第五十三話 大事に持っておきます……ですわっ!

 お洒落な銀座の街にあるお洒落な百貨店に入り、その中にあるお洒落な洋服店に足を踏み入れた俺は酷く動揺していた。


「俺……追い出されたりしないよな?」

「何を仰りますの。ドレスコードの指定もありませんし、誰でも気軽に入れるお店ですわ」

「少なくとも気軽には入れねぇよ……」


 高級感漂うドレスがあちこちに並ぶ店内には俺達ぐらいしか客がおらず、上品に微笑む店員の視線が痛いほど刺さってくる。凄く気まずいな……。営業スマイルの店員も心の中ではきっと「薄汚い服で入ってくんなこの貧乏人がっ!」等と思っているに違いない。


「無難な黒が良さそうですが……。あっ、このお洋服も可愛いですわね……」


 一方で志賀郷は周囲の空気など気にせず、自分の買い物に夢中になっていた。後で俺の服も買う予定らしいが、今は志賀郷のターンなので彼女の後ろについて時間をやり繰りしている。


「……狭山くんはどう思いますか?」

「えっ!?」


 志賀郷は一着のドレスを前に当てていた。似合っているか否かの意見を聞きたいらしいが……言わずもがな似合ってる。ワンピースのような形をした黒色の簡素なドレスだが、可憐な志賀郷の素体に大人らしさを加える良いアクセントになっていた。


「ど、どうでしょうか……?」

「うん……よく似合ってるんじゃないか……?」

「そうですか……! ではこれはキープするとして……」


 照れるように微笑んだ志賀郷はそのドレスを店員に渡して他の服を吟味し始めた。それから慣れた様子で店員と相談しながら候補を絞り、数点を試着することになった。


 志賀郷が試着室に入ると当然だが俺は店内に取り残されることになる。辺りには女性物の服しか無い中で男が一人佇む空間……なにこれすげぇ気まずい! 俺は不審者ではありません誰も通報しないでください……。


 だがそんな心情を察したのか偶然なのか、近くで微笑みを崩さない営業モードの店員が声を掛けてきた。


「とても可愛らしい彼女さんですよね。何でもお似合いで羨ましいです」

「え……えぇ!?」


 志賀郷が彼女……!?

 でもそうか、同年代の男女二人で店に来たら普通はカップルだと思われるよな……。しかし俺が志賀郷の彼氏だなんて、そんな恐れ多い……。


「お付き合いしてから長いのですか?」

「いや、まあ……そうでもないですけど」

「あら、これは失礼しました。とても信頼し合っているお二人に見えましたので、かなり長いご関係だと思ってました」

「そうですか……」


 何も知らない人が見ると俺達はそんな風に映るのだろうか。付き合いたてのカップルではなく、まるで夫婦のような関係……。例えば家に帰った時、可愛らしいフリルの付いたエプロン姿の志賀郷が出迎えてくれる日常とか――って妄想が飛躍しすぎだろ俺。しかも志賀郷と夫婦になるなんて絶対に有り得ないし。


「ではお二人の邪魔にならないように私はそろそろ失礼しますね。近くにいますので何かございましたらお呼びください」

「は、はい……」


 すっかり恋人同士だと思い込んでいる店員はにこやかな表情を崩さずにその場を離れていく。実はただのクラスメイトなんです、と弁明しても良かったが、話が面倒になるし何より店員のほころんだ顔を見ていたら事実を伝えるのが億劫おっくうになった。それに、この先会わないであろう人にまで執拗しつように訂正する意味は無いし。


 会話をしたことで気まずさが薄れ、ようやく落ち着いた俺は近くの服(値札)を見ながら「ゼロが多すぎだろぉ」と住む世界の違いをひしひしと感じてみる。

 すると程なくして試着室のカーテンが颯爽と開かれた。


「狭山くん……?」

「おぉ……」


 現れたのは赤色の衣に身を包んだお嬢様だった。

 全体に細かなプリーツが施された柔らかそうな生地は素人目が見ても良質だと判断でき、志賀郷の綺麗なボディラインが浮き彫りになったその姿は『安易に近付けない高貴な御令嬢』と呼ぶに相応しい。

