第三十九話 その、彼氏……だからなっ!

 日が落ちて月明かりが夜を照らす頃。

 俺は一人、ダイニングテーブルの椅子に腰掛けていた。特に何をするという訳でもなく、ただ座りながらぼんやりと天井を眺めてみる。


 部屋に流れるのはエアコンの冷風と稼働音くらいで静かで心地良い空間だ。このまま一眠りしたい気分になるが、背後から聞こえる微かな物音が睡眠欲を邪魔していた。


 時折、風呂場からお湯が跳ねる音。今は志賀郷が入浴中なのだ。あの気品溢れる(元)お嬢様が俺の実家の風呂にあられもない姿で――

 使い慣れたシャワーヘッドや浴槽を志賀郷が触れていると考えるだけで俺の思考回路はパンク気味になっていた。さらに気持ちが落ち着かず興奮を抑えきれないでいる。変態かよ俺は。


 しかし最近の俺はどうにも調子が狂っている。志賀郷に対する見方が変わったというか、妙な下心が出ているというか……。このままでは志賀郷に迷惑が及ぶかもしれないし、なにしろ嫌がられる恐れがある。それだけは避けたいと思った。


「どうしたもんかなぁ……」


 恋人のフリをするという無茶な演技が原因なのか分からない。だが、夏休みが終わればまた元通りになる……とは思えなかった。


 煩悩にまみれた俺が変わらないと事態は悪化するだけだろう。余計な欲は捨てろと思い続けた結果がこれなのだから、いい加減本腰入れて意識を変えないと駄目だよな。



「あら、涼平ここにいたのね」


 バスタオルを抱えた母が居間に入ってきた。因みに一番風呂を志賀郷にさせてその後に母が入るらしい。俺は一番最後にしておいた。


「エアコン効いてて涼しいからな」

「それもそうね」


 最低限の相槌だけした母は俺の向かいの椅子に腰掛ける。恐らく話したい事があるのだろう。おおよそ見当は付いているが……。


「京星学園の生徒って美男美女しか入学できない学校だったっけ?」

「…………もしそうだったら俺入学できないだろ」

「それもそうね」

「いや少しは否定して?」


 同じ相槌で返さないでよ悲しくなるから。そりゃ顔立ちは整ってないけどさ、親ならお世辞でも美男と言ってほしかったな。


「じゃあ……。あの子――咲月ちゃんは学校でも凄く可愛い子として見られてるの?」

「まあ……否定はしない」


 正直、学園で一番可愛い奴ではないかと思う。それもダントツで。……恥ずかしくて口には出さないけど。


「そう……。でも驚いちゃったわ。まさか涼平があんな女の子を連れてくるなんて思わなかったから」

「……だろうな。驚くと思ったよ」

「告白したのはやっぱり涼平からだったの?」

「…………まあな」


 付き合っていないとは言えないので適当に誤魔化す。流れからすれば俺が志賀郷に猛アタックをかまして落としました、と言った方が自然だよな。志賀郷から告白してくるなんて絶対に有り得ないし。


