お姉様のハートが欲しい!♥

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お姉様のハートが欲しい


 ここは百合県殺伐市にある欠損女学院。明治の時代から受け継がれる、由緒正しい高等学校。厳密に言うと、由緒正しいのは建物だけなんですが。学校になる前は化学繊維工場でしたの。つい十年くらい前まで。

 今日も空がどんよりと綺麗です。台風の目の中にいるようなぬるっとした空気が心地よくてたまりませんわ。

 私は一年の皆川みながわこころ。この欠損女学院に通うようになってはや三年。未だに一年生でいるのには深い訳があります。私の学業が疎かになっているのではなく、むしろその逆。私は学業を優先し続けた結果、スールの契りを交わす相手が見つからないのです。


 スールの契りを交わし、その方と手を繋いで卒業式を迎える。我が校にはそういった習わしがあります。その相手が見つからない限り、いつまで経っても一年生のままなのです。私は三年目ですが、成人しても尚、一年生という方も中にはいらっしゃいます。相手を見つけることを諦め、退学していく方がほとんどではありますが。

 当校はパートナーを見つけ、殺伐感情を育むことが目的とされています。勉強なんて二の次です。由々しき事態ですね。しかし、厳しいようですが、ここがブレてはいけないのです。私は学園の方針を全面的に支持しています。


「心、おっはよー!」

みことさん、ごきげんよう。今日もいい朝ですね」

「どこが!? めっちゃ曇ってるじゃん!」

「だからそう申し上げたのですが……?」


 彼女の名前は桂木かつらぎみことさん。私の学友で同じく一年生としてこの学園に通う生徒です。彼女の感性は少し変わっているようで、私の言うことはことごとく却下、もしくは否定されます。

 しかし、私は多様性を認めます。同じ一年生でも彼女は年下ですし、自分と違う感性を持った人とお話をするのは楽しいですから。私は今日も彼女と楽しい学園生活を送りたいと思います。


 机の横にカバンを掛けて、私の隣の席に座った命さんは言いました。校門で美裂みさき先輩を見たよ、と。はっと顔を上げて、朝から僥倖を賜った命さんを見つめました。

 美裂先輩、それは私の想い人。是非ともスールの契りを交わしたいとお慕い申し上げている方です。一ヶ月ほど前に憂いた表情で窓の外を眺めている姿を拝見してから、私は彼女の虜なのです。

 ちょうどその頃、行き過ぎた殺伐感情から、先輩についていけなくなったパートナーの方が退学してしまったとか。実を言うと、こういった先輩方は少なくありません。言い方は悪いですが、余り者同士でくっついたり、あとは一年生と改めて契りを交わしたりする先輩方が多いと聞きます。

 先輩の物憂げな表情を意味を知ったときの複雑な心境をどのように言い表せばよいのか、今でも分かりません。一つ分かることは、先輩を思う気持ちが日毎に強くなっていき、つい先日これが恋なのだ、と自覚したことだけです。

 一人で卒業式を迎える方もいらっしゃるそうですが……私は、先輩のパートナーの後釜を狙っているのです。先輩を一人でなんて、絶対に卒業させません。


「昨日聞いたんだけどね、二年生の似たような境遇の先輩も美裂先輩を狙ってるらしいよ」

「その方の名前は?」

狂子きょうこ先輩だよ。知ってる?」

「いいえ。ところでその方の住所はご存知ですか?」

「何する気!?」


 命さんはがたがたと震えながら私を糾弾します。が、何をする気だなんて、決まっているじゃないですか。ライバルは早々に消すに限ります。住所さえ分かればあとはどうにでもなりますし。


「えっと、周囲に何かする感じじゃなくて、先輩に直接アタックした方がいいんじゃないかな!?」

「うぅん、一理ありますね」


 美裂先輩は美しい人ですから。ライバルを消していたら全校生徒がごっそり減るような事態にもなりかねないです。それに、そろそろ査定があります。

 私達は師走の査定日までにパートナーを探さないと進級ができないのです。命さんもお相手を探している最中だったと思いますが、今年はもう諦めたのでしょうか。


「次のお昼休みに、ランチに誘ってみたら? 勇気、出そ! 殺意じゃなくて!」


 私はこくりと頷きました。そうしてもう新鮮味のない三周目の授業を、どんな風に先輩を誘おうかと考えながら過ごします。


 ***


 私は三年生の教室の前にいました。さすが上級生。ドアには血痕がこびり付き、ここで壮絶な愛し合いが行われたことを窺わせます。


「美裂先輩、いますか?」


 私は入り口の近くで胸ぐらを掴み合っている女生徒二人に声を掛けました。愛し合う二人に話し掛けるのは野暮な気がしましたが、お昼休みの時間は限られているので、背に腹は変えられません。


