな具合だろう。それなのに舞い上がってドキドキしている私はなんて馬鹿らしくて醜いのだろうか。
結局、私はずっと狭山くんの優しさに甘え続けているのだ。本当に彼の事が好きなのかと自問自答する日々が続いたけれど、今なら分かる。私は狭山くんが好きだ。溢れんばかりの想いを早く伝えなくてはならない。これ以上狭山くんに負担をかけては駄目だ。
もちろん、告白の結果が良いものになるとは限らない。私の希望はかなりの確率で儚く散ることとなるだろう。狭山くんは恋愛事に興味が無い、お金の方が大事だと四谷さんから聞いたことがある。確かに彼は節約に目がなくて、生活に不要な出費はとことん削る考えをしていると思う。
私と一緒に過ごすためのお金は無駄ですか? なんて問えるほど肝は据わって無いけれど、一度だけでも良いから狭山くんには損得勘定無しで私を見て欲しい。好きという気持ちを真正面から受け取って欲しい。嫌なら投げ捨てても構わないから。
一番あってはならないのは、このまま私が狭山くんに想いを伝えずに鈴木家と強制的に結ばれる事なのだ。それを避けるにはすぐにでも私が動く必要がある。
◆
エントランスに降り立つと、出迎えるようにナタリーが待っていた。私と目が合うとぺこりと一礼する。
「お疲れ様でした。食事会はお楽しみいただけましたか?」
「……そこそこね」
鈴木さんの気持ち悪い言動とボディタッチでマイナス五億点。狭山くんの神がかった行動に惚れてプラス五億点といった具合かな。でも今は全てを狭山くんに上書きされて幸せ気分だけれども。
「お嬢様……。言葉の割には随分と嬉しそうですね」
「ひょえっ!? そ、そうかしら……?」
「お嬢様は昔から顔に出やすい性格ですし、かれこれ十七年見てきた私に見破れない表情はありませんよ」
ナタリーは僅かに口角を上げて彼女なりのドヤ顔をしてみせた。鋭い……というより私が分かりやすいのだろう。
ただ、私も勘が鈍い訳では無い。いつも無愛想なナタリーがほんの少しだけ気を抜いた瞬間を私は見逃さなかった。
「そういうナタリーこそご機嫌ではありませんの? 声のトーンが不安定ですわ」
「……他人を見る目はあるのですね」
「私だってずっと貴方のそばに居た訳ですし、嫌でも分かりますわ」
「……そうですか」
冷たい声であしらわれた――ように聞こえたが実は違う。仏頂面の彼女の眉がぴくりと上がったのだが、これは満更でも無いというサインだ。心の内を汲み取ってくれた事に喜んでいるのだろう。本当に素直じゃないんだから……。
「ところでお嬢様。狭山君はどちらに?」
「まだ上に居ます。息を整えるためというか、互いに落ち着くために後から来るそうでして……」
「……? お嬢様、もしかして狭山君と何かありましたか?」
「へひぃ!? べ、別に何も無いですわよ!」
「だから全部顔に出てバレバレですよ、お嬢様……」
はぁ、と頭を抱えるナタリーだが、こればかりは仕方ないと思う。狭山くんに抱き締められた事さえ知られなければ大丈夫だ。いくら鈴木さんと距離を置く口実になるとはいえ、あれがバレるのは恥ずかしすぎる……。
「で、では私は車に戻ってますわ。体もヘトヘトですし」
「すみませんお嬢様、ちょっとその前に」
片腕を広げて「行くな」と制されたので大人しく立ち止まっていると、ナタリーの目尻がほんの少し(二ミリくらい)下がった。どうやら上機嫌が続いているようだが悪い予感しかしない。
このパターンはまずい。
「話……があるのですか?」
「ええ、左様でございます。
「……悪い知らせなのでしょうね」
「とんでもない。素晴らしいグッドニュースですよ」
それは貴方にとってでしょう、と心の中で毒づきながらナタリーを睨むも、彼女は微笑みを崩さぬまま(但し他人が見たら無表情)エントランス脇のソファーへ誘導してくる。
私が腰掛けると、テーブルを挟んだ向かい側にナタリーが座った。
「まずはお菓子でもいかがですか。来る途中のお店でマドレーヌを買ったんですよ」
「
「こんな安い賄賂をお嬢様には渡しませんよ」
ククッとナタリーは苦笑い。なるほど確かに。手のひらに収まる程の洋菓子で私を釣る思考には至らないか。ここ数ヶ月にわたって庶民の生活をしてきたから感覚がおかしくなってますわね……。
「ではありがたくいただきますわ」
包みを解いて一口頬張ると素朴な甘みが広がった。庶民的な生活を始めてからは簡単なお菓子でもありがたいと思うようになった。食べ物に対しての感謝だとか見方も変わったと思う。
「相変わらずお嬢様は美味しそうに食べますね」
「そうかしら……? 普通にいただいているだけですけど」
