第五十四話 やはり私は偉大なの……ですわっ!
「狭山くんのタキシード姿……ふふ」
「あまり笑わないでくれよ……似合ってないのは分かってたし」
志賀郷のドレスを選んだ後、流れるように紳士服コーナーに移動して俺の服を俺ではなく志賀郷が選んだのだが、そこからの彼女は何故か上機嫌だった。選んでる時なんて自分のより嬉しそうにしてたしな……。
「そんな事はありませんわ。……と、とても素敵なお姿でしたわよ」
「俺に社交辞令は必要ないぞ」
「違います! もう、狭山くんはどれだけ自分に自信が無いんですか」
ムスッと怒った様子で睨まれる。そう言われても……税込千円の洋服を愛用する奴が突然十万円のタキシードを着たらどうなるかなんて火を見るより明らかなんだよなあ。
あぁ……。スーパーのワゴンに山積みされた特売Tシャツが恋しいぜ……。
「どんなファッションも人それぞれ自由だと思うが、中には着る人を選ぶ服もあると思うんだよな…………ってそのゴージャスな服本当に買うの?」
「当たり前です。何のために狭山くんをお呼びしたと思ってるんですか」
「それは分かってるけど……。俺はしま○らのジャケットとかでいいんだが」
「だーめですわっ! こうなったら意地でも狭山くんにタキシードを着ていただきます」
「うげぇ……」
もう志賀郷を止めることはできなさそうだ。俺の抵抗も虚しく、彼女はグレーのピカピカしてるお洒落な服(貧乏人に高い服の説明をさせるな)を大事そうに抱えながら一目散に店員のもとへ歩いていく。
そして志賀郷が試着していたドレスと白の
「商品はご郵送いたしますのでこちらにお名前とご住所をお書きください」
淡々と案内する店員に慣れた様子で志賀郷が応じる。その横で俺はペンも紙も高級そうだなあと漠然とした思いを巡らせていると、店員がハッと驚いた表情をした。
「志賀郷……様。もしかして
「えっ!?」
俺と志賀郷が同時に声を上げる。会長……娘……まさかこの店……。
「そうですけれど……。もしかしてこちらは志賀郷グループの――」
「はい! 仰る通り、当店は志賀郷グループ
「あら、そうだったのですわね。身内なのに把握できてなくて申し訳ないです。…………にしてもあの方、いつの間にアパレル業界に手をつけていたのかしら」
最後は低く小さな声で毒突く志賀郷。どうやら彼女にとっても想定外の事態のようだ。
「とんでもございません! 私達も会長のお嬢様とは存じ上げず、失礼な応対をしてしまいましたことをお詫び申し上げます」
「いえいえ、そんな謝らないでください。この件はお互い様ですわ」
ぺこぺこと頭を下げる店員に対しても志賀郷は謙虚な心を忘れない。流石は(元)お嬢様。大人な対応というか、器の大きさが違うなあ――と、隣で呑気に考えていたのだが、続けて店員が発した言葉に俺の背筋は凍りついた。
「ありがとうございます。今日は彼氏さんとのお出掛けですものね。私共は空気だと思って構いませんので是非お二人の時間を大切になさってください」
「彼氏……?」
うわあああそれ以上はやめろおおお!
志賀郷が目を丸くしてこちらを振り向く。これはまずい。どう言い訳すれば……。
「ごめん志賀郷。これは――」
「いえ、平気ですわ。事情は大体分かりましたので」
それ以上は言わなくていい、と手を前に出して制止される。勝手に恋人扱いした事を怒られるかと思ったが、意外と冷静なようだ。
それから志賀郷は少しの間考える素振りを見せると、笑顔で店員に向き直った。
「ご配慮に感謝致しますわ。今日は彼と久々のデートなのです」
「なっ……!」
貫き通した……だと!?
