◆第五十一話 私は狭山くんと……

前回(五十話)の志賀郷視点によるお話です。

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 二学期が始まって最初の登校日。誰も居ない空っぽの教室に私は入る。いつもと変わらない静かな朝だ。


 今日も私は学校の最寄駅である新宿駅まで狭山くんと一緒に行って、そこからは別々に登校する。私達の事情貧乏を隠すため、互いに無関係という事にした方が無難だろうと狭山くんが提案したので、私は狭山くんと二人で教室に入れない。


 授業中はもちろん休憩時間であっても、生徒が近くにいる限り私は狭山くんに近付けない。気兼ねなくお話できる唯一の時間は昼休み。人気ひとけの少ない空き教室で四谷さんを加えた三人で食事する一時が私の密かな楽しみだったりする。


 小さな欠伸をこぼしつつ、鞄から教科書を取り出して机にしまう。それから一息ついた私は、窓際にある机の前に向かった。


 私の後方に位置する狭山くんの席。あと十五分もすれば彼はここに座って、外の景色を眺めたり田端君とお喋りをしたりするのだろう。



 まだ教室には誰もいないので、こっそり狭山くんの椅子に腰掛けてみた。そして辺りを眺めてみると、自分の席が思ったより離れているのが分かった。


 もし狭山くんの隣の席が私だったら、毎朝「おはよう」くらいの挨拶はできたかもしれない。教科書を忘れたら見せてあげたりとか……うん、隣同士だったら仕方ないもんね。



 今度はお行儀が悪いけれど、目の前の机に突っ伏してみた。少しだけヒンヤリする木の板が私の頬に当たる。


 こうすると――狭山くんの匂いや温もりが感じられる気がした。目を閉じると制服姿の狭山くんが頭に浮かんできて――ってこれでは私が変態みたいになりますわね……。


 でも最近はこうした感じで狭山くんに対する想いが募るばかりなのだ。好きという気持ちが分かってからは狭山くんの近くにいるだけでドキドキしてしまうし、顔を合わせると胸が締め付けられるような感覚になる。もういっその事告白しようか、なんて思ったりもするくらいだ。


 だけど……私はまだこのままでなくちゃいけない。私の感情だけが先行したら狭山くんも迷惑だろうし、仮に告白が成功したとしても志賀郷家の許しは貰えないはずだ。狭山くんは名のある家柄じゃないからね……。


 立ちはだかる壁は大きい。でも私が狭山くんを想う気持ちは絶対に揺るがない。ずっとそばに居たい大好きな相手だからこそ、一つ一つの行動は慎重にしていつか必ず両親を説得してみせる。今は辛いけどまだ我慢しなくちゃ。



 しばらく机に突っ伏したままでいると、徐々に眠気が襲ってきた。五分だけ寝てもいいかな……なんて思ったが、ここは狭山くんの机なので寝る訳にはいかない。更に廊下から一人の足音が近付いてきたので、私は大急ぎで飛び起きて自席に戻った。


「おはよう志賀郷さん。今日も早いね」

「あら、愛住あいずみさん。おはようございます、ですわ」


 挨拶と共に教室に入ってきたのはクラス委員長を務める愛住さんだ。肩に当たる長さの黒髪とフチなし眼鏡が真面目な印象を持たせているけど、性格は柔和で男女問わず信頼されている凄い人である。


「今日は夏休みの課題を集めなきゃいけないんだけど、皆やってきたかなぁ」

「うーん……。何人か忘れてくる人もいそうですわね」

「だよねぇ……」


 なんてことない会話をして、苦笑いを浮かべた愛住さんはそのまま自分の席に着いて毎朝行う仕度を始める。学級日誌の確認とか、集める書類をメモにまとめたりとか、色々やる事があるらしい。クラス委員長の仕事とはいえ、律儀に行う所を見ると本当に真面目な人なんだなと思う。


 それから、彼女の邪魔にならないように雑談を挟みながら過ごしていると、校舎内が段々賑やかになってきた。教室にも続々とクラスメイトが入ってくる。


「志賀郷さんおはよう!」

「はい、おはようございます」

「もう聞いてよ志賀郷さーん。昨日外歩いてたらおじさんが……」


 挨拶を重ねていくと先程の愛住さんのように軽い会話に発展したりするので、私の周りには自然とクラスメイトが集まってくる。楽しい話をする子や色んな愚痴をこぼす子もいるけど皆私には優しく接してくれる良い人達だ。


