2232D
10歳になる前の冬。棄てられた僕は、朝になって「駅に迷い込んでいたところ」を保護された。
行く宛はなくて、当面は町に保護してもらうことになり、僕はこの小さな無人駅に住むことになった。日々のご飯も、いろんな手続きも、町の人たちには本当にお世話になった。
少しでも恩を返せたらと、駅の掃除や除雪をした。一日に15人しか使わないけれど、町の人達から愛される駅だったから。
疲れるけど、少女と一緒なら不思議と平気で。
雪が融けて、桜が開いて、そしてライラックが咲く頃に雨の季節がやってくる。
北海道には梅雨がないと言われるが、道南、特にその南端部でもあるここ日高地方はその限りじゃない。6月下旬から7月の頭にかけて東北の梅雨前線が延長線上に日高山脈にまで掛かって冷たい雨が降るのだ――『
傘を忘れてびしょびしょになって、とはいえここは北海道、6月でもまだまだ気温一桁まではざらに下がるから、風邪を引く。それで君に看病をしてもらったのは歯痒い思い出で。
いつからだろうか、少女を「君」と呼び始めたのは。
「あれって?」
「昆布だよ」
海風に吹かれて、ふたりを乗せた汽車は砂浜を走る。
群青色の季節の記憶だ。
「コンブ?」
「この地方の特産品さ。こうやって、砂浜で天日干しするんだよ」
「へぇぇ…。」
輝く砂の粒子は汐風にのって窓辺から吹き込んで、君の瑠璃色の髪をキラキラ飾り、悩ましげに揺らしていた。
「砂浜の上の線路なんて、世界でもここだけなんだよっ!」
えっへんと胸を張る君。
さざなみ、砂浜、汽車、昆布。この風景が全道に夏の到来を伝える一つの風物詩になっていることを知ったのは、随分あとになってからだったか。
そうこうするうちに汽車は
「ね、行けるところまで行ってみない?」
君は小悪魔みたいな笑みを浮かべて、続くみちへ僕を誘ったんだっけ。
『窓をお締め下さい』
そんな放送が流れれば、ほどなく、この
「ねぇ、ひとつ水遊びなんてどうだい?」
「え?水さわれるの??」
「えっ、どうして?」
「だって僕を拾ってくれた夜、君の肩に、雪が全部透き通ってたよね」
「もーっ、失礼だなぁ…。ボクだって触ろうと思えば触れるんだよ?」
そう言うと君は、ぐいっと僕の顔に近づいて――鼻と鼻をくっつけ合わせた。
「これくらい……できるんだからね?」
「……!」
時、ついでに心臓も止まった気がした。
君の瑠璃色の瞳はちょっと潤んでいて、深くて、綺麗だった。高鳴る胸の鼓動を聞かれるんじゃないかと、少し怖くなったけれど。
「わわっ!?」
ひときわ高い大波が護岸に打ち付けて、その上を走る汽車に潮飛沫が容赦なく降りかかる。窓を締めた車内に海水は一滴も入らなかったけれど、バッシャァ!と飛沫が汽車の車体を叩きつける音とともに、ずぶ濡れになった君を見て。
やっと君が、汽車に宿る――であることを思い出したんだっけ。
「ひゃぁっ…すっかり濡れちゃったや。…あれ?なんで目を背けてるんだい?」
「……なんでもない」
水を被った君のワンピースが、なんだかいろいろ透けてしまっていて、気恥ずかしくてずっと目を逸らしていたっけ。
「ふーん。……えっち」
…◆…🚃…◆…
「ふぇぇっ、すごい混雑だね。」
物客や観光客でいつになく満員になった車内は、一発目の玉が打ち上がるとすぐに車内灯を落とす。車窓から鮮やかな花火を、少女といくつも眺める。
「ボクとしてはお客さんが一人でも多く乗るほど歓迎しなきゃいけないんだけど…。」
「疲れちゃうの?」
「そっ!わかってくれるかい!?」
ぱぁっと少女が嬉しそうに笑う。ふたりで過ごしてたくさん知って、僕も少女のことがだんだんわかるようになってきて。
「いつもはガラガラだからね、慣れてないのさ…はふぅ。」
窓に小さな顎をついてはぁと溜息つくその横顔は相変わらず可憐だけれど、瑠璃色の毛先がほんのちょっとだけほつれていて。
「人が多いの、ちょっと苦手かも。」
君から目を離すことが出来なかった。
…◆…🚃…◆…
「はっ」
目を覚ませば、そこはまだ慣れない新居の天井だった。
「そっか。もう、汽車は……」
溜飲を下げて、もう一言。
「来ないんだっけ」
独り呟いた言葉は、窓辺から夜空へ溶ける。
もういない少女の面影をどこか、探し求めるように。
「来な…いんだっけ。」
僕が中学校に上がる前の、冬のある日。
1月7日――それは、暴風雪で太平洋の荒れ狂う夜だった。
あの夜、定刻になっても
君は、戻ってこなかったんだ。
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