第二十六話 原因は全部狭山くん……ですわっ!

 バイト終わりの帰り道は薄暗く、六月も終わりに差し掛かるこの頃は気温も中途半端で、生温い風が頬を掠めていた。


 チカチカと点滅する調子の悪い蛍光灯が静かな夜道を照らす。もし志賀郷がバイトで俺が休みだったら彼女はここを一人で歩いて帰らなくてはいけないんだよな。そう考えるととても危険に思えてくる。暴漢に襲われたりしないだろうか……。やはり迎えに行った方が良いよな。


「……今日はとても疲れましたわ」


 隣に並んで歩く志賀郷はぽっかりと口を開けて盛大な欠伸を一つ。今の彼女は気品の欠片も感じられない素の姿のようだ。とはいえ、ふんわり踊り舞う金髪や人形のように美しく整えられた顔を見れば、俺達庶民とは別格であるのだと思い知らされる。つまり腐っても美少女に変わりはないということ。だから貧乏お嬢様という愛称が一番お似合いだと思ってる。


「まあ、初日だから無理もないよな」

「ええ。勿論それもありますけれど……。今日に限らず、最近は特に疲れますわ」


 やれやれと志賀郷はコンクリートの地面に視線を落としてから溜め息をついた。


「なにか悩みでもあるのか?」

「はぁ……。他人事みたいな顔をしてますけど原因は全部狭山くんですからね」

「え、俺!?」


 心当たりが全く無いのだが。志賀郷を困らせるような事したっけ……?


「自覚が無いのならそれで構いませんわ。狭山くんに非はありませんから」

「そうなのか……?」

「ええ。ですので無駄な詮索はしなくて結構です。寧ろしないでいただきたいですわ」


 どこか不服そうな態度と声で話す志賀郷だったが、表情は何故か照れているようにも見えた。怒ってるのかそうではないのか……。正直全く分からない。ここは下手に口を出さず、やんわりと回避した方が無難そうだ。


「そういえばテスト勉強の方は捗ってるか?」

「えっ!? まぁ……。ぼちぼちかしらね」


 志賀郷は「あはは」と苦笑いで返す。なるほど。これは捗ってないということだな。期末テストは明後日から始まるので時間は無いし心配だ。

 ……仕方ない。ここは一つ、俺から俺なりのささやかな励ましを送るとしよう。


「とりあえずテスト終わったら飯でも食いに行くか。打ち上げも兼ねて」

「食事会ですか……!? おぉ、楽しみですわねっ!」

「急にテンション上がったな……。まあ、テストの結果が酷かったら打ち上げは中止だけど」


 飯の優先度が何よりも高い志賀郷なら、中止にせざるまいと頑張るだろう。彼女の性格を知る者ができる効果的な提案である。


「ぐぅ……。ならば気合いを入れて勉強せねばなりませんわね……」

「おう、頑張れー」


 相変わらず安いお嬢様だなと思いつつ、気だるげな声でエールを送る。しかしこれでテストの点が上がり、学費も免除になったら本当に安いものだ。



 ◆



 時は流れ、一週間後の月曜日。眩しい日差しに照らされる朝の教室は普段と異なり、どこか落ち着かない様子に思えた。


「なあ狭山。お前は今回のテストどうだった? 自信あんのか?」

「……んまあ、上々といった感じかな」


 前の席に座る残念なイケメン男子、田端たばたが声を掛けてきたので最低限の相槌を返す。


 期末テストを終えて最初の登校日である今日は、皆さんお楽しみのテスト返却の日だ。教室内の雰囲気が異様なのもその所為だろう。


「そうか。じゃあ今回こそは良い勝負になるかもしれないな。期待してるよ」

「あーあ。クラス一位の上から目線うぜぇ」


 田端は成績優秀である。俺だって平均以上の成績は修めているが、彼が取るテストの点数には遠く及ばない。

 こちとら学費免除の為に命懸けで勉強してるというのに、奴はいつも涼しい顔で満点の答案用紙を見せつけてくる。経済面に苦しまず、呑気に息をするだけで女子からもモテるなんて人生イージーモード過ぎるだろ。是非とも来世は両親に夜逃げされてボロアパートに住む羽目になっていただきたい。


「そういえば志賀郷さんって頭良いのかな? 狭山、お前なら知ってるだろ」

「いやなんで俺?」

「だって……この前ファミレスで一緒に飯食ってたし、お前ら良い感じなのかなぁと思って」

「いやいや無いから。俺が志賀郷となんて有り得ないから」


 両手を振って否定する。田端を含む学園の生徒に俺達の秘密を知られる訳にはいかないから本心は言えない。表上、俺と志賀郷は単なるクラスメイトの仲。下手に交友関係を築いてしまえば、裏があるのではないかと怪しまれるリスクも高まる。

 とはいえ、田端にはファミレス勉強会の一幕を見られてるから厄介なんだよな……。


「別に俺は二人がくっついても違和感無いと思うけどな。俺が石神井さんと付き合えるのと同じで」

「お前のロリコン脳で判別するな。それにいつから石神井先輩と付き合えると錯覚していた?」

「は? 俺の石神井さんへの愛を舐めんなよ? この溢れる想いを伝えれば彼女もきっとイチコロだぜ」

「ふざけんな今すぐ屋上から飛び降りてこい。それか新宿駅東口の改札前で「幼女と結婚してぇ!」と叫んでこい」


 美顔だし猫を被れば普通に付き合えそうだから腹が立つ。嫉妬ではないが、田端が言うと無性に腹が立つ。


「物理的な死か社会的な死を選べってか。狭山も手厳しいねえ」

「お前が調子乗ってるから悪いんだぞ」

「ひぇー怖い怖い。……しっかし狭山も変わったよな。前は恋バナをしてもちっとも興味を示さなかったのに」

「興味が無いのは今も変わらん。田端がウザいから文句を言ってるだけだ」

「ほほう、そうですか」


 それでも尚、余裕を持った表情で笑う田端を今一度睨んでみる。恋愛はコスパが悪いのでしないように決め込んであるが、田端を見返す為なら彼女くらい作ってもいいと思った。

 ……まあ、俺なんかに作れるはずがないんだけど。そもそも好きな人すらいないし。


「はーい静かにー。ホームルーム始めますよー」


 ガラガラと教室の引き戸が開かれ、俺の思惑を遮るように担任教師が入ってきた。うちの担任は小柄な女性だが、ハスキーな声とフレームが細い眼鏡が特徴で、厳しい先生という印象を持たせている。しかも厳しいのは事実なので教室のざわめきも一瞬で無くなった。気付けば田端も正面を向いて姿勢良く座っていた。


「よーし出席取るぞー。休みはいるかー?」


 無駄がない淡々とした進行で朝のホームルームが流れていく。俺は教室の窓に映る高層ビル群を眺めながらその時テスト返却を待っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る