第十二話 楽しすぎて怖くなっちゃうくらい……ですわっ!
銭湯からの帰り道。
すっかり暗がりになった夜の路地を志賀郷と並んで歩く。
彼女が隣に引越してからまだ二日しか経っていないが、既にこの生活が当たり前と思えるほど志賀郷は馴染んでいた。かくいう俺もトンデモ美少女を隣にするトンデモ展開に慣れつつある。よく考えれば学園一の女の子を庶民派銭湯に連れていくとか普通じゃ有り得ないよな。
「芳子さんに変な事されなかったか? 嫌だったら嫌って言って良いんだぞ」
ずっと気になっていたので結局聞いてみた。志賀郷は八方美人な性格だから、芳子さんにも謙遜して作り笑いをしているのではと思っていたのだ。
しかし俺の予想とは裏腹に志賀郷は無邪気な笑顔で答える。
「問題ありませんでしたわ。最初はびっくりしましたけれど……。凄く、幸せになれた気がしました。愛情をお裾分けしてもらったというか……」
そう言って楽しそうに話す志賀郷の声に嘘偽りは無いと思えた。
それから彼女は視線を俺から満月が輝く夜空に変えた。
「私、あんな風に真正面から歓迎されたのが初めてで……。大切にしてもらえるって凄く嬉しいことなんですね」
「大切……なのかなあ。可愛い子にちょっかい出してたようにしか見えなかったが」
「それでも……私は嬉しかったですわ」
夜道のため表情はよく見えないが、楽しさの裏にうっすらと寂しさも混ざっているような気がした。思えば志賀郷は両親から見放されて貧乏生活を送っている訳で、親からの愛情を満足に受けていないのかもしれない。もちろん俺の勝手な臆測なので断定はできないけれど。
「私…………親が嫌いですの」
ポツリと一言。
まるで俺の考えに答えるかのようなタイミング。やはり志賀郷の家庭事情は複雑なのだろう。部外者の俺が無闇に口を出してはいけないのは確かなようだ。
「あの人達はいつも身勝手でしたわ。一人娘の私なんて存在しないような扱いで、完全な育児放棄。突然海外へ飛ばされるのは日常茶飯事ですし、山奥に家を建てたと思ったら海上にも家を作って引っ越したり……もう散々ですわ」
「おぅ……。身勝手のスケールがヤバいな」
一見すると悪くない環境に思えるが、親の都合で自分のしたいことや進路が制限されるのは辛いだろう。もちろんやむを得ない事情なら仕方無いが、娘の意見を無視して連れ回すのは論外である。貧乏生活脱却の為に自立を目指す俺にとっては、想像するだけでも恐ろしい家庭だ……。
「そういう訳で、私は両親に可愛がられた記憶が一切ございませんの。ですので一般的な家族愛がどの程度なのか分かりませんが……。芳子さんが私にお世話をしてくださったあの優しさは母親のような愛情に思えましたわ」
芳子さんが母、か。
風呂上がりに志賀郷の髪をブラッシングしてた姿は主人とメイドのような関係に思えたが、愛情溢れる親子のひとときと呼んでも差し支えないかもしれない。
芳子さんは大の世話好きで、俺も一人暮らしを始めて間もない頃は何度も助けてもらった。ごみの捨て方だとか、地域の行事についてだとか、まるで本当の母親のように頼れる存在だった。楽観的な考えや容赦ないセクハラで呆れることもあるが、それでも芳子さんは立派な大人だと思っている。もし志賀郷も同じ考えを持ってくれたのなら、俺としては嬉しい限りだ。
「志賀郷がそう思うのならきっとあれは母の愛、なんだろうな。……ただ、これを芳子さんに言ってはいけないぞ。あの人すぐ調子乗ってセクハラしてくるから黙っていた方が良い」
「ふふ、そうかもしれませんわね。では心の中に留めておくことにしましょう」
志賀郷はにっこりと微笑んで、俺よりも一歩前に出て軽やかな足取りで進んでいく。今まで見たことがないくらい上機嫌な姿だ。
「……楽しそうだな」
「ええ。楽しすぎて怖くなっちゃうくらいですわ!」
皮肉にも風呂無しボロアパートの生活の方が幸せに感じているようである。
俺は今まで金さえあれば幸せになれると思っていたけれど、
◆
翌朝。
朝飯を終えて制服に着替えた俺は玄関の扉を見つめながら考えていた。
志賀郷のお呼び出しがないのである。
昨日までは「お腹が空きましたわ」と不機嫌そうな顔で部屋に上がり込んできたが、今日はやけに静かだ。自分で飯を調達しているとは思えないし、朝食抜きで学校に行くことも無いだろう。仮に飯を食べていて俺の部屋に寄る必要が無かったとしても、通学路に立ち塞がる過酷な満員電車を一人で乗り越えられるとは思えない。となると答えはおおよそ一つに絞られてくる……。
「寝坊してるんじゃね?」
気品溢れるお嬢様には相応しくないだらしなさだが、志賀郷なら何故か容易に想像ができた。あいつ、雇ってるメイドに毎朝起こしてもらってるようなイメージがあるしな。
もし本当に寝ているのならすぐに起こさないと学校に間に合わないし、俺も早く家を出ないと遅刻してしまう。ボストン型のバッグを手にとった俺はそそくさと自分の部屋を後にし、隣のボロ部屋に足を運んだ。
コンコンコンッ
ノックをしたが返事は無い。声で呼んでも反応は一切無かった。もしかして既に学校に向かっているのだろうか、はたまた余程の衝撃が無い限り眠りを覚まさない性格の持ち主なのだろうか……。
いずれにせよ時間が迫りつつあるので俺は最終手段としてドアノブに手をかけた。まさか開けられるとは思っていないが念の為だ。寧ろ開いたら困る。
だがしかし……。ドアノブはごく僅かな力で大きく捻り、貧乏お嬢様の部屋に続く扉はいとも簡単に開かれてしまった。
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