世界は日高色に染まる。

占冠 愁

始発 棄てられた僕らは

「……つめたい、つめたいよ……」


あれは、静かに雪の降る寒い夜のことだったか。

まだ小さかった僕は、行く宛もなく、淋しげな駅の汽車の側で、雪を被ってしゃがみ込んでいた。


かじかむ手足。霞む視界。

臨死というにはまだ早いかもだけれど、そういうときには見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたりすると、幼いながら知っていた僕は。

――だからこそ、最初はそれかと思った。




「きみ、どうしたの?こんなところにひとりで。」


差し伸べられた手と、声。

目を擦って見上げれば、ほのかに白く輝く少女がこちらを覗き込んでいたから。


「わ、ずいぶん冷え切ってる。」


僕の額に手を当てて呟くと、その子は鮮やかな群青色の髪を揺らす。


「とにかく駅舎の中に運び込むから、まずはそこで温まるといいよ」


ひょいと小さな僕の身体を軽く抱きかかえて、降り積もる雪の中を駅舎の方へ歩みだした。触れ合う肌からは熱を一切感じないのに、その腕の中は不思議と暖かい。

いくら道南とはいえ北海道の冬に、少女は肩まで出したワンピースなのに、だ。


「……ねぇ、さむくないの?」

「ん?あぁ、大丈夫だよ」


少女は微笑う。

僕の背中は雪だらけなのに、少女の身体には一欠片の結晶も積もらない。


「ボクはと違うから」


その蒼色の瞳に吸い込まれるように、僕を強烈な眠気が襲う。

ああやっぱりこれは夢だったのかな、と安堵してしまった僕は、あまり未練もなく瞼を重力に任せた。




あの夜、片親に棄てられた僕は――精霊に拾われた。





 …◆…🚃…◆…





雀の囀りと、陽の光に目が眩んだ。

見慣れない天井が映る。


「あっ、起きたかい?」


聞き覚えのあるその声に振り向くと、一人の少女がストーブに黒い石、のようなものを入れていた。

思わず目を擦って、それから頬をつねって、そして四肢の指先を動かしてみて、これが現実であることを理解する。


「……生きてる?」


「そりゃぁそうさ、このボクが運んだんだからね。死なせはしないさ」


ふんふんと鼻歌交じりに、バスケットから3つ4つほど黒い石をスコップでひととおり突っ込んでから少女は僕に向き直る。


「それ、なに?」

「これ?黒ダイヤだよ」

「くろ、だいや?」

「石炭のことさ。ここのストーブは国鉄時代から折り紙付きでね」


ひょいとスコップを持ち上げるその様を、呆然と眺める。


駅脇えきわきのバスケットには黒ダイヤがてんこ盛りに盛られてるのさ。ライターさえ持っていれば、こうやってっ、石炭スコップで、自分でストーブに放り込んでっ…あちち! っと、ティッシュとかを千切って、点火できるんだよ。」


お陰であったかいでしょ?と、どこか得意げに、少女は手の甲で額をひと拭い。


「ちゃんと眠れた?」


そう言われて初めて、自分が布団で横たわっていることに気づく。


「……これ」

「いまは無人駅だけど、数年前までは有人だったからね。ストーブもそうだけど、夜を越せるグッズは大抵残されたままになっているのさ」

「無、人…?」

「きみの寝ているそこは仮眠室。もっとも、無人駅になってからは部屋も持ち腐れなんだけどね?」


「いったい、ここは…どこ?」


しばらく沈黙を挟んで、少女は逆に僕へ尋ねる。


「きみ、行く宛はないのかい?」

「……ない。」


長考することもなく答える。

僕は悔いもそれほどなく、自分の帰る家は「ない」と断じていた。


「うらかわ駅」


瑠璃色の髪を翻して、少女は木箒を片手に取りつつ呟く。


「?」

「ここの名前さ。木造平屋のふる〜い駅舎だけど、悪くない雰囲気でしょ♪」


そうして。

ふっと息を吸った少女はおもむろに振り返り、胸を反らしながらこう言った。


「ようこそ―――ボクの家へ!」





 …◆…🚃…◆…


 う ら か わ

___浦_河___

絵笛えふえ | 東町ひがしちょう


 …◆…🚃…◆…





明るい鼻歌を喋みながら少女は片脚を軸にくるりと一回転。少しよごれていた板張りの床を木箒で掃いてゆく。


「まいあさ、きれいにしているの?」

「うーん、3日にいっぺんくらいかな?

