第5話 女子高校「秋風祭」本番

 第一曲、『プロローグ』。アルト・サックスのソロが静まりかえった客席に命を吹き込むように空気を震わす中で、緞帳どんちょうが上がる。照明が落とされた客席の暗闇へ、舞台の上からほの明るい光が差し込む。空間の中心が客席から舞台へスイッチされた。


 一人、また一人と、幕間から舞台上へ、上下手の一番手前から舞台の下へ、客席扉から座席の間へ、ジョット団とシャーク団の役者たちが姿を現す。一番に舞台中央まで躍り出るベルナルド。さすが、怪我の間も可動範囲で練習していただけある。しなやかに美しく伸びる春菜の腕の包帯が、照明に照らされて映えた。


 本筋へ入って、不良たちの『ジェットソング』、トニーのソロ『Something’s Coming』、演技も歌も順調に流れていく。


 一幕の大見せ場の一つ、キャスト全員が出揃うダンス・パーティの『マンボ!』。パーカッションが管楽器とシンクロして不可分に混じり合い、傲慢とも言える和音が一瞬の休符と絶妙なコントラストを作る。この有名なナンバーでは、客席全体から「マンボ!」の掛け声が上がった。


 舞台と客席、ホール全体が一つの世界になる。

 キャストのテンションが限界を知らずに上がっていく。


 ダンス・パーティはトニーとマリアが初めて出会う場面。ベルナルドがマリアにキスしようとしたトニーを制止する。


「妹に手を出すな」


 鋭く通る声は、春菜のものだ。

「やばい春菜、惚れそう」

「一年生、卒倒するかも」

 普段の清楚なイメージからは全く想像できない。シークレット・ブーツで誤魔化した身長が迫力を倍増する。


「行こう、マリア」


 ベルナルド春菜が二人を引き裂いて、チノ役の二年生、あかりが優里マリアの腕を掴んで上手側に走り込んだ。


 ……ガコッ

「いたっ」


 鈍い音とあかりの声が同時に起きる。

「どしたのっ? だいじょぶっ?」

「いた、脚立に……大丈夫です」

「良かった……え、ちょっと、脚立の釘!」


 あかりがぶつかった脚立を支えた涼子の手の中で、脚立の金具がずれた。まずい。マリアとトニーが代表曲の『Tonight』を歌う場面、非常階段として使うはずのものだ。


「今から直すのは間に合わないよ。ガムテープガムテは?」

「下手!」

「ちっ、間に合わん」

「もういい、トニー、舞台下から歌って」

「え、まじ? あ、うん、わかった!」


 幸いあかりに怪我はない。美菜子はすぐに舞台上から客席下の壁につながる扉の方へ降りていく。


 舞台の持ち時間は一時間。オリジナルの台本を削りに削って要所を抜き出し、半分に切り詰めた。それでも見せ場のナンバーは入れるだけ入れたつもりだ。『Tonight』を切り抜け、次は。


「女役、行くよっ」

 囁き声で叫び、めぐみはフレアスカートを摘み上げて舞台上へ滑り出した。


 広い空間を突き抜けてライトが当たる。空間いっぱい、隅まで手を伸ばすように全身を動かす。

 お腹から脳髄へ突き抜ける感覚で歌い出す。アニタと女役の一幕の見せ場面。『アメリカ』、アメリカ賛歌。

 この上ない解放感。舞台に立つなんて皆が見ていて緊張すると言うけれど、めぐみには逆だ。舞台に立ってしまえば客席は真っ暗で、誰がどこに座っているかなんて顔も見えない。蛍光灯の明るい教室で、部員や先生たちを前に練習している時の方がよっぽど緊張する。でも広い板の上に立てば、自由になる。


 男役を小馬鹿にしながらソロを歌い上げると、全員での群舞。ダンス用シューズで床を打ち鳴らし、女役が色とりどりの長いスカートを翻して回る。すると音量を上げたスピーカーの音楽に合わせてクラップ。


 ——!


 クラップは舞台上からだけではなかった。舞台裏でもない。客席からだ。


 ——りーちゃん!


 ふっと客席へ目を向けると、最前列のブロックに演部の部長の梨花と部員たちが見えた。全員でダンスに合わせて手を打ち鳴らしている。そう言えば自分もやりたい、と言っていた。それに気付いたら、今までの練習にはない表情になっているのが自分でも分かる。


 他の部員達も、舞台上では上級生も下級生も関係ない。みんな最高のコンディションだ。大人のドックが不良青年たちを諫める『クール』。ドック役には一年生を抜擢した。緊張など見せず、上級生とやり合う演技。歳をいった男性の役柄がハマり過ぎていて、年齢と性別を疑いたくなる。先が楽しみだ。次第に音楽も高潮していく。


 そして、『五重奏』。ジェット団とシャーク団が決闘を、トニーとマリア、アニタが自らの恋心を歌い上げるオリジナルの一幕クライマックス。台詞が切れて、音楽が始まる——



「!?」



 信じられないほどの爆音に、涼子は耳を塞いだ。音量が大きすぎる。

「何やってんの音響!? 連絡マイクは!?」

「いま上手が使っちゃってるっ」

 ホール内では電波が入っていないのでスマートフォンが繋がらない。幕内のモニタから客席の向こうの機械室を見ると、機械室のスタッフが二人ともスポットにかかりきりになっている。『五重奏』の場面はピン・スポットの操作が複雑なのだ。

「だめ、これじゃ声が消されちゃう」

 もともと、管弦楽だけのところと歌が入るところで音量を上下するよう指示していたのだ。先の歌の後奏の時の音量のまま、流し始めてしまったに違いない。涼子は幕内からホールのロビーへ向かって飛び出した。


「まっちゃん、これ何?!」


 ホワイエまで駆け上がったところで、大学生になったひとつ上の先輩、鈴木愛子に出くわした。昨年の涼子、イライザの相手役、ヒギンズを演じた長身美人である。

「なんかピンスポに手を取られちゃってるみたいで、あたし機械室に行ってきますっ」

「まっちゃん舞台監督補佐でしょ、私が上行くから、戻りな」

「えっ、でもっ」

「早くもどんなっ!」

 卒業した先輩には舞台を見て欲しい。手間をかけるのは正直やりたくなかった。


 でも、迷っている暇はない。


「お願いしますっ!」


 振り返り際に、愛子が機械室への階段へ走るのが見えた。

 元来た道を舞台に駆け戻る。流石だ。もう耳をつんざく爆音は収まり『五重奏』が曲の合間にも拍手喝采を浴びていた。


(続く)

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