 衣服一つでここまで変わるものかと驚かされるが、志賀郷はやはり俺達と住んでいる世界が違うのだと思い知らされた。


「おかしくないでしょうか……?」

「いや全然……。如何にもパーティーに参加するお嬢様って感じでバッチリ似合ってるよ」

「そ、それなら良かったです……。じゃあこれもキープするとして……あともう一着だけ見てもらえますか?」

「うん……分かった」


 俺が首を縦に振ると志賀郷は小声でありがとうございます、と言って頭を下げてからカーテンを閉めた。


 さっきもそうだったが、俺が感想を言っている時の志賀郷はどこか緊張しているような、恥ずかしい表情をしていた。

 確かに自分の事を批評されるのは緊張するかもしれないけれど、今更俺なんかの言葉を聞いてドキドキするものかなあと疑問に思いながら店内を軽く散策する。随所で微笑みの店員と目が合ったが、気まずさはほぼ感じなかった。


 しばらくするとガラガラとカーテンの開く音が聞こえたので急いで元の場所へ戻る。そこには着替え終わった志賀郷が居たのだが、その姿を見て俺は思わず息を呑んだ。


「変じゃないですか……?」

「なっ……!」


 ついに俺は天に召されたのだろうか。目の前に佇む志賀郷が神々しくて直視できない。もはや彼女は本物の天使なのではないか……?

 そう思わせる程に志賀郷の身を纏う純白の羽衣ミニワンピースは今までのどの服よりも最高に似合っていた。


 膝上丈のスカートから伸びる生脚は健康的な少女らしさを際立たせている。更に真っ白な生地と自由にふわりと舞う金髪は見事に調和しており、清楚と高貴、そして可憐であどけなさも併せ持つという正に非の打ち所のない姿。おいおいこんなのタダで見ちゃって良いのかよ。後でバチが当たらないだろうな……?


「素敵なお洋服だなと思ってつい着ちゃいましたけど……私には合わないですよね」

「違う違う。その……あまりにも可愛くてびっくりしてた」

「か、かわ……っ!?」

「でもお見合い用に着ていく服にしては気合い入り過ぎてるというか……」


 忘れてはならないのが、今は志賀郷家から命じられた婿探しの為に着る服を選んでいるという事だ。望んでない催しの為にこんな綺麗な姿でおもむく必要は無い。最低限の身なりさえ整っていれば良いはずなのだ。

 というか今の天使服で行ったらお見合い相手は間違いなく志賀郷に惚れ込んでしまうだろう。それは志賀郷にとって不利益に働く訳で……。


「えっと、それはつまり……」

「その服でお見合いに行って欲しくないかな……と」

「か、可愛いお洋服だから……ですか?」

「志賀郷が着ると……だけどな」

「……! 分かりました。やめます。この服はやめます」

「いや、あくまで俺の意見だからそんなすぐ決めなくても――」

「大丈夫ですわ。私も納得できる考えですので。ですからこれは……」


 言いかけた口を止め、顔を俯ける志賀郷。気付けば彼女の頬は真っ赤に染まっていた。

 照れくさそうに指を絡ませながら何か思案する様子を見せる。そして幾分か間を置いた後、見上げた志賀郷が口を開いた。精一杯の笑顔を合わせながら……。


「……な人に楽しんでいただけるように大事に、大事に持っておきますわ」


 会心の一撃だった。こいつ俺を恋に落とそうとしてるんじゃね? と錯覚させる程に志賀郷の表情や仕草が俺の心を激しく揺さぶった。


 ただ同時に彼女が発した「大切な人」が気になった。

 きっと今はいない存在なのだろうけど、いつか志賀郷に好きな人ができて大切にしたいと思った時に今の姿を披露するのだろう。そいつは随分と幸せで微笑ましい出来事だ。もし可能なら俺はそこでお祝いの一言でもかけてあげたいが……。



 何故だろう。想像したら悔しくなった。志賀郷の隣に居られるのは今だけで、時が経てば俺はその座を誰かに譲らなければならない。

 そもそも俺達はという秘密を共有している戦友に他ならないのだ。恋愛感情や嫉妬心を抱くのは本来の関係を逸脱しかねない危険な行為。そんな常識は分かっているはずなのに……。


 俺はいつまでも志賀郷と一緒にいたいと思ってしまっていた。

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