第二十五話 お金が沢山で羨ましい……ですわっ!

 俺と石神井先輩でレジを回している間、裏では店長が研修用のDVDを志賀郷に見せていた。バイト初日は基本的な挨拶や袋詰め、接客等を映像で確認した後、実際にレジの前に立ってレクチャーを受けるといった流れがこの店の通例となっている。もちろん志賀郷も例外ではなく、この後俺の隣に立たせて実践編に入る予定だ。



「お次でお待ちのお客様こちらのレジどうぞー」


 若干前屈みになってから、先輩の前に連なる行列に声を掛ける。レジは二台あるのに客が分散しないのは割とよくある事だ。


「いらっしゃいませー。お品物お預かりしまーす」


 分散しないのは構わない。だが、石神井先輩とレジを回すと高確率で俺の方には誰も来ないし、先輩の周辺はまるで人気アイドルの握手会場の様な装いに変化するのだ。


「お弁当温めますか? あ、はい。かしこまりました」


 特に、夕方のシフトだとその差は顕著である。客層の大半が仕事帰りのサラリーマンを占めるこの時間帯は、癒しを求めに来てるのか知らんが、少なくとも石神井先輩はレジから離れられなくなるのだ。


「合計で八百七十三円になります。……パスモで支払いですね。少々お待ちください」


 まったく、いくら可愛いからといって見た目小学生の子に群がるオヤジ共は自重した方が良いと思うぞ。小柄な先輩に負担をかけるのは悪いし、レジなら俺が捌いてやるから先輩は休んでてくださいと言ってあげたくなる。


「はい、お支払い完了です。ありがとうございましたー」


 小太りの中年男性を営業スマイルで見送る。全然関係無いことを考えながらでも、レジの接客は大抵こなせるんだよな。さて、次の客も呼び寄せないと……。


「お次のお客様どうぞ……って」


 呼ぶ前にお客が来た。おお、これはありがたい。

 だが、やって来たのは体格の良いあのおじさんだった。


「よぉ涼平。会いに来てやったぜ」

「木場さんじゃないですか。わざわざすみません」


 銭湯の常連客で俺とは顔馴染みの木場さんだが、俺がこの店でバイトしていると話してからはこうしてよく買い物に来てくれるのだ。


「気にするな。……それにしてもお前のレジは人気ねぇよな。あっちの姉ちゃんに客全部取られてるぞ」

「まあ可愛い子に接客された方が誰だって嬉しいでしょうからね。少なくとも不細工な俺なんかよりは」

「はっはっは。言えてるなそりゃ」

「いや少しは否定してくださいよ」


 そんな高らかに笑わなくても良いじゃないか。流石にメンタルが削れるぞ。


「でも俺は涼平と話したいからな。いつでもこっちに来るぞ」

「そうですかありがとうございます嬉しいです。……で、今日は赤マルのボックス買っていきますか?」


 赤マルとは『マールボロ』という煙草の銘柄の呼び名だ。喫煙者である木場さんはこの店に来ると大抵赤マルを一つ買って帰っていく。

 そして今日も例の如く買うものだと思って煙草の陳列棚に手を掛けたのだが、木場さんは苦笑いを浮かべながら首を横に振った。


「じゃあ一箱、と言いたいところだけど、もう煙草は買わないことにしたんだよ」

「ほほう、木場さんも禁煙ですか」

「まあそんなとこだ。俺もいい歳だからなあ。病気とか怖いんだよ」

「なるほど」


 病とは無縁そうな木場さんでも思う所はあるのか。やはり誰しも自身の健康は第一に考える、ということか。


「なんだ涼平。俺が煙草止めるのが意外だと思っているのか?」

「いえそんなことは。ただ、自由に生きている木場さんでも体調を気にするんだなと思いまして」

「それ結局意外だったってことじゃねぇか。……まあいい。涼平も病気には気をつけろよ。あと煙草を吸うのはお勧めしない」

「言われなくても吸いませんのでご安心ください。それに、煙草を買う金なんて俺にはありませんから」

「はは、確かにな。まあせいぜい頑張れよ」


 じゃあな、と木場さんは歯を見せながら笑うと手をポケットに突っ込んで闊歩しながら店を後にした。

 結局、木場さんは何も買わないで店を出ていった。まさか本当に俺に会うだけの目的でやって来るとは思わなかったな……。



「狭山くん、狭山くん」


 後ろを振り向くと、木場さんと入れ替わるような形で今度は志賀郷が俺に話し掛けてきた。恐らく研修用ビデオを見終わったのだろう。


「次はレジ接客の流れを見てくるんだ、と店長さんに言われましたの」

「了解。じゃあ俺が普通に接客するから志賀郷は隣で様子を見ていてくれ」


 いつも新人に投げかける言葉を志賀郷に伝える。そういえば志賀郷の奴、機嫌が直っているようだな。後に引きづらない割り切った性格なのだろうか。ともあれ、これなら研修がしやすい。


「分かりましたわ。ですけれど……お客さんが全然こちらに来ませんわね」

「ああ。なんたって石神井先輩は大人気だからな。……お次のお客様こちらのレジどうぞー」


 相変わらず行列を連ねる隣のレジから一人の客をつまみ出す。

 するとなんということでしょう。お客は一人に留まらず次々とこちらに流れてきて、あっという間に双方のレジへ分散してしまったではありませんか。


 ……なんだよさっきは俺の方なんか見向きもしなかったのに。志賀郷が来た瞬間手のひらを返しやがって。


「いらっしゃいませー。お弁当は温め……なしですね。お箸はお付けしますか?


