第7話 偽りの正宗
ギンの姿に戻ったトキは、少し浮かれ気分で野山を駆けていた。
藤兵衛の役に立てたと思うと、それだけで足取りも軽くなる。
気のせいか、路傍の花がいつもよりも美しく見えた。
こんなにも気分が高揚したのも久しぶりである。
人と深く関わってはいけないという先祖の教えも、いつの間にかギンの頭の中から消え失せてしまっていた。
そんなギンが、気分よく森を駆けていると、
(アレ? あの人間は確か……………?)
街道を町の方に向かって歩く、あの行商人の姿を見つけた。
名は確か、伊豆屋吉右衛門だったか、あの木箱を持っているところを見ると、ど
うやら藤兵衛から新しい刀を買って、帰るところのようだった。
しかし………何かいつもと雰囲気が違う。
妙に落ち着き無く、辺りを気にしているようで、キョロキョロと四方に目を配りながら、足早に歩いていた。 すると、少し先の街道脇の木陰に、身分を隠すように頭巾を被った侍の姿を見つけると、さらに足早になって駆け寄り、
「遅れて申し訳ございません。これが今回の刀でございます」
「うむ、急かせてすまなかったな。今回は少し特別な相手からの依頼だったのでな」
頭巾の侍は箱を受け取り、二人は木の陰に隠れてから刀を確認した。
侍はしばしその美しい刀身に見とれ、
「いつもながら素晴らしいな」
感嘆の声をあげると、満足そうに箱にもどし、吉右衛門に十両もの金を渡した。
(あいつ、藤兵衛さんには五両しか払ってないのに、あんなにももらってたんだ!)
ギンが憤慨しながらも、二人の様子を見ていると、吉右衛門は少し躊躇いながら、頭巾の侍の問いかけた。
「あの、一つ聞いてもよろしいですか?」
「何だ?」
「何故、いつも無名で依頼を? 刀匠の名を、何も隠さずともよいのでは?」
「むぅ、そのことか………………」
頭巾の侍は少し考え、
「おまえだから話すのだぞ。今から言う事は一切他言無用だ。よいな?」
「は、はい………………………」
「これは大名道具として使うのだ」
「は………………?」
訳が分からず、吉右衛門は頓狂な声をあげた。
かつて天下人となった豊臣秀吉は、大層な刀剣愛好家として知られていた。
その秀吉公が、天下三名工と絶賛したのが、『粟田口吉光』『越中郷義弘』、そして『相州正宗』である。
実は存命中、さほど世に知られていなかった正宗であるが、秀吉に高く評価されたことから一気に有名となり、各大名はこぞって正宗の刀を求めるようになった。 そしていつしか名刀正宗は、大名道具になくてはならない代物になっていたのである。
しかし、無数にいる大名に対し、この時代から見ても昔である鎌倉時代の人物である正宗の刀が、戦乱の世を通して無傷で残っていることなど滅多にない。
そのために、正宗の代わりとなる刀が必用になってきたのである。
幸いなことに、作刀に絶対の自信を持っていた正宗は、刀に銘を刻むことは稀であった。 そこで、よくできた無名の刀を正宗と偽り、大名に持たせるようになったのである。
「では、月貞刀匠の刀も、正宗作として?」
「そういうことだ。大名の中には本当に正宗と信じている者もいるのでな。だからこのことが、他に知られるわけにはいかないのだ。なに、これほどの作だ。茎
を錆びさせて古く見せればそうそう暴露る心配もなかろう」
「正宗の偽物でも、そんなに………………」
「どうかしたのか?」
吉右衛門が表情をしかめて考え込んだので、頭巾の侍は訝しげに聞いた。
「名刀は何も正宗だけではございません」
「何が言いたい?」
「実は……………………」
吉右衛門はもう一度辺りを見渡してから声を潜め、頭巾の侍に、ヒソヒソと語りかけた。
「三条宗近……………だと?」
「私も何かの見間違えかと思いましたが、あれは間違いありません。その刀を受け取るときに、偶然に飾ってあるのを見たのです」
「月貞は何故、それを持っていたのだ?」
「分かりません。月貞刀匠の持ち物なのか、誰かから買ったか、預かったものかも?」
「……………………………欲しいな。 幾らで月貞から買えると思う?」
「無理でしょう。アレの価値は、当然知っているでしょうから」
二人は難しい顔をして、再び辺りを気にするように木陰に隠れ、何やら相談を始めた。
その声はあまりに小さく、妖の血をもつギンの耳にも聞き取れないほどだったが、何やらよからぬことを企てているであろうことだけは、両者の雰囲気から分かった。
(あ、あいつら、まさか藤兵衛さんを?)
言知れぬ危機感に、ギンはいてもたってもいられず、急いで藤兵衛の家に駆け戻った。
息を切らせ、藤兵衛の家に帰ってきたギン。
慌てて作業場に行くと、藤兵衛はいつもと変わりなく作刀を続けている。
そばに名刀を置いて作業しているからか、むしろいつも以上に気合いが入っていた。
「どうかしたのかギン、そんなに慌てて?」
「…………………」
藤兵衛の無事な姿に一安心するが、それでもまだ気は抜けない。
あの頭巾の侍からは、何かよくない悪意を感じられてならなかった。
きっと近いうちに、宗近を盗みにやって来るに違いないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます