第四十話 頭を上げてください……ですわっ!

「……どこまで聞いてた?」

「えっと……。裏は無いとか、その辺りから……」

「ほぼ全部じゃねぇか」


 志賀郷にだけは聞かれたくなかった発言を丸ごと全て聞かれ、絶望に打ちひしがれている今。部屋には俺と志賀郷しかおらず、逃げたくても逃げ出せない状況だった。


「席に……失礼しますわね」


 薄ピンク色のパジャマを身に纏う志賀郷は俺の向かい――ではなく隣の椅子に腰掛けた。二人で話すのなら対面の方が良いと思うが……。


 というか近い。湯上がりで暖まった彼女の身体から体温という名の熱が伝わってくる。頭にぺたりと張りついた髪はまだ乾ききってなくて妙に色っぽく映った。


 互いに俯いたまま沈黙。涼しくて快適だったこの部屋は緊張で張り詰めた空間に一瞬で変わってしまった。


 しかし志賀郷は何故隣に座ったんだ……? 先程やらかした俺の失態に呆れているのか、それとも怒っているのか……。ともかく、黙っていては気まずいだけなので謝っておこう。


「さっきは悪かった。滅茶苦茶な事言って……。実は俺の親って金持ちが嫌いでさ。言い訳してただけなんだけど……すまん」


 体を向き直して頭を下げる。嫌われただろうか。だとしたら寂しいな……。最初は驚いたし人助けなんてするつもりは無かったけど、今は不思議と満足してたりするんだよな。できればもう少しだけ志賀郷の側に居たかったのだが……。


「あの……頭を上げてくださいっ!」


 ところが、志賀郷は俺を蔑んだり罵倒したりしなかった。恐る恐る顔を上げると、瞳を潤ませながらもしっかりと俺の目を捉える志賀郷がいた。


「何故狭山くんが謝るのですか!」

「だって……。俺が勝手に志賀郷を分かった風に言ったから……」

「そんなの謝る理由にならないじゃないですか」


 語気と目力を強めた志賀郷に反論される。優しいな……。本当に人を傷つけないし女神みたいな奴だ。


「謝るなら私の方です。盗み聞きするつもりは無かったのですが、部屋に入るタイミングを失ってしまって……」

「いや志賀郷は全く悪くないよ。全部俺の責任だからさ」

「はぁ……。そうやって何でも抱え込むのは狭山くんの悪い所ですわ」


 今度は志賀郷に呆れられてしまった。そういえば夏休み前に先生にも同じような事を言われたな。


「別に俺は無理してないし、当然の報いだと思ってるけどな」

「駄目です。狭山くんはもう少し他人の事を考えてください。心配になる人だっているんですよ? 狭山くんのご友人とか、四谷さんとか。あと……」


「私とか……」と最後に小さ過ぎる声で呟いた。それから志賀郷は手元のバスタオルで口や鼻を覆ってしまったので表情こそ汲めなかったが、非常に分かりやすい照れ隠しなので俺はつい吹き出してしまった。


「何がおかしいですの?」

「いや、相変わらず単純だなと思って」

「……馬鹿にしてますの?」

「違う違う。寧ろ尊敬してるよ」

「本当ですかね……」


 細めた目で睨まれる。しかし顔の大半はタオルで隠したままなので、なんというか……小動物的な可愛さを感じた。


「まあ、結果的に良かったのかもしれないけど勝手な事を言ったのは謝らせてくれ

 。あと…………心配してくれてありがとう」

「そ、そんな……っ! 別に私はそこまで気にかけていた訳じゃない……ですのよ! それにお礼なら私に言わせてください」


 少し怒っているようで、それでも慈愛に満ちた眼差しを向けながら志賀郷は続ける。


「私を庇ってくれて……ありがとうございました。金持ちってやっぱり嫌われ者ですよね」

「大体は嫉妬だと思うけどな。俺ら庶民にとっては憧れの存在だからなあ」

「私からすれば、狭山くん達の自由さが羨ましいと感じますけどね」

「そりゃどうも」


 自然と互いに笑い合う。

 ――金に困らなくなれば間違いなく幸せになれるかと問われれば真っ直ぐ首を縦には振れないだろう。昼間に志賀郷が話してくれた通り、金持ちには金持ち同士の争いがあって、欲しい物が何でも手に入るとは限らない……。そう考えると、単なる嫉妬で金持ちを敵視するのは愚かな考えだと思う。経済面だけではなく心まで貧相になるのは流石に御免だからな。


「あと……。先程狭山くんが仰ってたのは適当なんかじゃないです。こんなに私を理解してくださっているなんて思ってませんでした」

「理解だなんて、そんな……」

「謙遜しなくていいですよ。私ってほんと他人行儀で周りの顔色ばかり伺って生きてきましたから……。だから私の事を素直って言ってくれた時は嬉しかったです。親にも言われた事無いですからね」


 自嘲気味の笑みを浮かべる志賀郷。

 嬉しかった――彼女からその声を聞けて良かった。今までの行いが報われた気がする。


 しかし考えれば単純な話だったのかもしれない。俺の性格を志賀郷が理解してくれた時は嬉しかったのだ。だから志賀郷も同じ立場になって同じ感情を抱くのはおかしくないだろう。


 ただ……声に出して嬉しい、なんて言われると恥ずかしいな。


「えーっと……。お茶でも飲むか。暖かいのと冷たいの、どっちがいい?」

「はい、では……冷たい方で」

「了解」


 志賀郷の隣に居るのが気まずくなり、席を立つ言い訳を作る。

 しかしキッチンに向けて歩き出したところで彼女に呼び止められた。


「狭山くんはどうしてそんなに優しいんですか?」

「え……?」


 素っ頓狂な声が漏れる。今のは不意打ちにも程があるくらいの質問だろう。そもそも志賀郷に優しくした覚えは無い。

 だが、反射的に頭に言葉が浮かんだのでそれをそのまま口にした。


「俺は俺のしたいようにしてるだけだよ」

「そうですか……」


 答えになっていないかもしれないが、嘘偽りの無い俺の言葉だ。


 過去も、そして今も俺は自分のしたいように道を選んで過ごしてきた。わざわざ上京して名門高校に進学したのも親の薦めなんかではなくがそうしたかったから。


 人間関係だって同じだ。志賀郷みたいに誰でも愛想を振りまけるほど俺はできた人間じゃない。嫌いだと思った奴には無慈悲な応対をするだろうし、つるんでも良い奴にはそれなりの相手をしてやるだけ。しかも自分の利益にならない行動は基本的に取らないという冷酷っぷりだ。


 ただ……。志賀郷に対してはどうもその冷酷さが発揮できないというか、心の中で妨害されている気がするんだよな。特に最近は調子が狂っている気がしてならない。


「やっぱり……狭山くんは優しいですわね」

「おい、話聞いてたのか?」

「ええ、ばっちり聞きましたよ。ほんと狭山くんは……ふふっ」


 志賀郷は再びバスタオルで口元を隠して照れくさそうに微笑む。

 だからその無邪気な顔を俺に見せるのはやめてくれ――――可愛すぎるから。

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