第四十一話 一度行ってみたかったので楽しみ……ですわっ!

「貴方達、今日は祭りに行くでしょ?」


 夕方。実家のリビングで寛いでいた俺と志賀郷に母が声を掛けてきた。


「祭り……って今日だっけ?」

「そうよ忘れてたの? 折角だし二人で行ってきなさいな。というか行きなさい。……あと咲月ちゃんは出掛ける前に私に声を掛けてね。準備があるから」

「は、はい……」


 そっか今日は市の祭りがある日だったんだ。すっかり忘れてたが……母がやけに上機嫌なのが気になるな。準備とか言ってたし、何か企んでないといいんだけど……。


「悪いな志賀郷。祭りは人混みが凄いし暑いし屋台で売ってる物は高いし、嫌なら行かなくても大丈夫だぞ」

「いえいえとんでもない! こういうお祭りは一度行ってみたかったので楽しみですわ」

「いや、お前が思うほど魅力的ではないと思うが……」

「涼平。あんたが行きたくないだけでしょう」


 グサリと横槍が入る。流石はお母様。俺の考えをよくお分かりでらっしゃる。でも祭りってマジで何が楽しいのか理解できないんだよな。なんせコスパが悪いし。


「咲月ちゃん、うちの子は凄い嫌がってるけど、無理矢理引っ張り出していいから。駄々こねても無視で大丈夫よ」

「はい、承知しましたわ」

「おい人を子供扱いするな」


 いくらなんでもそこまで嫌じゃないっての。それに一人で行くわけでも無いし、相手が志賀郷ならまあ……行く価値はあるかなと思う。


 美少女を隣にしても何も思わない程俺は男を失ってないからな。恋愛はコスパ最悪だが歩くだけならタダだ。ここは母の言う通りの機会を利用させてもらうとしますか。



 ◆



 あの祭り嫌いな俺が重い腰を上げたというのに「お前は外で待ってろ」と家から追い出されたのは甚だ心外ではあるが、志賀郷の準備があるらしいので大人しく従うことにした。


 家の前のブロック塀に背中を預けるとじんわりとした熱が伝わってきた。昼間に吸収した太陽の光線がまだ残っているのだろう。エアコンで冷えきった体には丁度良い暖かさだ。


 ピピピッ


 ぼんやりと夕暮れ空を眺めていたら俺のスマホが鳴った。着信のようだが……。ディスプレイにはある顔馴染みの名前が表示されていた。


「よお涼平、元気してるか?」

木場きばさんどうも。電話なんて珍しいですね」


 銭湯の常連客であるガタイの良いおじさん――木場さんだ。わざわざ連絡してくるあたり、簡単な用事では無さそうだが……。


「ああ、ちょっと急ぎで伝えたいことがあってだな。今時間大丈夫か?」

「ええ、丁度暇なんで全然いいですけど……」


 木場さんの真剣な声音から察すると嬉しい知らせでは無いようだな。でも何だろう。心配になってくる……。


「まずはじめに……。この前芳子ちゃんから聞いたよ。志賀郷さんの嬢ちゃん、色々大変になってるんだってな」

「あ、はい……! すみません、木場さんには言ってなかったですよね」

「そうだな。まあ、これだけの事情があれば俺に隠すのも無理はないよ」

「ごめんなさい、疑うつもりは無かったんですけど……」


 木場さんは志賀郷の父親を知っている。だから今の状況を無闇に話したら危ないのでは、という保守的な考えで敢えて隠していたのだが、木場さんには悪い事をしてしまったな……。


「大丈夫、気にするなって。嬢ちゃんの秘密をやたら広めない為の配慮だったんだろ? それは寧ろ誇っていい。涼平も良い男になったじゃないか」

「いえ、俺なんてそんな……」

「まあ何でもいいさ。それよりも気になる動きがあってだな。志賀郷さん家の話なんだが……」


 小さい咳払いをして、ここからが本題だと言わんばかりに話を切り出してくる。


「俺の知り合いから聞いたんだが、志賀郷さんは新たな事業を始めて今は大儲けしているらしいぞ」

「え、でも……家も全部売り払ったんじゃ……」

「それも事実みたいだけどな。……まああの家の事だ。千円だった財布の中身が翌日には千億円になるなんて日常茶飯事なんだよ」

「マジっすか……」


 なにその錬金術。金持ちって魔法使いなの?


「だからあの嬢ちゃんが親父さんの元へ帰る日も近い……かもしれないな」

「志賀郷が……!?」


 そっか……。すっかり今の生活が当たり前になっていたけれど、志賀郷はかつての住処を失ってボロアパートに引っ越してきたんだよな。だから本来の家が戻れば当然だが仮の住まいは後にすることになるだろう。


 もしそうなれば俺が志賀郷にできることは何も無くなる。カップ麺を食べさせたり一緒に満員電車に乗ったり銭湯に行くこともない。ようやく自分だけの貧乏暮らしが帰ってくるのだ。膨大な食費に悩まされることもないし良い事づくめじゃないか……と以前の俺なら思っていたはずだ。でも今は素直に喜べなかった。


「まああくまで俺の推測だが。でも安心しろ涼平。志賀郷家は凡人の予想を平気で裏切る奴だからな。きっととんでもない行動をしでかしてくれるはずだ」

「いやそれはそれで怖過ぎますって」


 娘を追い出して夜逃げしてる時点で常軌を逸していると思ってたけど。志賀郷の両親ってマジでとんでもない人なのだろうか。先行きが不安すぎる……。


「よし、じゃあ用件は伝えたから電話切るぞ。嬢ちゃんとラブラブできるのも今だけかもしれないぜ?」

「だから俺と志賀郷はそんなんじゃ――」


 弁明する前に通話は切れてしまった。あのオッサン、言うだけ言って逃げやがったな。今度会ったらコーヒー牛乳一杯奢ってもらおうか。


 ホーム画面に戻ったスマホを睨みつつ、今の衝撃的な会話を振り返ってみる。


「志賀郷が親元へ帰る、か……」


 いつまでもこの生活が続けられないのは分かってる。今の志賀郷は貧乏だけどお嬢様には変わりは無い。俺なんかと違って家柄がある。彼女には戻るがあるのだ。


 もし志賀郷がボロアパートを後にしたら、今の関係は全てリセットされてしまうのだろうか。俺と関わる必要も無くなるし、以前のように学園一の美少女お嬢様として八方美人な振る舞いを俺にも向けるのだろうか……。


 それは嫌だな。


 身勝手な考えなのは承知の上だが、俺はもっと志賀郷の素の姿を見ていたい。不貞腐れた顔や遠慮なく不満をぶつける声、感情に素直な所をこの目で焼き付けておきたかった。

 でも理由はよく分からない。今の生活を続けたいという思いだけが先行して、事の発端は自分でも見つけられなかった。


「涼平。待たせたわねー」


 背後から母の声が聞こえてくる。さて、思い悩むのはこの辺までとしますか。これから志賀郷と祭りに行く訳だし、暗い顔をせずに楽しまないとな。明るく前向きに考えるのは貧乏人にとって重要な生きる知恵だ。


「ったくわざわざ外に追いやって――」


 不満を漏らしながら玄関の方へ振り向く。そこにはニヤニヤと笑う母と――予想を裏切る志賀郷の姿に俺は言葉を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る