【番外編】貧乏お嬢様と市民プール Part02

 大盛況の市営プールで俺達は比較的人の少ない二十五メートルプールに来ていた。なんでも志賀郷が泳ぎの練習をしたいらしく、俺は教える側になったのだが……。


「これは酷いな……」


 志賀郷の泳げなさ具合は想像以上だった。まず身体が沈んでしまうので泳ぎ方やバタ足以前の問題である。この前学校で溺れかけたのも納得のカナヅチだ。


「私はどうすれば良いのでしょうか……」

「とりあえず身体を浮かせないと泳げないからな。腰を曲げないで全身をピンと伸ばすんだ」

「うぅ。怖いですわね……」


 すっかり弱気の志賀郷だが、それでも諦めずに前へ進もうと努力していた。以前と比べると粘り強くなった気がするな。貧乏根性が身に染みてきた証拠だろうか。


「やっぱり腰が曲がってるな……。力を抜いて怖がらずに……もう一回」

「は、はい……」


 言葉だけで伝えるのは難しい。直接支えながら教えたら早く上達しそうだけど、水着姿の身体に触れるなんてセクハラ同然だろう。下心があるのではと勘違いされて侮蔑されるのは嫌だしな……。


「あの、狭山くん……!」

「……どうした?」

「狭山くんさえ良ければなんですけど……。私、どこが悪いのか全然分からないので、曲がってる所を伸ばしてくれませんか……?」


 俺の心情を察したのか定かではないが、志賀郷の提案に俺は驚いた。マジかよ触ってもいいのか……ってやましい気持ちがある訳じゃないぞ。単に志賀郷から頼んでくるとは思わなかったからな。


「俺は平気だけど……。別に無理はしなくていいからな?」

「わ、私は大丈夫です……! ではいきますわよ……」


 あまり大丈夫そうな顔じゃない志賀郷は再び水中に身体を沈める。これは……言われた通りにするしか無さそうだな。


 彼女の腰や膝は案の定曲がっていたので、俺は両腕を使って体勢を支えつつ全身が浮くように整えていく。


「こんなもんか……」


 軽く肌に触れた程度だったが、志賀郷の上達は速く、既に自力でぷかぷかと水に浮けるようになっていた。結局俺の助けはほぼ要らなかったな。ちょっと残念……なんて思ってないぞ。うん、断じて。


