第4話 狐の恩返し
翌日、子狐は再びあの刀鍛冶の家にやって来た。
こっそり家の裏手から中の様子を伺いながら忍び込み、先日と同じように作業場の戸口の影から中の様子を見ると、ちょうど一人の行商人風の男客が来て、話しをしているところであった。
客は、造られたばかりの刀を手に取って、
「いやぁ、いつもながら見事な出来栄えですな。さすが月貞先生」
「先生だなんてお恥ずかしい。私などまだまだですよ」
恩人の男は、照れくさそうに言った。
二人の会話から、彼の刀匠としての名前が、『武州住藤兵衛藤原月貞』ということが、分かった。
名前にしては妙に長ったらしく思えるかもしれないが、刀匠の名はだいたい、住んでいた場所や先祖の姓を造った刀の
「で、今回も私の銘を入れずに?」
「ええ、私どもとしても、本当なら先生の名を、世間に知らしめたいのですが、依頼主のたっての希望でして」
「本当に妙な依頼ですね。まあ、私のようなまだ無名の者に、一振り五両もの大金を頂いている以上、文句もありませんが」
当時、駆け出しの刀匠作なら、五両は高価な方だろう。
高名な刀匠の作なら二十~六十両くらいするのだが。
しばしの間、男は藤兵衛と次の作品について話しをしてから、造った刀を桐の箱に入れて持って帰った。
客人が帰ると、藤兵衛はため息をついた。
何か思い詰めているのか、浮かない表情をしている。
それを見た子狐も、どこか不安そうだった。
子狐は、命の恩人である彼に、何か恩返しをしたいと思っていた。
でも、何をすればいいのかが分からない。
実はこの子狐、遠い先祖は京は丹波の山奥に住まう妖狐であった。
妖の血は薄れているとはいえ、人語を多少は理解する事が出来たのである。
狐の一族の間では、人間と深い関係や恩を受ける事を良しとしなかったが、だからといって受けた恩を返さないでは、子狐としても寝覚めも悪かった。
そこで子狐は、山で木の実や川魚を取っては、幾度となく彼の家に届けることにした。
これで、少しは恩を返せるのではと、思ったのである。
藤兵衛としても、いつの間にか家の前に、様々な山の幸が置いていかれる事に最初は戸惑っていたが、山に帰る子狐の姿に気付き、今度はこっちがお返しにと、麓の里で買った油揚げや饅頭を、木の実が置かれていた場所に、そっと置いておくようにした。
それを子狐も、最初は戸惑いはしたものの、想いもしなかった御馳走を前に、幼さゆえに欲求を押さえられず、それを近くの木陰まで持って行って食べるようになっていった。
そういった関係が数日も続くうちに、子狐は毎日のように、藤兵衛の家へやって来るようになった。それどころか、家に泊りこむことさえあり、ときには一緒に、近くの森を散歩することもしばしばで、そうしている間が、藤兵衛としても、子狐としても幸せな時間であった。
そのうち藤兵衛は子狐に、『ギン』という名をつけて、その後もずっと可愛がった。だが、そうこうしている間でも、やはり藤兵衛の表情が曇ることが幾度となくあり、ギンはそれがどうにも気掛かりだった。
ギンはそんな藤兵衛に、鼻を押しつけてか細い声をあげながら彼を気遣ったが、彼はそれに作り笑顔で答えるだけで、何故そんなに浮かない顔をするのか語ってはくれなかった。
もちろんそれは、言葉の通じぬ子狐相手に何を言っても無駄と思ってのことだろうが、それでもギンにはそれがもどかしかった。
そんなある日のことである。
ギンは藤兵衛のいつもと違う行動を見て何事かと思った。
何と藤兵衛は、壁に立て掛けてあった自分で使う鎌や鍬を分解して、炉で溶かして刀の材料にしてしまったのである。
自分でも畑仕事をしている藤兵衛にとって、農機具は生活に必要な物のはずだ。
それを壊してしまうということも驚きだが、それ以上にそんな鉄で、刀を造ろうとしていたことが、何より驚きだった。
いつも作刀を見学していたギンは、いつの間にか刀の作り方を一通り覚えていた。
だが、藤兵衛がこんなことをするのは、初めてだったのである。
普通、作刀には純度の高い鉄を得るため、砂鉄を時間をかけて溶かした玉鋼が使われる。そしてその玉鋼を、積み重ね、焼入れ、十数回もの折り返し鍛練など、幾重もの複雑な工程を経て、やっと初めて刀は造られる。
ただ単に鉄を溶かして形作り、多少鍛えた程度の農機具や西洋の剣とでは、根本からして違うのだ。
しかし、ギンにはいい鉄と悪い鉄の見分けはつかなかった。
ただ、彼がいい鉄を手に入れられず、仕方なくやっているのだと思えた。
(鉄…………鉄がいるんだ!)
そう思ったギンは、家から飛び出し、村の方に駆けていった。
村にやって来たギンは、村人に気付かれないよう、いくつかの農家の納屋の裏に周り込んで、早速、鉄の物色を始めた。
鍬に鎌、その他いくつかの農機具や、錆びた包丁など、鉄でできた獲物を探す。
盗むことが悪いことと分かりつつも、藤兵衛のためにと、口にくわえて持って行けそうなモノを物色して、抜け出して行った。
とはいえ、やはり子狐の小さな身体で、鉄を運ぶのは大変と見えて、村から出る前に、力尽きて走ることも出来なくなった。
鍬を地面に引きずりながら、畦道を行くギンはすぐに村人に見つかり、
「コラッ!!」
「っ!」
ギンは驚いて逃げようとしたが、せっかく手に入れた鉄を捨てることが出来なかった。おかげで、すぐに村人に捕まってしまったギンは、荒縄に縛り上げられ、
「このイタズラ狐めっ!!」
「もう悪さしないよう、こうしてやるっ!」
騒ぎを聞きつけ、やって来た他の村人達までが一緒になり、ギンは袋だたきにされた。
「ギャンッギャーンッ!!」
たまらず悲鳴をあげるが、誰も見逃してはくれない。何度も何度も殴られるうちに、ギンの意識はどんどん薄れていった。
だが、しばらくすると、自分を殴る村人達の手は止まっていた。恐る恐る目を開けると、
「…………………?」
目の前に、見知った背中があった。
近くを通りかかった藤兵衛が間に入り、村人達に深々と頭を下げて謝っていたのである。
「と、藤兵衛さん、何もあんたが頭を下げんでも……………………?」
「いや、この子狐は私の連れなのです。どうか許してやって下さい」
「っ?!」
言うや藤兵衛は、額を地面にこすりつけ、村人達に詫びはじめた。
それに驚いた村人達は慌ててそれを制し、
「お、おやめ下さい。今は違っても、あんたは元々は武家の出の方。我ら民百姓にそんな……………………」
と、逆に狼狽えだしてしまった。
戦国時代、藤兵衛の祖父は武田信玄に仕えた武士であったが、徳川の世になってからは刀を捨て、この田舎で細々と暮していた。
藤兵衛の代ともなれば、もはや侍どうこう言うこともないのだろうが、それでも彼を、村人達は特別視していたのは事実である。
彼の人徳ゆえか、この村が武田信玄が治めていた甲斐に近いからかは分からないが。
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