第四十七話 貧乏人代表の狭山くん、お願いしますわっ!

 夏休みの終わりが近付いてきたある日の事。


 夕飯を食べ終えた後、父に呼び出された俺は実家のガレージ(と言っても砂利が広がるだけの空き地だが)に来ていた。


「いいか涼平。これは男の約束ってもんだ。決して他人に言いふらしてはならんぞ」


 クサい台詞を小声で放つ父だが、こうして俺だけを呼び出す時の流れは大抵決まっている。


「また買ったの? 望遠鏡」

「ぐっ……よく分かったな」

「毎回「男の約束」って言われたら嫌でも察するよ」


 たまには別のアプローチの仕方をしてほしいものである。まあ、そんな単純な父が嫌いではないのだが。


「なるほど確かに……。でもとにかく見てくれよ」


 父の愛車――某ミニバンのバックドアを開けて中にある段ボールが取り出される。


 天体観測が趣味の父は様々な望遠鏡を手に入れては俺に自慢してくるのだが、今回のブツはいつもより大きいようだ。父もご満悦の様子である。


「こいつの架台は赤道儀せきどうぎ式でな。狙った星が追いかけやすいんだよ」

「はあ……」

「更に自動追尾機能もあって、ここのレバーを捻ると……」

「父さん、これいくらしたの?」

「…………八万」

「高いな!」


 そんな大金がうちのどこにあったんだよ。余裕があるなら俺の生活費を賄って欲しいのだが。


「確かに高いが期間限定の三十パーセントオフだったから……。でも母さんには内緒だぞ。もし知られたら俺がしばかれる」

「分かってるよ。母さんにはバラさないから……基本的に」


 これは父の弱みとして有難く握っておくことにしよう。利用できる物は惜しみなく使うのが貧乏人の生きる知恵なのだ。


「頼んだぞ……。あと口止め料として涼平にはプレゼントをあげるとしよう」

「プレゼント……?」


 一体何が貰えるのだろうか。できれば現金が欲しいんだけど。


 不思議に思う俺に、父は愛車にもたれかかって答える。


「今から咲月さんを呼んできな。最高のデートスポットへ連れてってやる」

「……承知」


 柄にもなくドヤ顔を決める父に少々苛立つが、恋人という建前がある以上断る訳にはいかない。どうやら弱みは握れないようだな……。

 溜息を一つ零した俺は志賀郷を呼びにやれやれと引き返すのであった。



 ◆



 夜の市街地を抜けて山道をぐんぐん駆け上がること約二十分。ちょっとした空き地のような場所に車は止まった。周囲には木々しか無い山の中だが、ここが目的地のようだ。


「よし、俺の案内はここまでだ。君達はこの道をもう少し歩いて上ってくれ。そうするとあら不思議。右手に日本一日本らしい絶景が現れるからな」


 相当自信があるのか、父はまたしてもドヤ顔を決めてくる。まだ家からさほど離れていない場所だが、こんな所に絶景なんてあっただろうか……。


「おぉ……それは楽しみですわね。狭山くん、早く行きましょう!」

「腕を引っ張るなって、分かったから……」

「父さんはここで星を見てるから、お熱いお二人さんはゆっくりデートしてくるといい。……ただ、いくら人気ひとけの無い暗闇とはいえ親を困らせるような事をしたら駄目だぞ」

「絶対にしないから。絶対に」


 例え本物の恋人が相手でも屋外でピーなプレイなんてしないわ。俺にそんな度胸が無いと分かってる癖に煽ってくるのはやめていただきたいものである。


「親を困らせる……とはなんでしょうか?」

「お前は気にしないでいい。よし、さっさと見てこようか」


 小首を傾げる志賀郷を引き連れて上り坂を歩いていく。

 背後から「熱いねぇ!」というやかましい声が聞こえたが無視しておいた。



 ◆



 夜の山道とはいえ交通量が全く無い訳ではなかった。片側一車線の舗装道路だが歩道は狭く、時折猛スピードで走り抜ける自動車がおっかなく感じる。


 そんな、現実的な怖さを与える夜道ではあるが志賀郷の機嫌はどうやら上々のようだ。月明かりに映る彼女の表情は柔らかい。


「敢えて言うのもおこがましいですけど……。狭山くんは紳士的ですわね。家畜小屋のような家に住んでるとはとても思えません」

「唐突になんだよ。俺をディスりたい気分にでもなったのか?」

「いえ、そうではありません。貶す時はもっとやりがいがある時に貶しますから」

「笑顔で言うな貧乏様」


 妙に弾んだ声が怖い。家来を罵倒しまくった挙句「私の靴を舐めなさいこの下僕」とか言いそう。…………ご褒美かな?


