第七話 私の御飯を忘れるなんて酷い……ですわっ!

「八方女神? なにそれ、褒め言葉なの?」


 本人に知られないようにする秘密のあだ名であれば、決して良い意味では無いと思うが悪口とは思えないネーミングだな。


 反射的に問う俺に対し、田端は苦笑いを浮かべながら答えた。


「微妙な所だね。恐らく皮肉だろうし。まあ簡単に言えば志賀郷さんが八方美人過ぎて気味が悪いって意味なんじゃないかな」

「ああ…………なるほど」


 納得はできる。志賀郷は誰にでも人当たりが良くて、所謂スクールカーストや身分の違いで差別をしたりしない印象があるからな。


「志賀郷さんは全てが完璧だから、何としてでも弱点を見つけて地位を逆転させようと企む女性達もいるらしいよ。まさに下克上ってヤツだね」

「うわマジか。女子こえーなおい」


 今はまだ平気だろうけど、志賀郷が風呂無しボロアパートに住んでいるという事実をもし他人に知られてしまったら、それはそれは大惨事になるに違いない。貧乏お嬢様と呼ばれて笑われる程度では済まされないじゃないか。


「俺が知ってるネタはこれくらいだな。どういう風の吹き回しか知らんが、狭山も頑張れよ」

「ああ、サンキュー。田端にしては珍しい有益な情報だったぞ」

「そうか、それは良かった。なら情報提供した代わりに俺からも一ついいかな?」

「ぐっ……なんだよ」


 良い予感がしない。このようなタイミングで田端が頼み込む内容といったら大抵一つに絞られるのだ。


石神井しゃくじいさんのシフトを教えてくれ! 今週だけでも良いから!」


 ほらきた、予想通り。


 まず、石神井さんとは俺のバイト先で働く一つ年上の先輩である。特徴は細くて小柄な体型で、見た目が中学生のように可愛らしい。

 そして田端は石神井先輩に片想いしているのだ。理由は言わずもがなである。


「お前の趣味も筋金入りだよな。その気になれば志賀郷も余裕で落とせそうな位のスペックを持ってるのにさ」

「分かってないなあ狭山は。俺は石神井さんを超える美人は存在しないと思ってるんだぞ。胸の大きさやスタイルの良さと女性の魅力は必ずしも比例するとは限らないんだ」


 真面目な顔で何言ってるんだこいつ。石神井先輩を否定する訳では無いが、ロリ体型に執着する田端を見ると残念に思えてくる。イケメンなのに勿体無い。


 取り敢えず、田端がシフトを教えろと言ってきかないので俺は仕方無く先輩の出勤日を伝え、くだらない雑談を混じえながら朝の自由時間を過ごした。



 ◆



 昼休みになり教室を出たところで背後から肩を叩かれた。


「ん、誰だ……って」


 振り向くと金髪ウェーブの美少女こと志賀郷が不満気な顔で俺を睨んでいる。クラスメイトに見せていた気品ある笑顔とはまるで正反対だ。


「どこに行くつもりですの」

「いや、飯食おうと思って……」

「狭山くんに今朝頼んだパン、まだ貰ってないのですけれど」

「ああ、すまん。今渡すよ」


 用意はしていたけれど渡すのをすっかり忘れていたな。しかし志賀郷は常に女子数名の輪に入っており、渡すタイミングも無かった訳だが。


「いえ、こんな目立つ所で一般大衆の食料品を手にしたら私の立場が危ぶまれますわ。場所を変えましょう」

「そっか……。お前も色々大変だな」


 個人的な意見だが、金持ちの娘がコンビニの菓子パンを山盛り抱えていたら親近感湧くし好印象ではないか、と思う。しかしながら水面下から志賀郷の尻尾を狙う下克上勢が存在するとなれば話は別だ。リスクがある行動はできるだけ避けたい。


「分かってくれたのならよろしいです。では早速移動しましょう。お腹が空きすぎて倒れてしまいそうですわ」

「本当にいつでも腹減ってるよな……。よし、じゃあ俺が普段飯食ってる所に行くか。あそこなら『貧乏お嬢様』の秘密もバレないだろうし」

「ちょ、狭山くん! その呼び名をここで言わないでくださるかしら。誰かに聞こえたらどうするんですか!」


 慌ててたじろぐ志賀郷を見てやっと気付く。危ねぇ。無意識に口走ってしまったぞ……。


「ごめん、悪意は無かったんだ」

「それなら良いのですけど。でも……今後は気を付けてくださいね」


 志賀郷は人差し指を立てながら「今度言ったら私が意地悪しますわよ」と付け加えた。口を尖らせて警告する志賀郷を見れば、意地悪されても良い、寧ろされたいとまで思ってしまうが、口に出すのはやめておこう。波風立てない貧乏紳士にとって、心の中に欲を留めておくのは大切な事だからな。



 ◆



 各クラスの教室が集まった中央棟から渡り廊下を通って特別教室棟へ向かう。通路の窓からは天然芝が広がる中庭が見えており、昼食を取っている生徒や忙しく駆け回る男子勢など、それぞれが有意義な時間を過ごしているようだった。


 ここ、京星学園は名門私立高校である。施設は申し分無しの充実度であり、その分学費もべらぼうに高い。中庭で呑気に飯を食ってる生徒も恐らく中流以上の比較的裕福な家庭に生まれ育った者なのだろう。

 しかしそんなプチ富豪な人間でも金持ちが集まる京星学園においては普通、あるいは低ランクに分類されてしまう。世間的に見ても貧乏な俺なんてもはや論外だ。


 だからこそ、成績優秀による学費免除で入学した俺は素性を明かすことができない。ある程度の友達を作って信頼を得て、高校から先の輝かしい進路を歩むためにも、貧困という事実は何がなんでも秘密にしなければならないのだ。


 志賀郷も同じだ。本人は気付いていないかもしれないが、世の中全てで決まる。幸せはお金じゃ買えない、プライスレスなんて言うけれど現実はそんな甘くない。

 一文無しになれば嫌でも分かるはずだ。結局世の中全て金なんだ、ってね。




「よし、着いたぞ。この部屋だ」


 卑屈な思考をしているうちに目的の昼食会場に到着した。といっても何の変哲もない空き教室なのだが。


「なるほど。これなら確かに他人に見られる恐れは無さそうですが……。びっくりするくらい誰もいないですわ」

「そうだな。多分このフロア自体今は使われていないんだろ」

「…………人がいないからって私を襲うのはやめてくださいね。魅力的な身体に見えると思いますけど」

「やかましい。さっさと入るぞ」


 両腕で身を守る志賀郷に呆れた視線を投げかけた後、俺は空き教室の引き戸に手をかける。


 そしてズルズルと音を立てて開いた先――机と椅子が二つだけ並べられた殺風景な部屋には一名の女子生徒が、窓際の椅子に腰掛けていた。

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