第2話 女子高校「秋風祭」先輩と後輩
ホールから渡り廊下を突っ切り、まだ客がまばらな廊下を涼子は全速力で走り抜けた。本校舎に近づくほど人の数が増える。早くもクッキング・クラブや生徒会が、チラシをメガホンがわりに自分たちの出店に客を呼び込んでいた。
出し物もなく閑散とした教員室脇の階段を下りる途中で、下から担任の
「せんせー、おはよーございますっ」
「ん? 松江さん、もう自習する?」
「んーん、春菜が病院から着いたの迎えに行くのー」
女子校の男性教員は下手したら毛虫どころかゴキブリの如く嫌われるのだが、修二くんはまだ三十そこらの若さで理解もあるし、涼子たちにとっては話すのも気軽で、お兄さんのようだった。その親しみやすさは、バレンタイン・デーに生徒たちから貰ったチョコレートで教員室の机の上に出来る山が如実に物語る。いまだって涼子がスカートをたくし上げて走っていても、おばさん教師のように「こら乙女がはしたない!」などとは言わない。
「あ、間に合ったね良かったね」
「ほんとだよ。あ、修二くん、あとで搬入口の階段で大道具上げるの手伝ってくださいー」
「開演十分前で良い?」
「良いっ!」
答えと一緒に振り返りながら、涼子は担任の横を駆け下りる。いい担任に当たったのに感謝する。この担任じゃなければ、受験勉強をやりながら部活を続けるなんて思わなかったかもしれない。そう思いながら、玄関に向かって廊下を蹴る速度をあげた。
***
春菜がタクシーから降りるとすぐ、先輩の松江涼子が制服のスカートをはためかせて走ってくるのが見えた。春菜がガラス扉をくぐるのとほぼ同時に、涼子も上履きを滑らせて玄関先で急停止する。
「良かったよ間に合って、あ、三角巾、とれたんだね」
心底嬉しそうに、開口一番、涼子が言う。
「包帯は取れませんでしたけど」
「大丈夫大丈夫、シャーク団なんて馬鹿な男の集まりなんだから、下手な真似して怪我してるのなんて、きっとゴロゴロいるから! ほら荷物貸して。もう《五重奏》の最終合わせ始まるよ」
「うそ」
春菜は慌てて来客用のスリッパに足を突っ込む。上履きは後で生徒玄関から持って来ればいい。最後の練習に遅れたくなかった。涼子の言葉に甘えて学生鞄を渡し、廊下へ向かう。
普段はお知らせや読書感想文の優秀解答が貼られている教室の壁が、企画や出店のポスター、紅葉と銀杏の切り抜きやスパンコールなどで飾り立てられている。ところどころに段ボールや折り紙で作った立体的なオブジェが顔を出し、校内全体が浮き足立っていた。
途中、クラスの子達や他の部活の面々が「ベルナルド!」「後で見に行くからね!」「涼子さま、頑張れー」と声を掛けてくる。それらに手を振りながら、廊下を急ぐ。
「今年は舞台系、気合入ってますよね。
「新入部員少ないって嘆いてたのに、逆手にとったよね。超王道をぶつけるとは。新体操も衣装に気合入れてるらしい」
舞台系の部活は多い。演劇系では春菜や涼子のミュージカルを上演する「
「松江さんのマリア、見たかったなぁ」
左右に貼られた呼び込みのポスターを見ながら、春菜はふと呟いた。涼子は部活の中でも飛び抜けて演技がうまく、一年の時から上級生と対等にプリンシパル・キャストについていた。昨年の文化祭、『マイ・フェア・レディ』で、主役のイライザ・ドゥーリトゥルを見事に演じきったのは涼子だ。同学年も下級生も、引退した上級生ですら、涼子のスタッフ転向を口々に惜しんだ。
「まぁねー、でもあたし、優里と張る気はしないな。受験と一緒にキャストやれるほど、器用じゃないし。受験勉強あったら120パーセント打ち込めないもん」
みんなに迷惑かけちゃう、という涼子の笑い混じりの声を聞きながら、春菜はずっと涼子に言いたくて、思い切りがつかなかったことを、さり気なく切り出した。
「あのね松江さん、私今年が最後なんです」
「え?」
「受験、するんです」
春菜の方へ首をぐるんと回した涼子の目が大きく見開かれた。春菜はその目を真っ直ぐに見返す。
「私も来年受験だから、今年のベルナルドで最後なんです。
春菜が怪我をした時、顧問の菊本先生が異常なほど心配したのを涼子は思い出した。去年の自分のことを思い返すと、春菜にとって腕の怪我が、いや、怪我よりも練習が満足にできないこの一週間が、どれだけ悔しいものだったか、自分のこととして分かる。
「松江さん、今日、成功するかな」
演技にもダンスにも歌にも、何にでも真剣に取り組んでいた春菜の声が震えた。
「何ばか言ってんの」
いつもより明るい声で、涼子は春菜の肩をパンパンっと音を立てて叩いた。
「するかな、じゃなくて、成功させるのよ」
話しながら、いつの間にか大ホールへの渡り廊下をぬけて、もう多目的室が見えてきた。
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