 それでも仕事なので営業スマイルは崩さずに接客を続ける。列に連なるリーマン共はちらちらと志賀郷を見やっていたが、それでも俺は仕事に集中――


「あ、ありがとうございましたー」


 できねぇよ。なんなんだよさっきからお前らは。志賀郷は見世物じゃないんだぞ。


「狭山くん……どうかされましたか?」

「いや…………なんでもない」


 人が途絶えたところで志賀郷に心配された。冷静に装っていたつもりだったが、見抜かれてしまったようだ。中々鋭い目をしているんだな……。


「空いてきたし、そろそろレジ周りの説明でもするか」

「は、はい!」


 志賀郷に悟られてしまったことがなんとなく恥ずかしくて、話題を変えるために研修を進めようとする。俺は手元のレジにある替ボタンを押してレジのドロアーを開けた。


「まず、レジの中は手前に小銭が入ってて、奥にお札が入ってる。一万円札はケースの下だな」

「なるほど……お金がたくさん……。羨ましいですわね」

「お前が言うと新鮮だなやっぱり」


 つい先日までは羨まられる側だったであろう志賀郷が僅か数万円の現金に目を光らせているんだからな。金持ちというイメージと真逆を突っ走っていて、これはこれで面白い。


「狭山くん、この19とか49とか書かれたボタンはなんですの?」

「ああ、これは客層ボタンといって客の年齢に近いと思ったものを選ぶんだ」

「へぇー。面白いですわね」


 志賀郷は興味津々といった様子でレジを見回していた。そういえば志賀郷に初めてカップラーメンを振る舞った時もこんな表情をしてたっけ。


「それで受け取ったお金を入力して確定するにはこの客層を押さないと駄目なんだ。最初は忘れがちになる人が多いから気を付けるんだぞ」

「は、はい! 分かりましたわ」


 レジに視線を落としたまま、ふむふむと頷く志賀郷。真剣に聞いてくれるのは助かるのだが、何故か俺との距離を詰めてきた。レジのボタン類を近くで見たいのだろうけど、なんせ距離が近い。志賀郷の肩は俺の二の腕に当たっていて、彼女の波立つ髪も接触しまくっていた。

 志賀郷はレジに夢中で俺のことなど全く気にしていないようだが、こっちは気が気でならない。ここは外なんだぞ。もし学園の連中に見られたらどうなることやら……。


「お、おい。もう少し離れてくれないか……」

「へ……?」


 動揺を抑えきれない声で促すと、志賀郷が急にこちらに振り向いた。少し頭を傾けるだけでぶつかってしまいそうな程の至近距離で目が合う。


「あ……」

「あぁ……」


 お互いに言葉を失い硬直する。志賀郷の丸く大きな瞳と傷一つ無いきめ細やかな素肌が俺の視界を埋めつくしていた……じゃなくて!

 正常な思考が追い付いた瞬間、慌てて「ごめん」と謝って視線を逸らす。志賀郷も同時に謝って俺から半歩程離れてくれた。


 しかし今のは凄い恥ずかしかった……。満員電車で向かい合わせで密着した時を思い出す。今更だけど、俺は学校では見せない志賀郷の素顔を結構知っているんだよな。あの可憐なお嬢様が秘密を守るために俺を頼ってくれている、というより頼らざるを得ない訳だが、それが俺の中では密かな優越感となっていた。


 とはいえ場の空気は気まずくなってしまったが、幸い現場を目撃した第三者はいないようだった。客はめっきり途絶えたし、石神井先輩は調理室に入ったのか姿はここから見えない。よし、ならばセーフだ……。


 軽めの深呼吸をして、騒ぐ心を落ち着かせる。しかしこの時の俺はまだ気付いていなかった。影に潜めた最後の刺客の存在を……。


「おい狭山君、お前ら営業中に何をしてるんだよ」

「て、店長!?」


 事務所に通じるドアが開き、困惑顔の店長が声を投げかけた。


「こっちはカメラで全部見えてるんだぞ。狭山君なら分かってるだろ?」

「あ、そうだった……」


 後ろを振り返って見上げると防犯カメラが一台。

 迂闊だった。レジに立つ店員の振る舞いはカメラを通じて事務所のモニターに映し出されるため、俺達の接触事故も全てお見通しのようだ。


「……にしてもだな。いくらお客さんがいないからって店で堂々とキスをするなよ。見ているこっちが恥ずかしくなるわ」

「ちょっと待ってください。なんか凄い誤解してませんか!?」


 俺と志賀郷の密着具合は相当であったが唇を合わせる程ではないし、するはずがない。有り得ない。


 しかし……。天井近くから見下ろす形で設置されたカメラからは角度的に俺達の様子が如何わしく映ったのかもしれない。いやあ考えると恥ずかしいな本当に。


「す、すみましぇん、わ、私御手洗に行ってきますわっ!」


 志賀郷の顔は言うまでもなく真っ赤に染まっており、逃げるようにトイレへ駆け込んだ。

 せっかく誤解を解こうとしたのに、これでは益々店長に怪しまれるじゃないか。バイト先に彼女を連れ込んでイチャイチャしてる……なんて思われたら俺は泣くぞ。冗談でもそんなクズ人間だと思われたくはない。


「狭山くん。まさか君があれ程大胆な――」

「だから違いますからね!?」


 それから店長を納得させるまでに十数分は掛かった。意味不明なクレーマーの接客よりも苦労する仕事だった。

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