「凄く礼儀正しい子だし、愛想つかされないように頑張りなさいよ」

「へいへい」

「それでね、私は二人の仲を精一杯応援したいし、水を差すつもりはないんだけど……」


 穏やかだった母の表情が曇る。なるほど。ここでようやく母の意図が掴めた。後に続く言葉も容易に想像できたのだが――俺は後悔した。見逃していた難点に気付いたのだ。


「あの子、良い所のお嬢さんよね?」


 まるで俺に問い詰めるように母が言い放つ。

 俺が見過ごした穴――母が大の金持ち嫌いということだった。


「…………ああ、その通りだよ」


 否定なんてできない。あれだけ上品な所作をして神々しいウェーブ髪を見せつけておいて実は貧乏人なんて言えるはずがなかった。

 現状、親に見捨てられてるので金持ちでは無いのだが、事実を言ったら面倒臭さが面倒臭さに絡まってスーパー鬼面倒臭さになるので、やはり誤魔化すのが無難である。


 しかしながら、今の状況も十分面倒臭い。

 母曰く、金持ちはずる賢く他人に冷たくてケチ。ケチだから金が貯まるんだ、と自論を展開して世の政治家や資産家に愚痴をこぼしていた。


 だから俺が金持ちの娘と付き合うなんて言ったら当然口を挟んでくるだろう。事前に対策を打っておけば良かったが詰めが甘かったな。


「大丈夫だと思うけど……大丈夫なの?」

「どっちだよ」

「裏は無いでしょうね?」

「……当たり前だろ」


 一瞬背筋が凍った。母の想像とは違うだろうが裏は大アリである。なんせ俺と志賀郷は付き合ってないのだから。


「見た目は優しそうでも密かに企んでる人だっているのだから気を付けるのよ」

「志賀郷に限ってそれは無い」

「今は良くても将来は分からないわよ。あの子のご両親の考えもある訳だし」

「仮に企むような事があれば親でも誰でも俺が抗議してやるよ」


 母はどうしても志賀郷を疑いたいようだ。だが志賀郷は悪巧みをするどころか身勝手な両親からの解放を願っているのだ。それなのに疑うなんて……。俺は少々苛立った。


「志賀郷は偽善者なんかじゃない。ちゃんとした信念を持ってる奴だ」

「あら、きっぱり言い切れるのね」

「もちろんだ」


 まだ半年も経っていないが俺は志賀郷と生活を共にしてきた。あいつの好きな事、性格や考え方もある程度は理解しているつもりだ。だからこそ俺は言ってやりたい。


「志賀郷は驚くぐらい素直なんだよ。無防備だし危なっかしい所もあるけど……。冷静な判断はできる奴だ。それも、自分の為じゃなくて相手が傷つかないような道を選ぶ。常に他人の顔色を伺い、誰にでも優しくするけどな……」


 俺には怒ったり文句も言ったりするけど。だがそれは志賀郷の素の姿であり、絶対に守らねばならない核だと思っている。


「他人を第一に考えるから自分を持ってないんだよ。意志を晒すのが怖くて臆病になってるんだ。……だから俺が支える。志賀郷の邪魔をする奴は俺が蹴っ飛ばしてやる。その…………彼氏、だからな」


 流れに任せて喋ってしまったが、普通に恥ずかしい事を言ったよな? 他人の性格をべらべら話すなんて気持ち悪いし……志賀郷には絶対に聞かれたくない内容だ。


「そう…………」


 母の表情は一変して柔らかなものとなっていた。何はともあれ説得はできたようだ。恥ずかしかったが無駄にはならなかったようだな。


「涼平もお父さんの血をちゃんと受け継いでいるわね。安心したわ」

「……どういう意味だ?」

「似てるのよ。なりふり構わず突き進むところが」


「昔を思い出すねぇ」と付け加えた母は椅子から立ち上がり部屋を後にしようとする。


「涼平。ちゃんと有言実行するのよ」

「……ああ」

「じゃ、私はお風呂に入ってくるわね」

「いや……まだ志賀郷が入ってるだろ」

「ふふ……」


 俺の問いかけに母は笑うだけでそのまま部屋を出ていってしまった。どういう事だ? まさか志賀郷と一緒に風呂を……!?


 心底つまらなくてどうでもいい妄想が一瞬頭をよぎり溜め息を零す。さて、お茶でも飲んで気持ちを落ち着かせるか……。


 台所へ移動するべく体の向きを変える。しかし行く手は早速阻まれることになった。



「……志賀郷!?」


 扉の先――バスタオルに顔を半分埋めた志賀郷がこちらを覗き見ていたのだ。


「さ、さや……ひゅっ!」


 ビクンと体を震わせた志賀郷が言葉にならない声を漏らす。全身が真っ赤に染め上がっているが、きっと湯上がりの所為ではないだろう。


 さっきの話、絶対聞いてたな……。最悪だ……。


 俺は社会的な死を覚悟した。

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