「それでなんか知らんけど馬券貰っちゃってさー。馬券だよ馬券。マジウケるよね」

「ふふ、確かにおかしな話ですわね」

「あとさっきコンビニに行った時に……」


 こうして話を聞いている最中にも当然だが教室に人が出入りしてくる。そして今朝顔を合わせた狭山くんも例外ではなく、眠たそうな目をしながらやって来た。

 同時に私の心拍数も一段階上がる。部屋も隣同士で散々会っているのに、彼を見ただけで嬉しくなっちゃう単純な私。


 一方、狭山くんは大きな欠伸をこしらえてから自分の席に腰掛けた。ついさっきまでそこに私が座っていたなんて夢にも思ってないだろう。


 それから彼は机の上に置いた鞄から荷物を取り始めた…………のはいいけど、ずっと見続けたら目が合いそうになると思ったので私は視線を戻すことにした。できればもっと見ていたいけどね。


「――おばさんに「エイト要るかい?」って言われてさ。いやそれ競馬新聞ですやんって思わずツッコミたくなったんだけどー。もうあたしどんだけ馬好きに見えるのって感じでー」

「偶然だとしても凄いですわね……」

「でしょー。んで、一昨日なんか……」


 話してくれるクラスメイトに相槌を打ちつつも、意識は狭山くんから中々離れてくれない。視界の端に映る彼を見ながら「黄昏たそがれてる姿も格好良いな」とか「今日は一緒に銭湯へ行けるかな」とか、色々考えてしまう。


 しばらくすると狭山くんと仲が良い田端君がやって来て早速二人で話し始めた。気だるそうな顔をしている狭山くんだけど、ちょっぴり嬉しそう。何を話しているのかな……。


「……やむを得ない事情で俺が志賀郷の面倒を見てやってるだけだ」

「それは随分と都合の良い事情だねぇ」


 盗み聞きは良くないと思いつつも、耳を研ぎ澄ませてみる。どうやら狭山くん達は私との関係について話しているらしい。秘密をバラしている訳じゃないと思うけど……凄く気になる。


「それで……志賀郷さんはどう思う? ヤバいよね?」

「えぇ!? えっと……あはは……」


 不意に呼ばれて声が上擦る。狭山くんを意識し過ぎて目の前にいるクラスメイトの話についていけなかった。これでは怪しまれてしまうし気を付けないと……。


「じゃあ実際はどうなんだ? 志賀郷さんに興味あるの?」


 今度は田端君から衝撃的な言葉が聞こえてきた。待ってこれって狭山くんの想いが分かるチャンスだよね。絶対に聞き逃す訳にはいかない。私は全神経を耳に集中させた。


「いや、無い……訳じゃないけどそういう意味じゃないような……」

「煮え切らないなぁ。なら好きなの? 嫌いなの? どっち?」


 曖昧な回答をする狭山くんに田端君が追い討ちをかける。いいぞいいぞその調子。凄く緊張するけど私の事好きって言ってくれるかな……。

 そしていよいよ狭山くんの口から答えが出てきた。


「嫌い……ではないかな」


 えっと……。これは喜んで良いのでしょうか。でも嫌いじゃないということは私の努力次第で好きになってくれる可能性も十分ありそうだ。

 そう……狭山くんは私が嫌いではないのだから……。ふふ……嬉しいな……。


「志賀郷さんどうしたの? 顔が緩んでるけど……」

「あっ!? いや、なんでもないですわ……!」


 慌てて手を横に振って誤魔化す。ああもう、私ってば気付かぬうちにニヤけてたのですわね……。感情がすぐ顔に出るのは私の悪い癖です……。


 一先ひとまず、私のニヤケ顔についてはこれ以上詮索されなかった。何事も無かったかのように雑談が再開され、私は相槌を打ちつつ隙を狙って狭山くんを見てみる。


「……っ!」


 するとほぼ同時に狭山くんも私の方を見てきた。やばい、目が合っちゃったどうしよう!? まさか私の熱視線に気付いちゃったのかな。だとしたら嬉しいかも……じゃなくて。とにかく今は恥ずかしい!


 慌てて顔を横に背ける。また怪しまれるかもしれないけどこれは不可抗力だ。というか目が合っただけで緊張するとか、意識し過ぎだよね私……。



 やがて担任の先生といつの間にか教室から居なくなっていた田端君が戻ってきて朝のホームルームが始まる。はたから見ればごく普通の日常が始まろうとしていた。

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