第3話 女子高校「秋風祭」他校の生徒

 多目的室の扉を開けると、もう衣装にばっちり着替え、《五重奏》の立ち位置についていた部員たちが「春菜さん」「兄さーん」「ベルナルド!」と一斉に集まってくる。


「良かった、今からやるよ。《五重奏》。あ、三角巾はちゃんと取れたね」

 めぐみが嬉々として春菜の腕を取った。

「包帯は残っちゃったんですけど」

「大丈夫大丈夫、シャーク団なんてロクな男の集まりじゃないんだから、バカな真似して怪我するヤツなんて、ゴロゴロいるわよ!」

 その瞬間、春菜も涼子もぷっと吹き出した。「え、なに、なんで」と慌てるめぐみに、春菜は笑いを抑えようと頑張りながら二人を急き立てる。

「ほらほら、最後の合わせでしょ。春菜はやく着替えさせて」

「あ、そうだ時間がもったいない。優里お願い」

 はーい、と可愛く高い優里の返事が部屋の中央で上がる。

「じゃあもっかい、立ち位置ついてー! 間隔気をつけながら最後の合わせです!」


 部員達が自分の配置へばらばら散らばっていき、春菜もその中へ混ざるのを見送って、涼子はめぐみの肩を叩いた。

「めぐ、あたし部室から運べるもの、搬入口の方に運んじゃう。大きいやつは後で修二くんが手伝ってくれるって」

「わかった、ありがと。部室からのものなら、校内見学しているスタッフさん捕まえて、誰か手伝ってもらってね」

 わかった、と言って、涼子は音楽が流れ始めた多目的室をあとにした。


 ***


 あっという間に客と生徒達でいっぱいになった校舎を抜けて、涼子は部室に辿り着いた。ドアを隠す宇宙同好会の展示ベニヤ板をちょっとずらして入り込む。

 衣装と前日に運んだ大道具小道具がなくなっていつもよりすっきりした部室の奥から、おもちゃのピストルや食器類など細々としたものが入ったボックスを引っ張り出す。一つなら運べるが、運ばなければいけないのは全部で二つ。誰か後輩スタッフを呼ぼうとスマートフォンを胸ポケットから取り出したところで、部室の扉が開いた。

「あ、まっちゃん先輩。お疲れ様ですー」

 一年スタッフの景子だった。演劇を見るのは好きだが、演じるより舞台美術を作る方が好き、と言って入部当初からスタッフに徹した一人だ。

「ちょうどよかった。これ一個、運ぶの手伝ってくれる?」

「そう思ってきました。他のスタッフみんな、散り散りになっちゃったし」

 一つずつボックスを抱えて、二人はベニヤ板の隙間から抜け出した。ここからホールまで客の間を抜けて運ぶのは時間がかかりそうだ。スタッフ集合の三十分前には間に合うとしても、やっぱり少しでも長く、開演前のみんなと一緒にいたい。

「景子、中学校の方から迂回しよう」

 高校と中学の校舎は繋がっており、中学側からもホール棟への渡り廊下に出られる。部室が並ぶ二年生の教室前の人混みをなんとかかき分け中学棟へ辿り着く。高校とは打って変わって人っ子ひとりいない廊下を、涼子と景子は小走りに駆けた。


「まっちゃん先輩、これ多目的室までですか?」

「ううん、もうホール前に運んじゃう。今まだチアの舞台やってるけど、先に搬入口に置いておこう。多目的室から運ぶものも多いからね」

 舞台で上演している最中のホール棟の廊下とホワイエは、高校棟と比べて人が少ない。次の舞台に出る娘の出番を待つ両親や出番を終えて写真撮影に興じる生徒達くらいだ。その間を抜けて、涼子と景子はさらに人が少なくなる舞台裏へ向かう。

「景子は来年もスタッフ?」

「もちろんですよう。あたし演技とか無理。人前とか無理。見るのと作るのは好きだけど。今回のダンスホールのドレス、作るの楽しかった〜」

「ほんとすごいなー。マンマ・ミーアとかやったらウェディング・ドレスだよ」

「作りますよ、ホンモノを」

「うっそ、それ着たい、作ったら見にく……」

 ホワイエの角を曲がって階段を降り、搬入口が見えたところで涼子の言葉が途切れた。涼子に向けていた顔を前へ戻した景子も、足を止める。


 他校の男子校生だ。全部で四人。搬入口の真ん前で座り込んで雑談している。


 ——どうしよう。


 なんでこんなところに男子校生が入って来ているのか。


「まっちゃんせんぱぃ……」

 景子が消えそうな声を出して涼子の後ろに下がった。ちょっとやめて。あたしだって怖い。そう思ったが、後輩の手前、そんなことは言えない。


「景子、菊本先生菊ちゃん呼んできて。多分、ホワイエ近くにいるから。もしくは修二くんもそろそろ来てるはず」

 わかりましたっ、と小さく叫び、景子の上履きの音がぱたぱたと後ろに遠ざかる。


 一人になった涼子は、全身が固くなった。


 なにせずっと付属女子校で来てしまったから、従兄弟を除いて、同年代の男子となんかほとんど話したことなどないのだ。しかも目の前の四人は全員、自分より身長が高いことが、座っていてもわかる。心臓がばくばくいう音が大きくなる。


 でも、もしいま、何も知らないチアの子達が搬入口を開けたら。舞台裏では衣装替えをしている子達だっている。扉を開けたら丸見えだ。


「あの」


 喉に薄紙が張り付くような感覚を覚えながら、やっとのことで声を出した。中の一人が階段上のこちらを見上げる。


 ——ひるむな。


「あの、ここ、立ち入り禁止です」

「ええー? なんも書いてなかったよ」

 もう一人が間延びした返事をした。

「でも、関係者以外立ち入り禁止なんです。どいてください」


 やばい、怖い、早くどっかいって。おかしい。向こうは同じ歳ぐらいのはずなのに。

 口の中が乾き切って、からからになる。足がすくみそうだ。それでも涼子は、触発しない程度に相手を睨み付けた。


「なーんだー」

「行こーぜ」


 渋々といったていで男子校生達はのろのろと立ち上がると、いかにも舐めているような調子の言葉を口々に並べながら、涼子の脇を通り過ぎて行った。どの人も涼子の頭ひとつ分は大きい。涼子の足は糊付けされたみたいに地面に張り付いて動けなかった。


 全員が通り過ぎて背後の角を曲がり、喋り声が聞こえなくなった。途端、肩から足の先まで、全身の力が抜け、涼子はやっと息を吐いた。


「まっちゃん!」

 振り向くと、ホワイエの方から菊本先生と景子が走って来た。

「せんせぇ〜」

「大丈夫!?」

「怖かったぁ何あいつら。なんで入って来ちゃったんだろぉ」

「立て看板なかったわね。立てておこう」

 菊本先生は涼子を抱いて、よしよしと背中を摩った。そして真っ直ぐ立たせて真正面から涼子を見ると、肩に手を置いてぱん、と叩いた。


「それより二人とも、もう多目的室集合時間だよ。あとはやっておくから、しっかり喝入れて来なさい。先生もすぐ行くから」


 涼子と景子が同時に腕時計を見た。二人の手が、スッと敬礼の位置に揃う。


「はいっ!」


 先生に見送られ、涼子を前に、二人は一足飛びに階段を上がって行った。

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