2238D

日高本線ひだかほんせん 輸送密度(人/日)

_____ |2014年|2016年|2019年|

苫小牧-鵡川 | 589 |  462 |  528 |

鵡川-様似  | 186 |  125 |  104 |(鵡川-様似は15年以降バス代行)

◎コメント 鵡川むかわ-様似さまににおけるご利用は被災前の半分となり、鉄道設備もこれ以上は延命できない状況にあります。100円の収入を得るのに必要な費用は1,836円に達しており、当該地域における公共交通としての鉄道は、もはや使命を終えたと言わざるを得ません。


 …◆…🚃…◆…






それから、僕はあの駅舎に行かなくなった。

もはや列車の来ないその駅は、何の機能もなくなったから。

用事もなければ行くわけもない。あのみっともなくトラウマに怯えていた頃の情けない自分。今思えば恥ずかしくて死にたくなるような黒歴史なんて、封印して然るべきだ。


高校に入って、某国立大学の工学部目指して工学系の勉強を始めた。僕の住む町営寮は、町で唯一の自動車修理店も兼ねていて、僕を引き取って育ててくれた町への恩返しにでもなればと、それを継ぐことに決めたからだ。車は汽車に代わって町民の足となり久しく、それを修理する店がなくなるのは困る。


汽笛の音はもう忘れてしまった。

小学生だった頃に、なにか心地の良い夢を、焦がれるような憧憬を見ていた気がするけれども、それが何だったかは思い出せない。

もしかしたらなにかの勘違いかもしれない。まだ小さかったし、曖昧な記憶だ。


けれど、ときたま夢に出てくる。

砂浜を駆ける汽車。

安らぐような鼻唄。

となりには、透き通るような誰かがいつもいた。



それからどれほど経ってしまっただろう。

灰色だと思っていた視界も、もう慣れた。これが常景なんだって。だから、疑念を持つこともなければ物足りないと感じることもない。けれど――かつては、もっと華やかで、鮮やかで――そんな色の世界を見ていた気がする。


白一色でもなく、青一面でもなく、桃色だけでもない。単色ではないのかな。

懐かしくて、繋ぎ留めたくて、ずっと溺れていたい色。

けれども手を伸ばせば、雲を掴むような感覚で。


はっきりとした記憶はない。

昔の僕はどうやら、かけがえのないものを捨てたらしくって。

これが成長する、ということなのかな。


そう思って過ごしていた。





初冬。

雨の降る朝、地元新聞の記事の隅にたまたま目をやって―――


『JR日高本線を巡り最終合意』


そんな小さな見出しをみつけるまでは。








「……え?」


"116kmにも及ぶ区間の再開断念"

"路線長100kmを超える廃線は1995年の深名線しんめいせん以来"


そんなふうに、いくつか続く文章。


"「本線」クラスの廃止は史上3例目"

"コロナ禍で北海道の鉄道維持は危機的"


けれど、一文字も頭に入らない。


「―――ッ!」


そこに載せられた一枚の小さな写真に、心臓が跳ね上がった。


写っていたのは、たった一両の単行列車。

僕がずっとむかしに "汽車" と呼んでいたものだ。


白色の車体に、上半分を群青で塗って、桃色の帯を入れた列車。

波一つで壊れてしまうくらい脆くて、でも二度と忘れられない景色を魅せてくれる。この日高本線のためだけに用意されたイメージカラー。

名を―――『日高色ひだかいろ』。


「あ…、あぁ……。」


ずっとむかしに手放してしまった色が、脳裏へ一気に返り咲く。

強すぎる衝撃に立ちくらんだけれども、それどころじゃないほどに胸が熱くなった。


「なん、で……。」


涙が流れてくる。

そうだ。これだ、この記憶だ。

あの世界が愛おしくてたまらなかったのに。


「どうして…!」


靴をつっかけて駆け出した。

時間もないし、居ても立ってもいられなかった。


「どうして――!」


どうして、忘れてしまったんだろう。

手放してしまったんだろう。



""鵡川むかわ-様似さまにの不通区間、来年4月1日にも廃止はいし""



