第三十八話 こうなったら仕返し……ですわっ!

 昼食をとった後、俺は志賀郷に家の案内をしていた。しかし平屋の狭い我が家では一瞬で終わってしまう訳だが。


「凄いです。本当に家にお風呂がついているのですわね……」

「だから普通の家にはあるって言っただろ」


 いつの日だったか、冗談混じりに「コンパクト重視な家には風呂が無い」なんて言ったこともあったが、まさか本気で信じてたハズでは……ないよな。

 それにしても、あの頃の志賀郷はまだ貧乏生活に馴染めてなかったんだっけ。わずか数ヶ月前の出来事だが懐かしい記憶に思えてくる。


「それで……狭山くんのお部屋はどちらにあるのでしょうか」

「ああ、そうだな……」


 自分の部屋を案内するのはなんとなく恥ずかしくて最後に残してしまっていた。別にやましい物は無いしさっさと紹介してしまおうか。


「……こっちだ」

「はいっ!」


 ご機嫌の良い志賀郷を背後につけて俺は古びた木の開き戸をゆっくり開けた。



 ◆



「ここが狭山くんの……部屋……」


 今住んでいるボロアパートよりも生活感のある部屋の中を志賀郷は興味深げに見回していた。こいつはいつもそうだが、俺の部屋に入っても全く動揺しないんだよな。男の本性を知らないというか危機感が無いというか……。今までかなりの大人に守られていたのがよく分かる。


「大したものは無いけどな。…………エロ本とか」

「エr……!?」


 志賀郷は実に分かりやすく、顔を赤くしてあわあわとたじろぐ。最初にボロアパートへ招き入れた時と反応が変わらないな。…………まあ、耐性がついて慣れまくっていたら怖いのだが。


「……面白い」

「ちょっと人の顔を見て笑わないでくださる?」

「悪い。でもあまりに単純だったから」

「なぬぅ……。こうなったら仕返しですわ」


 今度は怒っている志賀郷がこちらを睨みながら片腕を上げる。そして人差し指を俺の頬に当ててきた。


「狭山くんは意地悪です」


 彼女の柔らかな指で頬をつついてくるのだが……。なにこれ恥ずかしい。しかも顔が近い。甘い香りも漂ってくるし、何も抵抗できなくなる……。


「ごめんなさい」


 もはや降参するしかなかった。少しからかってやろうと思ったのに、ことごとく負けてしまった。まさか反撃してくるとは思わなかったな。


「分かればよろしいのです」

「はい……」


 先程までの余裕はどこへ行ったのか。俺は素直に白旗を上げると、志賀郷は満足そうに踵を返して部屋の探索に移った。



「これは……。卒業アルバムですか?」


 しばらく辺りを物色していた志賀郷がある一点を見つめていた。そこはすっかり埃をかぶった学習机の棚だった。


「そうだな。多分小中学校のやつだと思うけど……」

「見てもいいでしょうか?」

「いや……別に面白いものは写ってないぞ」


 そもそも見られるのが恥ずかしいので、何とかして断りたいところだが……。


「それでも私は気になりますわ。狭山くんのような低所得層の苦しい暮らしぶりは私も知っておきたいですし」

「なるほど。貧乏人に寄り添ってくれるのは有難い。ただ、言葉を選んでくれないか」


 今更傷つかないけどさ。もう少し俺に対して優しくしてくれても良いんじゃないのかな。


「あら、失礼しましたわ。白昼堂々と浮気をする苦学生さん♪」

「お前確信犯だろ」


 しかも彩音ちゃんの件は関係ないし。というか浮気じゃないし。


 それから、得意げな顔で勝利に酔いしれる志賀郷はそのまま棚にある本に手をつけた。あれは小学校の卒業アルバムだ。


「さて、狭山くんの過去を暴いていきましょうか」


 机の上は散らかっていたので、志賀郷は地べたに座りカーペットの上でアルバムを広げる。見るなと言っても見そうな雰囲気だったので、諦めた俺は隣に座って様子を眺めることにした。