「その……いつもの事ですけど、狭山くんは必ず車道側を歩いてくれますよね。そういう気を配れる所…………良いと思いますよ」

「そうか……。でも普通じゃない? 男の務めというか当然というか……」

「そうでしょうか……? 実際にその務めを果たしている方は珍しいと思いますわ。私が接待を受けた経験からすると、男性は気遣いなんてしないで権力でゴリ押しする人ばかりでしたからね」

「比較対象の住む世界が違い過ぎていまいち納得できないな」


 それでも志賀郷に「良いですね」と褒められるのは悪くないと思った。別に好感度を上げようとかそんなよこしまな考えは無くて無意識に働いた行動だけど、彼女が喜ぶなら俺も嬉しい。


 ……なんか俺、凄く単純な奴みたいだな。まるで父のようだ……。

 恥ずかしくなってきたので適当に話題を変えよう。


「……それにしても志賀郷って色んな人と交流してるんだなあ。接待とか俺も受けてみたいよ」


 美人のお姉さんにもてなされたい。色々と。


「あまり良いものではありませんよ。私の場合はお見合いですからね。しかも親に強制されてますし」

「お見合い……?」

「はい。志賀郷家の後継者を決める婿探しですわ」


 淡々と、それが義務であるかのように志賀郷は答えた。そうか……彼女はこれでも名家のお嬢様なのだから後継ぎも考えなくてはいけないんだよな。木場さんの情報によれば志賀郷家は復活しつつあるらしいし、婿探しとやらも再開するのかもしれない。


「そうだよな……。志賀郷も大変だな!」


 志賀郷はきっと俺なんかより何万倍も金持ちで育ちの良い相手と巡り会うのだろう。広大な土地と豪邸の中で笑顔が絶えない優雅な生活を送るのだ。俺のような庶民は絶対に辿り着けない成功者の世界線で――


「狭山くん……?」


 志賀郷のゆく道を勝手に妄想してたら彼女に顔を覗き込まれていた。


「あれ、俺の顔になんか付いてる……?」

「いえ、珍しい表情をするなと思いまして……」

「そ、そうかな。普通だと思うけど……」

「…………」


 こちらをじっと見つめたまま志賀郷は黙り込んでしまう。何か考えているのだろうか。もしかして俺の妄想を見抜いたのか……?


 しかし、沈黙の後に彼女が発した言葉は俺を苦しめるものではなかった。


「狭山くんは私の婿探しに賛成ですか?」

「え……賛成もなにも俺が口出せる立場じゃないし……」

「あくまで……そう、一般大衆の意見が聞きたいんです。親の都合で無理矢理結婚させられるのはアリかナシかを……貧乏人代表の狭山くん、お願いしますわっ!」

「誰が貧乏人代表だ」


 志賀郷の嫌味はさておき、お見合い結婚についてか……。家柄とか権力が背後にあったとしても本人の意思に反するのはやっぱり……。


「……俺は反対かな。後継ぎも大事だと思うけど好きでもない相手と結婚するのは嫌だよなぁ」

「そ、そうですか……。ふふ、やっぱり狭山くんはそう思いますわよね」


 一人で頷いてクスクスと嬉しそうに微笑む志賀郷。何がそんなに嬉しいのか分からなかったが、ご機嫌は良さそうなので余計な口は挟まないようにしておこう。


「あ、そろそろ頂上じゃないか? なんか開けてきたし」


 上り坂が緩やかになり、明かりの消えた商店が一軒見えてきた。


 日本一日本らしい絶景(父曰く)までもう少しといった所だろう。

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