意識はしてないけど狭山くんにも言われたりするのできっと本当なのだろう。
一口、また一口と食べ進めているとナタリーが小さく咳払いをした。
「ところでお嬢様。今の住環境についてはどのように思われてますか」
「全てが快適かと問われれば嘘になりますけど、居心地はとても良いですわよ」
「…………あの馬小屋のような家でも?」
「ええ、案外暮らせるものですわ。……というか、今の家に私を送り込んだのは貴方達でしょう?」
まるで汚れ物を見るような冷めた目をされても困るのだ。私だって最初は戸惑いしか無かったけど、狭山くんや四谷さん、銭湯で会う人達やバイト先の方達等、たくさんの暖かな人に出会った事で新たな楽しみを見つけたのである。
面倒事を全てメイドに放り投げて悠々自適な生活を送るのも悪くは無かったが、努力をして自由を掴む今の日々は新鮮で、毎日が充実していると思う。
「資金が底を尽き、迫り来る脅威から娘だけでも守ろうとしたご主人様の配慮だった訳ですが、お嬢様もご満足いただけたようで何よりです」
「結果論としては良かったですけどね。あの人の傍若無人に巻き込まれるのはもう懲り懲りですわ」
「まあそう仰らず。ご主人様はいつもお嬢様の無事を想って――」
「はいはい分かりましたわ。……で、良い知らせとやらは何ですか?」
強引に本来の話題へ引き戻すとナタリーは「仕方ありませんね」と小さくボヤいた。
「一時は窮地に追い込まれた我が志賀郷家ですが、今では資金の調達も進みまして崩壊の危機は免れております」
「それは良かったですわね」
「……他人事のように言ってますけど、お嬢様は志賀郷家の後を継ぐ唯一無二の方なのですよ。ですから最低限の安定を手に入れた今、お嬢様の
「別に私を狙う悪党なんていないでしょうし、無駄な警護なんて要らないと思いますが」
「いえいえそういう訳にはいきません。どうか関東五大名家の娘様だというご認識とご覚悟をお持ちくださいませ」
……そんなの昔から分かってる。今までどれだけ口酸っぱく言われ続けてきたと思ってるんだか。
私が言いたいのは
「……ちなみに警護は
「いえ、兼ねてよりお嬢様をお守りしていた彼等は経済的な問題から現在も雇い止めをしてますので残念ながら使えない手です。ならばと思い、民間から派遣しようと考えましたが予算に収まらなかったので却下としました」
「そんな状態では無理ではありませんの?」
「いいえ、私達にはまだ奥の手があるのです。……ずばりコネです。友好関係にある堂庭家と交渉の末、全面協力いただけることになりました」
堂庭――五大名家の一つに数えられてる家ですわね。二つ名は確か……。
「変態と名高い……あの家ですか?」
「
「……なんか聞いてはいけない単語を耳にした気がしますわね」
背中に妙な寒気が走った。これ以上深堀りするのは良くなさそうだ……。
「ええ、清らかなお嬢様には無縁であってほしい分野でごさいますので。しかしながら堂庭家の仕事ぶりは私も認めますし、警護の点についてはご安心くださいませ」
真剣にこちらを見据えて話す姿を見れば分かるが、今のナタリーは嘘をついていない。私の自由を制限される恐れがある身辺警護だが、担当が
私は今まで通り、狭山くんと登校して四谷さん達と昼食をとって、放課後はアルバイトをして銭湯のお風呂に入って眠れれば警護されようと何でも構わないのだ。
しかしナタリー側の策略からすれば、当然そんな自由を許すはずは無い。隙を狙って抜け出せれば良いのだけど……。
「ちなみに私のガードマンさんとやらはいつお越しになる予定ですの?」
「……明日の朝には手配できるかと」
「早すぎませんかね」
これでは狭山くんと作戦会議する時間すら無いではありませんか……。やはりナタリー側の思惑は私と狭山くんの間に大きな壁を設ける事。間違いなさそうですわ……。
「なんたって志賀郷の二つ名は『奇天烈』ですから。予測できない動きで他者を突き放すのが私達の得意分野です」
「……それ、身内にやって良いものではないと思いますけどね」
愚痴を零しても「私はご主人様に従っているだけです」と一蹴されるので言うだけ無駄なのだけど。
さて、予想通り私にとっては悪い知らせになってしまった。このままでは狭山くんへの告白どころか会話すらままならないかもしれない。すぐに打つ手を考えないと……。
「……お嬢様。マフィンもありますがいかがいたしますか?」
「いただきますわ」
差し出されたマフィンを頬張りながら脳内をフル回転させる。
そんな姿を見たナタリーの口角はまたしてもごく僅かに上がっていた。
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