第三十七話 手土産も何も無くて恐縮……ですわっ!

 実家のインターホンを押すのにここまで緊張した事が今まであっただろうか。鍵はあるのでそのまま家に入ってもいいのだが、今日だけは特殊だ。両親に志賀郷彼女を紹介せねばならない。


「意外と普通のお家なのですわね」

「一体どんなのを想像してたんだよ……」


 戸建ての我が家をぐるりと見回した志賀郷がポツリと呟く。いくら貧乏とはいえ生活には困らないレベルなので、風呂が無いとか底が抜けるといった心配は無い。

 ただ、緊張で顔が引きつっている志賀郷を見ると冗談で言ったようには思えなかった。純粋に実家のに驚いたのだろう。


「ドキドキしますわ……」

「そうだな。でもこういうのは勢いが大事だ」


 いつまでも玄関前で突っ立ってても仕方無いからな。俺は片腕を伸ばしインターホンに指を当てた。


 家の中から馴染みある呼出音が聞こえてくる。そしてしばらくすると玄関の扉が開いた。


「おかえり〜。あらあら、わざわざ来てもらってありがとねぇ」


 母がよそ行きの甲高い声で出迎えてきた。実家なのに客人として迎えられたような気分だ。


「こんにちは。志賀郷咲月と申します。こちらこそわたくしめの為に貴重なお時間を割いてくださりありがとうございます」


 丁寧な言葉と見惚れるほど美しいお辞儀を見せる志賀郷。やはり元お嬢様なだけあって、このような挨拶は手馴れているらしい。そんな抜かりのない仕草を見ると俺も益々緊張してしまう。本当に彼女を紹介するかのようだな……。


「そ、そんな畏まらなくていいのよ? ほら、外は暑いし早く上がりなさい」

「ありがとうございます。あの……手土産も何も無くて恐縮ですが……」

「いいのよ全然! ……もう、涼平とはまるで正反対の良い子ね」


 正反対は言い過ぎだぞ母さん。俺だってそんな無礼な人間では無いと思うのだが。


「お邪魔します……」


 もう一度丁寧にお辞儀をした志賀郷は母と俺に続いて家の中に入っていく。今この瞬間だけを切り取れば、志賀郷はかなり育ちの良いお嬢様になるだろうな。



 ◆



 リビングに入ると、テレビを見ながら休日の一時を過ごす父とテーブルに所狭しと並べられている料理が目に入った。時間的に昼ご飯なのは分かるが、いつもと全然違う……。


「どうしたんだよこの量。めっちゃ豪華じゃん」

「そりゃあ彼女連れてくるって言うんだから最初くらい張り切らなきゃダメでしょ」


 キッチンから大皿を持ってきた母が答える。見たところコロッケのようだ。他にも唐揚げやサラダ、スープ等、多種多様な料理……。一体いつから準備をしていたのだろうか。こんな豪勢な振る舞いは初めてだぞ。


「おぉ……!」


 何故か志賀郷も感激しているようだった。庶民の飯なんてたかが知れてますわ、なんてマウントを取ると思いきや予想外の反応である。


「聞きたいことは山ほどあるけどまずは皆で食べましょ」

「ああ。母さんが作ってくれた料理が冷めないうちにいただくとしよう」


 両親の提案に俺は頷き、テーブルを囲むようにそれぞれが席に着く。志賀郷は姿勢良く座っていたが、顔の引きつり具合は相変わらずだった。



 ◆



 こうして早速昼食タイムに入ったのだが、志賀郷は盛られたご飯とおかずを一通りつまむと早々に箸を置いた。


「もう腹いっぱいか?」

「えっと……」


 声を掛けても志賀郷は苦笑いを浮かべるだけで明確に答えてくれない。

 これは間違いない――――遠慮してるな。さっきまで次々と料理に箸をつけていたし味がマズかったという訳では無いだろう。八方女神な志賀郷らしいやり方である。


「母さん、志賀郷にご飯よそってくれ。山盛りで構わない」

「狭山くん、私は……」

「遠慮するな。要らないなら俺が食うから。満足するまでじゃんじゃん食えって」

「はい…………ありがとうございます」


 顔を俯けながらも嬉しそうにする志賀郷を横目に俺は茶碗を母に渡す。


「あら咲月ちゃん、そんなに食べれるの?」

「は、はい。お恥ずかしながら……」

「志賀郷は大食いだからな。カップ麺の大盛り三個も余裕で平らげるくらいだし」

「ちょ、狭山くんっ!」


 横からぺしっと叩かれる。志賀郷の緊張を解そうと思ったのだが、対面に座る両親の顔を見て俺は後悔した。


「あらぁ、いいわねこういうの」

「初々しいなあ、はは」


 すっごい暖かな目で見られる。あああ滅茶苦茶恥ずかしい。人前――しかも親の前でイチャついたみたいになってるじゃないか。志賀郷の顔は真っ赤になってるし俺も同じような状態なのだろう。ああ今すぐ消え去りたい……。


「うちのご飯で良ければどんどん食べていいからね。女の子だからって遠慮しちゃ駄目よ」

「は、はい。すみません……」


 志賀郷は動揺しながらも、白米が盛られた茶碗をしっかり受け取った。


 そして再び箸を手に取った志賀郷は一口、また一口と料理を運び入れていく。引きつっていた顔もすっかり穏やかになっていた。


「いい顔するわねぇ。頑張って作った甲斐かいがあったわ」


 うっとり顔の母が一言。確かに、飯を食ってる時の志賀郷は良い表情をしている。食べることが本当に好きなのだろう。見ていて飽きないんだよな。


「…………ほへ?」


 頬張っていた志賀郷が不意にこちらへ振り向く。俺がしばらく眺めていたから、何か用があるのか気になったのだろう。特に用はないのだが――


 目を丸くして首を傾げる志賀郷がとても可愛らしく見えた。もちろん、誰が見ても可愛いと思うはずだが、そういう今までの感覚とは少し違うような……。胸が締め付けられるような思いになり、冷静さが失われている気がした。


 志賀郷は単なる隣人でたまたま同じクラスになった女子なのだ。妙な意識をしてしまえば志賀郷にも迷惑を掛けてしまう恐れがある。気を付けないと……。


「なんだか娘ができたみたいで嬉しいわねぇ」

「そ、そうだな。はは」


 一方、俺の両親は志賀郷を我が子のような目で見てるし……。というか、父さんさっきから照れてるだろ。気持ちは分かるけど。


 そんな和やかで恥ずかしい食卓は志賀郷がご飯を二杯おかわりするまで続いた。

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