もう全てが遅いのに、なんで今さら―――


「思い出しちゃったんだよぉッ!!」






 …◆…🚃…◆…


  む か わ

___鵡_川___

←浜田浦| 汐見→


 …◆…🚃…◆…






初冬、朝。

みぞれすら交じる冷たい冷たい雨の中を、ひたすらに走った。

雪じゃないから転びやしない。転んでたまるものか。道民魂舐めんじゃねぇ。


広大な道路を駆け抜けて、本町を左折して線路沿いに走る。

踏切の先に跨線橋が見えた。そこに記された文字―――『JR  駅』。

5年が経ちすっかり掠れてしまった駅の名は、読むことすらも叶わない。


泣きながら地を蹴った。地団駄を踏むように、蹴り続けた。何度も、何度も。

そうしてあの駅舎の前に立つ。

ここに来るのは何年ぶりだろうか。


だけどそこは、あの時よりずっとよごれていた。

長い間誰にも手入れされて来なかったかのように。


代行バスの待合所となっている駅舎の中には、あの石炭ストーブもなければ、汽車の券売機もとっくにない。探し回ってみたけれど、待合室にも、仮眠室にも、あの面影はどこにもない。あの―――の姿は、どこにもなかったんだ。


舌を打ってプラットホームへと飛び出す。

舗装はもうガタガタで、至るところに草が茂り散らかしていた。

それでもまだ死んでいないと叫ぶボロボロの駅名標の脇を抜けて、無駄に背の高い雑草だらけの線路内に飛び降りる。

くすんだ緑をむしゃらに掻き分けて、あの夜と変わらず留置線の端っこにあるそれを目指した。


「っ、はぁ、はぁッ…!」


手を膝について見上げる。


塗装も剥げて、車体も錆び切っていて。

これが5年前は現役だったなど誰が信じるだろうか。

タラップに脚を掛けて、みっともなく開けっ放しにされた扉から内へ入る。


そうして、そこで僕は、見つけた。

幼き日の記憶に閉じ込めて、忘れてしまった幻影を。


「………」


色を失った瞳で僕を見上げ、

少女は、虚ろにしゃがみ込んでいた。


その影は霞んで、今にも消えてしまいそうで。

あの雪降り積もる夜とは真逆の位置だったけど、「きみ、どうしたの?」なんて聞けるはずもなくて。


僕は膝を折って、静かに少女を抱きしめた。


涙は堪えた。あんな暴言で突き放した手前、5年前のあの日みたいに無邪気に泣きじゃくる立場になんかなかったから。


「………どうして、戻ってきたんだい?」


掠れてほとんど音にもならない声で、君はそう尋ねる。

往時の声音とは比較にならないほど力を失ったその声が、胸を深々と抉る。答えることすらままならなくて、ただ強く抱き寄せることしかできなかった。


ざぁざぁと外の雨音だけが、しばらく世界を支配する。

汽車のなかにいるのに、レールの軋む音もなければ、汽笛ひとつも聞こえない。

痛いくらいの僕の鼓動とは裏腹に、君の吐息は、気を抜けば絶えてしまいそうなほど弱々しかった。


「走ろう」


どのくらいの時間が経っただろうか。

漸く出た言葉は、それだった。


「もう一度ふたりで走ろうよ、この線路の上を。汽車で。」


それを聞いた君は、何か答えることもなく――ただ儚げに、微笑んだ。


できないよ、とすら返してくれなかった。

只々迫る運命さいごを全て受け入れたようなその笑みが、苦しいほどに切なくて。

涙こぼれる前に僕は立ち上がる。


「僕が君を直す。幸い家は工具揃いだから。」


このときだけは人生さえ賭けていいと思った。

それくらいの深い決意だった。


「君を直してみせる、絶対に。」


たとえ君が――もう決められた運命だとしても。






 …◆…🚃…◆…


  さ ま に

___様_似___

←西様似|


 …◆…🚃…◆…






受験勉強は真っ先に捨てた。

背に腹は代えられない。タイムリミットは来年4月1日の朝まで。線路も設備も残されている「不通」のあいだに――「廃止」される前に、あと5ヶ月のうちに。


寮は自動車修理工場だ。汽車ディーゼルカーはディーゼルエンジンで動いている以上、農業用機械を扱ううちにノウハウがないわけでもなかった。

誰にもばれないように人目を盗んで、夜な夜なあの留置線へ通った。故障したまま放置されて朽ち果てたあの汽車に、工具を使い、機器を使い、あらゆる手を打って、最低限を修復した。


車体を必死に磨き上げていく。剥がれた塗装は、貯めてきた小遣いをはたいてペンキを買い、同じ色に塗り直した。海水の染み込んだ制動装置ブレーキは機器ごと更新して、車体を蝕んでいた錆を磨き落として、油を差して。毎朝屋根から雪を落とし、最低限でいいから、走れるように。