 それにしても……。志賀郷の肌は綺麗だよなあ。真っ白でシミ一つ無くてつい目を奪われてしまう。艶やかで神々しさを放つ金髪にもよく合ってるよなぁ……。


「ごぶ………はぁ、はぁ……。狭山くん、どうでしたか?」

「お!? おう、いい感じだったぞ! 今の感覚でいけばきっとすぐに泳げるようになるよ」


 俺は少々意識が遠のいていたのだろうか。既に体勢を戻していた志賀郷に慌てて答える。


「ん……? どうかされまして?」

「いや、なんでもない!」


 素肌が美しくて見惚れてましたなんて口が裂けても言えない。

 でも……こんなとびきりの美少女を見るなと言う方が無理だろう。現に今までも志賀郷に向けられる視線が多い気がするし……。


「まああれだ……。お前はもっと危機感を持った方がいいぞ」

「え、あ、はい……。でもそうですわね。この歳になっても泳げないなんて恥ずかしいですから」


 いやそういう意味じゃないんだけどな……。でもいいか。今日は俺が傍にいるから問題無いだろう。別行動をしたりしなければ……志賀郷の安全は守れるはずだ。



 ◆



 それからしばらく練習を重ね、バタ足で泳げる程度に成長した頃――


 せっかく遊びに来たのに練習ばかりしてもつまらないという事で一先ず場所を移動することになった。


「私あれやりたいですわっ!」


 志賀郷が指差したのは高台から縦横無尽に伸びる巨大なパイプ――ウォータースライダーだった。真っ先にあれを選ぶとは……意外にもアクティブな奴だな。


「結構並ぶと思うけど大丈夫か?」

「ええ。権力と財力が無い以上、欲しい物を手に入れるには相応の努力が必要だと承知してますわ」

「分かってるならいいが、言い方が非常に腹立つ」


 ドヤ顔の貧乏お嬢様を睨む一般庶民。くそ……身分の違いで優遇される格差社会が憎らしいぜ……。


 それから俺達は賑わいを見せるスライダーの近くまで来たのだが――


「うわぁ、かなり並んでるな」


 順番待ちをしてる間に日焼けで黒くなりそうな程に列は連なっていた。ただ、スライダーは何種類かあり、何故かほとんど並んでいないものもあった。


「あちらは空いてますわね」

「『 二人乗り』か……。まあ俺達二人だけど……」

「おぉ、なら丁度良いではありませんか。そちらに乗りましょう!」

「あ、ちょっと待って」


 すたすたと先に進む志賀郷を慌てて追いかける。確かここの二人乗りのウォータースライダーって乗り方がマズかったような記憶があるけど……。気のせいだろうか。



 ◆



 階段を使って高台まで上り、いざ俺達の番になった時に分かった。


 気のせいじゃなかった。


 二人乗りの場合、一人が浮き輪を掴みながら前に座り、もう一人が後ろから抱き着くように乗らなければならないという。その為、このスライダーを選ぶのは若いカップルぐらいしかおらず、お陰で空いていたのだろう。


 不覚だった。しかもよりによって志賀郷が相手だとは……。係の人の呼び掛けもあるし今更引き返すことはできなさそうだ。あぁ、滑り台を使わずにこのまま飛び降りたい……。


「さ、狭山くん……。私はやっぱりう、後ろでしょうか……」


 まさかの事態に志賀郷の顔も真っ赤だ。こうなったらもう……周囲から笑われるかもしれないが関係ない。彼女が嫌がることだけは絶対に避けないと。


「いや、前に座って一人で滑ってくれ。俺は下に降りて待ってるからさ」

「え……そ、そういう訳には」

「好きでもない奴とくっついて滑りたくないだろ? せっかく遊びに来たんだし楽しまないと」


 多くのカップルに囲まれる中でこのセリフを言うのは辛い。「なんだよアイツ嫌われてるのか」なんて思われても致し方ないだろう。でも……それでも俺は志賀郷の意志を尊重したいと思う。


「わ……私は大丈夫ですよ。…………楽しめますから」

「気を遣う必要はないぞ。俺は別に平気だから」

「気なんて遣ってませんわ! ほら速く……狭山くんは前に座ってください」


 あれ、絶対嫌がると思ったのに……。俺は志賀郷に背中を押されてされるがままに二人乗りの浮き輪に乗り込む。そして間を置かずに志賀郷が後ろから……密着した。


「はい、スタートー。行ってらっしゃーい」


 係員の気だるげな声と共に縦長の浮き輪は滑り出した。おいおい待ってくれ。俺まだ状況を理解してないんだけど!


 水しぶきを上げながら右に左に大きく傾きつつ降下していく。そして後ろには暖かな体温と感触がこれでもかと伝わってくる。今俺は志賀郷に抱き着かれているんだよな……? 彼女の天然記念物並に美しい肌が場所によっては直に……布切れ一枚すら挟まずに触れているのだ。更に背中にはきっと彼女の豊満な胸が当たっているのだろう。……いやいやこれヤバいって。色恋沙汰なんて無縁の俺には刺激が強過ぎる。


 浮き輪が大きく揺れる度に志賀郷の抱く力が強くなり、俺の脳内が真っ白に塗り替えられていく。楽しんでる余裕なんて一ミリも無かった。


 そしてあっという間にゴール地点のプールへ着水し、背中の暖かさはどこか遠くへと消え去った。ああ、まだ緊張がほぐれない……。


「た、楽しかったか……?」

「ええ…………。そうですわね……」


 とりあえず声を掛けるも、志賀郷は俺と視線を合わそうとせず、距離も少々置かれてしまった。まさか嫌われた……のか? でも志賀郷には一人で滑るという選択肢もあったのだ。それなのにこんな本物の恋人みたいな事をしたのだから、実は俺が好きなのではないかと……。


 ――ってそれは無いよな。現に志賀郷はこちらを見向きもしないし、きっと彼女の誰に対しても優しくするという八方女神が生み出した天然の賜物だろう。


 でもそうなると志賀郷はどんな男だろうが女だろうが誰にでも抱き着くのか……?

 超越した考えなのは分かっているけど、彼女の優しさを悪用する輩が出てこないか心配だ。いくら箱入りのお嬢様だったとはいえ、危機感が足りなさ過ぎるのではないだろうか……。



 それからいくつかのプールに入って周り、飯も食べたのだが志賀郷はやはり意図的に俺から離れているようだった。声を掛けても素っ気ない返事しかしないし目を逸らされてしまうのである。


 やっぱり俺嫌われたのか……? でも隣にはいてくれるし(距離はあるけど)拒絶はしていないと思う……。


 志賀郷の謎の態度に悶々とするが、真相は分からず終いだった。

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