第六話 お昼ご飯はパン四つ……ですわっ!

「はぁ……やっと自由に体を動かせますわ」


 大きく伸びをしながら志賀郷が呟く。

 約三十分の乗車を終え、心身共に疲れきった俺達は最後の移動手段である徒歩で学校に向かっていた。


「その……悪かったな。色々と」


 正面を向いたまま謝る。つい数分前まで続いていた気まずさが残り、奥手な俺は志賀郷の顔を見ることができなかった。


「……狭山くんが謝る必要はありませんわ。こ、こちらこそ……身体を押し付けてしまって申し訳ありませんでした」

「いやいや、そんな事ないって! 寧ろ俺なんかが志賀郷にくっ付いてごめんというか……」


 天下の(元)お嬢様に補助金でへばりついている貧乏男子が隣にいる時点でおこがましい絵面ではあるが、元を辿れば志賀郷が俺に泣きついてきたので、俺が気に病む必要は無いと思われる。


「狭山くん……臭ってましたわ」

「え、マジで!?」

「そんな驚かなくても。冗談ですわよ。本当はその…………暖かかったですから」


 最後に消え入るような声がしたが、俺の聞き間違いだったのだろうか。

 気になって志賀郷の姿を見れば、彼女は照れ臭そうに顔を俯けていた。


「ま、まあその、あれだ。ここからは学校も近いし他の生徒に見られるかもしれない。俺はコンビニで昼飯買ってくるから志賀郷は先に行っててくれ」

「昼飯……」


 俺はこの気まずさMAXの空気から一刻も早く抜け出したかった。きっと志賀郷も同じ気持ちであるはずなのだが、彼女は羞恥よりも飯をご所望されているようだ。強請ねだるように見てくる志賀郷にやれやれと溜め息を零す。


「飯は用意してないんだよな?」


 コクリと頷く志賀郷。


「じゃあ一緒に買ってきてやるから。パンでいいか?」

「はい! 種類は狭山くんにお任せしますわ」

「了解。……ちなみに何個食べるんだ?」

「そうですわね…………少なくとも四つ?」

「多すぎるだろ馬鹿」


 食欲お化けは恐ろしいな……。だが飯の話になった途端に志賀郷は元気になったので俺は安心した。気まずい空気も徐々に溶けている。


「いえいえ。寧ろ狭山くんが少食過ぎるのではありませんか? 男の子ならパンの五個や六個は余裕で平らげませんと」

「お前は大食いの世界で生きてきたのか?」


 それか親族全員がフードファイターだったりするとか? ……どんな食欲旺盛一家だよ。


「世間をあまり知らないので何とも言えませんが……。ともかく、代金はお支払いしますからお昼ご飯をよろしくお願いしますわ」


 ニコリと笑いながら髪を揺らす志賀郷を見て俺はまた気恥ずかしくなってしまい「分かったよ」と素っ気ない返事をした。


 しかし志賀郷と話しているとどうしても調子が狂ってしまうな。主導権を握ってたつもりがいつの間にか握られていたり、可憐な笑顔に屈してしまったり……。


 どんなに可愛い相手でも自分の財産を削ることの無いように気をつけないと。倹約家にとって恋心は金銭をむしばむ天敵だからな。



 ◆



 教室に入るとそこには普段と変わらない朝の日常が広がっていた。


 授業の仕度を始める者、外の景色をぼーっと眺める者、数人で集まって駄弁る者。そして、先に着いていた志賀郷はクラスメイト数人を取り巻く中心として周囲に笑顔を振り撒いていた。


「うぃーっす、狭山。おはようじょ!」

「……おはよう」


 自席に着くと前の席の男に声を掛けられた。なんとも強烈な挨拶だが、これも毎度お馴染みの流れである。見た目だけは格好いい目の前の男はいじけたように前髪をくるくるとつねりながら文句を垂らした。


