第5話 故郷へ

 その後、何とか村人から開放されたギンを抱き、藤兵衛は家路についた。

ギンは殴られたときに前脚を怪我して、歩けなかったのである。

「私が鉄を欲していると思って、盗みに行ったんだろ? 試しで安い鉄を溶かしているのを見て、おまえが村の方に走っていくのを見たから、もしやと追いかけて来たんだ」

「……………………………」

「本当に、えらい目にあったな」

「……………………………」

何か藤兵衛に申し訳ないことをしたと、ギンは耳を垂れさせていた。

上目遣いに彼の顔を見るのが精一杯だった。

そんなギンを見て、藤兵衛はため息をつき、

「そうだな、おまえに私のことを、少し話そうか」

帰る道すがら、藤兵衛はギンに自分の過去を語った。

まさか本当に言葉が通じるとは思ってはいなかったが、言った方が少しは自分自身も気が安まるように思えたのである。

「私も最初は刀匠など、なりたかったわけではないんだよ。

ただ、やはり私にも先祖の侍の血が流れているのだろうな、数年前に用事で江戸に行ったときに、偶然たち寄った刀剣商で見た、一振りの刀に一目惚れしてね」

「クーン……………?」

「何なんだろうな、ただの鋼のハズなのに、それから発せられる、目に見えない何かを感じて、体中が震えだしたほどだった。そのあまりの迫力に、私は瞬きすることも、呼吸をすることも忘れそうになりかけた。そして、私の中の侍の血が熱くなってくるのを感じたんだ。名刀とは、そんな不思議な魔力があるものなんだよ。でも、天下泰平のこの世で、今さら武術で名声を上げる気もない私は、刀鍛冶になる道を選んだ。いつかあんな名刀を打てる名匠になりたいと思ってね。

その後、私は知人の紹介で備前(岡山県南東部。長船派や一文字等、高名な刀匠で有名)の地で長船派の刀匠に弟子入りし、修業を積み重ねて、ようやく一人前の刀鍛冶となることが出来たが、未だに納得のいくものが一振りも造れていないんだ。私が惚れ込んだ刀、『長曽祢虎徹』というのだが、あれに比べれば、私の造った刀など名刀にはほど遠いもの。それでだんだん自信を失って、落ち込んでいたんだよ」

長曽祢虎徹興里、いわゆる初代虎徹は、優れた刀匠を記した「懐宝剣尺」において、数万人の刀工の頂点である最上大業物十二工の一人に数えられた人物。

かの『相州正宗』と並ぶ、名刀の名工の代名詞的存在である。

「でも、今一度、あんな名刀をこの目で見ることができたのなら、さぞ素晴らしい刀が打てるのではと、思っているんだがね」

苦笑いを浮かべ言う藤兵衛の顔は、ギンの目から見ても無理をしているように見えた。


 家に帰って藤兵衛は、ギンの脚の手当てをしてやった。傷は思ったよりも浅い。これならすぐに治るだろう。

ギンも少し落ち着いたようで、手当ての間もおとなしくしていた。

藤兵衛はギンの頭をなでながら、さっきの話しの続きをした。

「おまえ一匹の怪我で、こうも心を乱すこの私が、人切包丁を造っているんだ。何とも滑稽だろ? でも、私にとって…………いや、多くの刀匠にとって刀は武器じゃなく、書や絵と同じような、何と言えばいいんだろう、心を潤す手段とでもいうか……………」

当時には、芸術という言葉はなかったのだろうか、藤兵衛は何とかそれを表現したかったが、いい言葉が思いつかなかった。

「とにかく、そういったモノなんだ。だから私はこれからも刀を打ち続けるつもりだ。だからといって、おまえが何も無茶なことをする必要はないんだよ」

その話しを聞いて、ギンがうなずいたかのように、藤兵衛には見えた。


 明くる日の早朝、ギンは藤兵衛に気付かれないよう、こっそり家から出て行った。脚はまだ傷むが、歩けないわけでもない。これ以上、藤兵衛に迷惑をかけたくなかったし、彼のそばにいるのが心苦しかった。

でも、最後にもう一度だけ、彼に何か恩返しをしたいとも思った。

そこでギンは、一晩中その方法を考え、あることを思い立って西に向かった。

山を二つほど越え、数代前の先祖が住み処としていた大きな森のさらに向こうにある山。

あそこに行けば、藤兵衛が欲しているであろう、あるモノが置いてあるハズ。

それを持って行ってやれば、彼もきっと喜んでくれるに違いないのだ。


 傷む脚を引きずり、およそ二日をかけて先祖の森に行き、さらにそこを通り過ぎて、ギンは決して人の入ってこないような、山奥に分け入った。

ここも昔は人が住んでいたのか、少し開けた場所に、廃虚となった古寺がある。

造られた時期も古く、平安時代以前からあったのは間違いない。

崩れ落ちて開けっ放しになった本堂の正面入口から入ると、すぐに目の前に埃まみれで灰色になった、大きな仏像がある。

その仏像の後にまわり、台座の板を一枚はがすと、木の長箱が隠すように置かれていた。

ギンの遠い先祖が残した、狐一族の宝物が、この中に入っているのである。

緊張して唾を呑み、ギンは恐る恐るその箱を開けてみた。

そこには少し錆も残っているものの、白鞘に収まった、とても数百年もの間、ここに置きっぱなしになっていたとは思えないほど状態のいい、一振りの太刀が入っていた。

太刀とは、茎に銘の入っている方を表とした場合、腰に差しすと刃が下を向く刀の事で、古くはこの形が主流だった。

逆に刃側が上を向いた、映画や時代劇等でよく見る刀を打刀、または普通に刀という。

ギンはその太刀を持ち、藤兵衛の家に急いだ。

脚の傷はもう、だいぶ楽になっている。

明日の朝までには帰れそうだ。

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