月日は簡単に溶け、年は明けてしまう。


それに合わせるようにして、だんだん君は恢復かいふくしていった。

ぼさぼさの曇天そら色だった髪は、往年のような時を止める瑠璃色には程遠かったけれど、君を突き放す前のつややかな氷空そら色を取り戻して。もう透き通ってはいなかったけど、肌は綺麗な白みを帯び返った。


あとはもう時間との闘いだった。2月、厳冬の中の作業はまず凍てついた氷を融かすところからだったけれど、心が折れる気はしなかった。


あのストーブも、バスケットに盛られた黒ダイヤもない駅舎の内で、凍えるような寒さのなか。鏡を見せたとき――君は初めて涙を流したんだ。

露草つゆ色の瞳をほんのり赤く潤ませて、「生きてたんだ」って。

「よかった」って、僕に抱きつきながら泣いてくれた。もうそれだけで十分だった。


君は。

この一本の線路に紡いだ、君との思い出は。

あの日々は。あの色は。


一度、なにもかもが上手く行かなくって、噛み合わなくなった歯車みたいに、全然違う方向へ廻りだして、外れて、壊れて、落ちてしまったけれど。

ずっと「不通かよわず」だっただけで、死んではいなかったんだと。


そう気づけただけで一杯一杯だったから。






 …◆…🚃…◆…


JR日高本線

苫小牧とまこまい-様似さまに 147 km

起点の苫小牧以外に沿線に「市」を持たず、接続路線もない北海道最長クラスの地方交通ローカル線。全線に渡って海沿いを走る。終着の様似さまにからは襟裳えりも岬へのバスが出る。

___[主要駅]___

|苫小牧とまこまい:::▲▲▲

| 鵡川むかわ::▲:▲日

|  富川::▲:高

|  日高門別:▲山

|   大狩部▲▲脈

|    静内:▲▲

| 太   春立:▲

| 平   浦河うらかわ▲▲

| 洋   日高幌別

|       様似さまに

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 …◆…🚃…◆…






「できたよ」


冬の最末おわり

まだ道端に雪の残る夜だった。


「これで……走れるはず」


僕の言葉に、君はちょっと緊張したように無言で頷き返した。

ふっと浮き上がると、君はそのまま綺麗に塗り直された汽車ディーゼルカーに融ける。

それからしばらくせずに。


ピィィィィイ―――ッ!


6年ぶりにこの街へ響くそのは、星々の海に高く、遠く澄み渡る。

日付は、2021年3月31日を刻んでいた。


最後の日、23時半。タイムリミットの朝まで数時間。

本当にギリギリになってしまったけど、間に合った。意地で間に合わせた。

開けっ放しにしたドアから車内へ乗り込む。

ほどなくして、ずいぶん前に廃車になったはずの汽車は、久しく聞かなかったあのディーゼルを奏で始めた。


グガガガガ、ブオーン――…


汽車が揺れた。

線路が軋んだ。

車窓の先の世界が、動き出す。


するり、と汽車の内壁から君が現れた。


「ありがとう、ボクをなおしてくれて。」


君は笑顔で僕の手を取った。

満天の夜空の下で、まだ解け切らない雪が星あかりを反射する。


「ごめん。あの時、あんなことを吐き捨てて。」


君の手を握り返しながら詫びる。

心の底から後悔しているんだ。あのとき、最後まで残った昔日せきじつ光片かけらすら手放してしまったことを。


「君さえいれば、それでいい。」


わかってるよ、と君は呟いた。


「二度と置いていくなんてしない。君を手放すことなんて、絶対に。」

「いひひっ、……ボクもだよ。」


君は笑ってから、頬を一面の躑躅ツツジ色に染めてそう付け足した。

この瞬間、願わずにはいられなかった。

今日が永遠に終わりませんように、と。

どうか。


「さ、行こ♪」


「……うん、行こっか。」


ガラガラガラガラ、とエンジンが唸る。

カタン、カタンと軌道も鳴る。


雑草まみれのヒビ割れたプラットホームは過ぎ去り、ながれぼしが輝いた。

棄てられたふたりは、忘れられた線路を、たった一輌の汽車とともに滑り出す。


西へ、西へ。

この浦河から、大狩部おおかりべを抜けて、鵡川むかわを抜けて、遠く起点の苫小牧とまこまいを目指して。

あの日々の思い出を拾い集めるように。

この水平線の先に沈んでしまった惜日せきじつを追い求めるように。


夜が明ければ東に昇る、次の季節を拒むように。

この日高本線みちを、西へ、西へ。――ひたむきに。



これは、誰も知らない僕らだけの逃避行ものがたり

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