「相変わらず釣れない奴だなあ。お前も幼女幼女呟こうぜ」

「誰が呟くかっての。この変態ロリコン」


 ――田端たばた裕明ひろあき。俺のクラスメイト兼友人を務める彼はスポーツ万能で学業優秀、容姿端麗の爽やか系イケメンで女子からモテモテの羨ま男子だ。しかしこれまで恋人を持った経験は一度も無いらしい。何故なら……というか理由は単純明快で、田端の極端に狭いストライクゾーンが寄せ付ける女性をサーキュレーターの如く吹き飛ばしているからである。


「ところで、田端に聞きたいことがあるんだけど」


 バッグから教科書類を取り出しつつ問う。俺は念の為確かめておきたい事があった。


「お、なんだ? お前もJCについて語り合いたいのか?」

「勝手に話を進めるな。……志賀郷について知ってる事を聞かせてほしいんだ」


 他者から見た志賀郷の印象はどうなのか、本当に大富豪のお嬢様だったのか知っておきたかった。

 もちろん俺もクラスメイトとして志賀郷の姿は見ていたので大雑把なステータスは把握していたのだが、生憎あいにく異性への興味はこれっぽっちも無いので今はとにかく情報が欲しいのだ。隣人として付き合う以上、裏付けはしておきたいし。


「まさか狭山って……志賀郷さんの事が好きだったのか!?」

「断じて違う。勘違いしないでいただきたい」

「いやでもさ、恋愛はコスパが最高に悪いから絶対しないと豪語していたあの狭山が女子に興味を持つなんて普通に考えてあり得ないだろ。お前本当に狭山だよな?」

「やかましい。俺は正真正銘、狭山涼平だ。ほら、さっさと質問に答えてくれ」


 いちいち突っかかってくる田端だが、彼の発言もあながち間違いではない。確かに俺は恋愛を拒んでいる。なんだって恋をすれば金がかかるからな。

 もちろん可愛い、綺麗な人だと感じる事はある。しかしそこから恋愛的感情へ発展しないように自分を制御しているのだ。だから俺が自発的に女子に関する話題を持ち出すのは異例中の異例な訳で。


「まあ別にいいけど。志賀郷さん……ねぇ」


 小さな溜め息を吐きつつ、ちらりと志賀郷がいる方角を見やる田端。振り向いた横顔も画になるくらい整った顔立ちが腹立つ。もうさっさと彼女作ってリア充してろよこの変態イケメンが。


「あの子は強敵だと思うけどなあ。大抵の女の子は俺に好意の目を向けてきたり積極的に話しかけたりするんだけど、志賀郷さんだけは俺に興味を示さなくてね。まるで俺の存在を知らないような態度だよ。お金持ちのお嬢様だから選びたい放題なんだろうけど、このがすぐ近くにいるというのに無視されるのは少しショックだよね」

「そういう自慢すると友達減るぞ」

「いや自慢じゃないよ。そもそも幼児体型の女性にしか興味無いし」

「気持ち悪いな、友達減るぞ」


 これで顔が不細工だったら即通報案件だろう。イケメンなら何でも許される風潮許すまじ。


「俺は狭山とつるむだけで十分だから全然構わないよ」

「ウインクしながら答えるな、気持ち悪い」

「お前なぁ」


 女子なら飛び跳ねて喜ぶサービスだぞ、と付け加えた田端を再度睨む。俺が聞きたいのは田端じゃなくて志賀郷のスペックなんだけど。


「なんかこう……噂話的なのはないのか? 芸能人みたいなスキャンダルとか」

「そう言われてもねえ。…………あ、影で呼ばれてるあだ名なら知ってたわ」

「あだ名?」


 影という言葉が引っかかる。外面だけでなく中身も優れている(と思われる)志賀郷にも裏の顔があるのだろうか。

 マイナス方面に思案する一方で、田端は声のトーンを落とし周囲に聞こえないように一言囁いた。


「志賀郷さんは……八方女神、と呼ばれているらしいぞ」

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