 この駅を綺麗に保つのは、ボクの『仕事』だからね。」


ほら起きた起きたと急かされて、僕は慌てて布団から出る。ギギギギ、と古びた木の扉を押して仮眠部屋から三歩、待合室の小さな椅子に腰を下ろした。


「ちょっと手伝ってくれないかい?角とかすぐ埃が溜まっちゃって」


少女にハタキを手渡されるがまま、言われたとおりに小さな駅舎を綺麗にしていく。とはいっても、随分綺麗にされていただけあって大して時間はかからなかった。


「…これでっ、と。よしっ、朝のお掃除終わり!」


ふふん、と少女が自慢気に鼻息を立てれば、駅の古い硝子扉が、ふとガラガラと立て付けの悪げな音を立てて開いた。


「おっ、朝一番のお客さんのお出ましだよ?」


その人影に少女は視線を送る。

つられるがままに僕も顔を動かした。


「あれ?人がいる…?」


梅色のマフラーを首に巻いたセーラー服の女の子は、待合室の中にちょこんと座る少年を見留めて、目を丸くした。


「えっ!お、男の子?見ない顔だね…。引っ越してきたの?」


力なく首を振る。


「…気づいたら、ここにいたの」

「えっ?」

「そこのお姉さんにね、助けてもらったの。」


相変わらず浮世離れした雰囲気を纏う少女を、僕は示した。


「?」


しかし、その女子高生はあたりを見回して首をかしげるばかり。


「どこのお姉さん?」

「え?そこにいる『日高色ひだかいろ』のおんなのこだよ?」


純白のワンピースと、透き通るような肌。瑞々しい淡桃色の唇。瑠璃色の瞳。

まだ小さかった僕には、それ以上の表現は出てこなかった。


「ひ、ひだかいろ…?」

「もしかして…、みえないの?」


日高色ひだかいろという概念が伝わらなかったのか、それとも本当に少女が見えなかったのか。

けれど女の子は、とにかくなんとかしないと、と一通りおろおろとしてから「待っててね!」と駅を飛び出ていった。

そうして残された僕は混乱する。


「え…?なんであの子、見えな――」

「普通は、見えないんだけどね」


そんな僕の横に、一歩踏み立って少女は呟く。


「今のところはきみだけさ、ボクを見ることが出来る人間は」

「ぼく、だけ?」

「うん、そうさ。だってボクは――」


そこまで言って少女は、はっ、と壁掛けの時計を見た。


「わっ時間だ、行かなきゃ!」

「?」


慌ててホーム側の硝子戸を開けた少女は乗降場のほうへ駆け出していく。そこから――信じられないことに、その身体を浮き上がらせたのだ。


「な……!」

「ごめんね、『本業』の時間だからしばらく留守にするよ?」


そのままプラットホームに滞泊している単行列車へと飛んでいくと、その横窓からするりとのだ。


「!!?」


間違いない。

僕が昨夜その側で蹲って震えていた列車に、少女は今すっと融けたんだ。

しばらくもせず、ピィィィ――ッ!と汽笛が響き、ディーゼルの音を響かせて一両きりの列車が動き出す。運転席には誰も乗っていないにも関わらず、だ。一度構内の端っこまで行ってからエンジンを唸らせ、だだっ広い側線へ列車は止まる。


「ふぃーっ、あぶなかったぁ!」


すこし荒ぶるそんな声が聴こえると同時に、車体からするるると少女が出てくる。


「昨夜気まぐれで勝手に移動させちゃったんだよ…。もとに戻さないと、始発の汽車で来た乗務員さんに不審がられちゃうからね」

「き、しゃ…?」

「ボク…というか、この車両はね、エンジンで動いてるんだ。気動車きどうしゃっていうんだけど、面倒だからみんな汽車って呼ぶのさ。」

「……まって。もしかして、お姉ちゃん」


首をかしげる少女に、僕は意を決して尋ねる。


「汽車の、精霊さん…?」




「にひひっ!」


一拍置いて、少女はいたずらっぽく笑う。


「あったりぃ♪」


後ろで手を組みながら振り返って、白い歯を見せる少女。

純白のワンピースと、蒼い髪を朝風に揺らし、少し気恥ずかしげに頬を桃色に染める―――それはずっと見惚れていたいくらい、鮮やかな日高色ひだかいろだった。

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