「お手柔らかによろしく」

「ふふ、では参りましょう……」


 楽しげに微笑む志賀郷は表紙から一ページづつ丁寧にめくっていく。



「あ、これ狭山くんですか?」

「…………だな」


 クラス毎の顔写真が載ったページに俺が写っていた。なんとも面白味のない真顔である。


「おぉ……。可愛い、ですわね……」


 写真をまじまじと見つめる志賀郷が小声で呟く。俺は反応に困った。

 そもそも女子の言う『可愛い』は男が想像するソレとは違う場合があるのだと聞いたことがある。とりあえずノリで可愛いと言ってみるとかそんな軽いものらしい。……まったく理解ができないが。


 結局、俺は黙り込むというベターな対応で難を乗り切ることにした。


「あ、これも狭山くんですか? 転んでますよね、ふふ」

「笑うな。恥ずかしいから」


 それからも志賀郷は俺を見つける度に指をさして笑って楽しんでいるようだった。

 ……というか本当に楽しそうだ。子供のように無邪気に笑っている姿はとても可愛らしく、視界に入るだけで胸が高鳴ってしまう。ここまで喜んでもらえるなら卒アルぐらいいくらでも見せていい、と思える程度には俺の思考は傾いていた。


「自由というか、伸び伸びした感じがアルバムから伝わってきますわ」

「そうか? 普通に小学生やってただけだと思うけど」

「その普通が良いんですよ。……正直羨ましいです」


 ページを捲る手を止めた志賀郷が優しく微笑む。先程までの無邪気さと違って哀愁漂う大人びた雰囲気が出ていた。


「私が通ってた小学校は社長や資産家の子どもしかいないような所だったのですけれど、規律が厳しくてこんな呑気に笑える学校ではありませんでしたわ」

「そっか……。金持ちの世界は息苦しそうだな」


 志賀郷が俺のような庶民生活を強いられても平気な理由、そして興味を持っているのは恐らく彼女の過去が関係しているのだろう。今まで辛い経験をしてきたから、経済的立場が違う人間に希望を抱いていたのかもしれない。


「ええ。ろくな世界ではありませんわ。両親から家の後継ぎの為に色々叩き込まれ、家柄の異なる同級生は敵視するように言われてましたの。もちろん私の意思は無視されてますわ」

「ひでぇなそれ。子どもは親のあやつり人形じゃないのに」


 金には困らないのだから、欲しい物は何でも手に入って悠々自適に暮らせるのだと思っていたが、そうとは限らないのか。年端もいかない子を大人のエゴで振り回すなんて……。前から考えていたが、志賀郷の親は娘を何だと思っているのだろうか。純粋な愛情は無かったのかと問いたい。


「その通りですわね。私は私として生きたいのです。ですから、狭山くんや四谷さんや銭湯の方々とか……。明日を生きる為に働いている人達って素敵だと思いますの。自分の為に行動している、行動できるのが私は羨ましいと感じますわ」


 志賀郷の表情は柔らかかった。だが、部屋の照明の問題なのかどことなく影が見られて寂しげな印象を与えていた。


 生きる為に働くなんて当たり前だと思ってたし、自分の夢や目標の為に行動するなんて至極当然だろうと考えていた。

 でもそんな当たり前ができない人がいる。大きな縄で縛られ、振り回され、意味も分からず外に放たれた奴がいる。


 そして、それを突如出迎えた貧乏人はどう答えるか。


「安心しろ。好き勝手できるように俺も協力してやるから」


 今までと変わらない。家賃三万円の風呂無しボロアパートに引っ越した志賀郷にカップ麺を与えて、困っていたら手を差し伸べるだけだ。


「……狭山くんらしい答え方ですね」


 手を口元に当てておかしそうに笑う志賀郷。

 俺らしい……か。確かに自分でもそう思うし、志賀郷の口から言ってもらえて俺は凄く嬉しかった。

 だが同時に羞恥もこみ上げてきて視線を誰も居ない壁に移した。


「どうされましたか?」

「…………なんでもない」


 志賀郷の純粋過ぎる問いに俺は首を横に振って返す。

 性格を理解してくれたのが嬉しかった、なんて恥ずかしくて言えないじゃないか。

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