しかし、嘘でも志賀郷に「
「あらまあそうでございましたか。では尚の事時間を無駄にはできませんね」
「はい。ですので…………私と彼の関係や今日ここに来たことは会長や家の者には秘密にしてもらえると助かりますわ」
「それは…………なるほど。ご両親に内緒の恋という訳ですね! 甘酸っぱい青春……羨ましい、じゃなくて素晴らしいです。勿論お嬢様の頼みなら断れませんし、私個人としてもお嬢様の恋を応援させてください!」
「ふふ……ありがとうございます、ですわっ」
まるでドラマのような光景である。今でこそ志賀郷は社長令嬢としての務めを発揮しているが、彼女の自宅は家賃三万円のボロアパートという事も忘れてはならない。ギャップが富士山頂から日本海溝の底ぐらいあって気圧で押し潰されそう。
「では商品は一旦こちらでお預かりしますね。志賀郷様。本日は当店をご利用いただきましてありがとうございました」
深々としたお辞儀をされ、更に店の出口まで見送られる。付き添いで来た俺にもVIPのような待遇を受けるので少々罪悪感が残るが、まあこれもレアな経験ということで有り難く貴族気分を味わせていただくとしよう。
「これです……! 誰かに敬われる感覚……やはり私は偉大なのですわっ!」
一人盛大な勘違いをしている奴がいるが気にしないことにした。
◆
「……大丈夫か?」
「状況的には…………大丈夫ではないかもしれませんわね……」
銀座からの帰り道。志賀郷は眉間に
「まさか金券が使える店が身内の店だったとはなぁ……」
「はい……。あの方――父が経営する志賀郷グループは金融機関を中心に様々な業界に進出しているのですが……アパレルまで力が及んでいたなんて私も知らなかったですわ」
「なんか凄い世界だな。いきなり会社を倒産させたと思ったらすぐに復活して新規開拓を推し進めるとか……」
「そうですわね。……ただ、こんな意味の分からない経営をしているのは名家の中でも
自嘲気味に笑って答える志賀郷。彼女が自分の家の話をする時はいつも自虐的というか否定的な話し方をしている。身勝手な親が嫌いだと結構前に言ってたしな……。
「金券を送ってきたメイドの――ナタリーさん、だっけ? あの人は志賀郷の力になってくれたりしないのか……?」
「それは有り得ませんわね。ナタリーは完全に会社の操り人形です。あの人の行動は
「つまりお見合いするのも、あの店で服を買ったのも全部親の策略って訳か」
「仰る通りですわ。特に気がかりなのはブティックがあの方の手中にある事です。私や狭山くんの情報が従業員を通じて伝達される可能性もありますから下手な真似はできません」
なるほど……。そうなると、俺と志賀郷が付き合ってると店員に伝えた上で口止めをしたのは予防線だったんだな。
「中々厄介な問題だなあ。今こうして歩いてる様子すら監視されてるかもと考えると……金と権力の恐ろしさを感じるぜ……」
「監視の可能性は否定できませんが、何よりも厄介なのは
自分の親と戦うなんて俺には考えられない話である。もし意見が食い違うことがあっても面と向かって話し合って解決するのが普通だ。
でも……それは俺の普通であって志賀郷の普通ではない。家庭事情なんて人それぞれ。大事なのは相手を理解して寄り添うことだ。
苦境に立たされている志賀郷に対して、隣人である俺はなにができるのか。迫り来る脅威を全て取り払う事ができれば一番だが、金や社会的地位の低い
だけど何も出来ない訳じゃない。これまで数ヶ月にわたって家でも学校でも顔を合わせてきた仲だ。志賀郷の背中を押す方法なら任せてくれ。こう言えばきっと志賀郷への応援になるはず……。
「そういえば家の近くにラーメン屋あっただろ? 奢るから帰りに――」
「行きますわっ!!」
ほら食いついた。食い気味に食いついた……のはいいのだが、全身をこちらに寄せてきたもんだから距離が近い。視界はきらきらと輝く目をした志賀郷で埋まっている。
吐息が当たりそうなくらい狭くなった間隔に、俺は恥ずかしさで顔が熱くなるが……。志賀郷は脳内をラーメンに支配されたらしく、素直に喜びを爆発させていた。
「で、出掛けるまでに飯食ってたけど……腹減ってるの?」
「まだお腹は満足してますが……。減らぬなら減らせてみせよう私の胃……ですわっ!」
「上手いでしょ私〜♪ みたいなドヤ顔するな」
「ふふ、軽く十杯は平らげてみせますわ!」
幾度の自動車が通り過ぎる幹線道路に志賀郷の快活な声が響き渡る。
やはりこいつは無邪気に騒いで笑ってる方が似合ってるな。ラーメンだけで笑顔になるのなら奢ってやるのはお安い御用だ。
ただ…………十杯は勘弁してほしい。減らぬなら、減るのを死守せよ俺の金……なんつって。
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