「あぁ!? んだよてめぇ! 取り込み中だろうがよ!」

「美裂なら大方屋上だろ。とっとと消えろ」

「屋上ですか? ……あっ、これ以上見つめ合う二人の邪魔をするのは悪いかしら」

「なんだこの一年坊主! 適当抜かしてんじゃねーぞ!」

「見つめ合う!? どう見ても睨み合ってんだろーが!」


 私は二人に頭を下げました。そうしてさっと身を引き、屋上を目指します。道すがら、あの二人が噂の二人なのかしら、と思い至りました。

 聞いたことがあるのです。おそらくあの二人は、舞先輩と悠先輩。お互いに契りを交わして進級したものの、それを破棄したり、別の相手と契りを交わしたり。かと思ったらヨリを戻したり。お二方周辺の人間模様は、それはもうぐちゃぐちゃらしい、と。


「あれが噂の……」


 学園側は殺伐感情の育み方は千差万別だとして、それを許容しているらしいです。寛容な学園の姿勢には感服するばかりですね。


 屋上に到着すると、下界を統べるようにフェンスの向こうを見下ろす美裂先輩の姿を見つけました。なんて麗しい後ろ姿。長い黒髪が風に靡いて、その光景はまるで絵画です。


 私はたっと走り出して先輩の名を呼びました。振り返る姿はまさに女神。スカートからすらりと伸びる御御足は羚羊のよう。先輩を構成する全てが完璧で、私の胸は今にも張り裂けそうでした。


「直接お話するのは初めてですよね。私、一年の心と申します」

「そう。心ちゃん、何かしら」

「よろしければ、私のランチになってくださいませんか?」

「え?」


 先輩は目を丸くして、「私なにか聞き間違えた?」という顔でこちらを見ています。多分聞き間違えていないです、大丈夫です。


「え、なんですか」

「私とランチを食べるんじゃなくて、ランチとして私を食べる……?」

「あっ!」


 私は思わず赤面しました。なるほど、とんでもない誤解が生まれるようなことを……私は即座に訂正します。


「すみません、私、性的な意味で言ったんじゃないんです。物理的な意味で言いました」

「!?」


 先輩は動揺しているようですが、ここで引いてはいけません。せっかく美裂先輩とお話できたんですから、ここで絶対に私の気持ちを伝えなければ。


「先輩、好きです」

「えっ……」


 先輩は驚いた表情で私を見つめ、何故か周囲を見渡しています。


「あの、イタズラとかでは、ないんですが……」

「そ、そう。えっと、本気なの?」

「はい、ずっとお慕いしておりました」


 先輩を見つめます。かなり困惑されているようですが、パートナーと殺伐感情を育み過ぎてしまったという彼女のことです。私の欲求に対する理解も十二分におありでしょう。

 なので一切の説明を省いて、私は要点だけを伝えました。


「先輩のハートが欲しいんです」

「……随分と可愛らしいこと言うのね」

「もちろん、物理的に」

「物理的に体を欲するのやめない?」


 私は思いの丈をこれでもかというほどストレートに伝えました。しかし、なんと先輩の表情はみるみる内に険しくなっていきます。どうしてでしょうか……。


「ちょっと待ってね。あの、私のことが好きなんだよね?」

「はい! とても!」

「なんで心臓を欲しがるのかな?」

「あ、脳でもいいです」

「その妥協の仕方なに?」


 話せば話すほど分からなくなっていく。目の前にいる彼女は瞳にそんな色を滲ませて、私という生命体が何なのか、解明しようとしているようです。酷すぎます。私、そんな変なことを言ったでしょうか。

 彼女は私がこんな結論に至った経緯を知りたがっているようなので、できる限り言葉で説明してみることにしました。


「まず、私は美裂先輩のことが大好きなので、独り占めしたいんです」

「あ、そこは結構可愛い感じなんだ」

「なので心臓が欲しくなりました」

「どうしてかな?」


 あまりに優しすぎる問い方は、幼児に何かを尋ねるときのそれです。難しいでしょうか。もっともっと噛み砕いて説明すべきなのかもしれません。私は頭をフル回転させて、美裂先輩の心に響くよう、訴えかけます。


「例えば、私が好きと伝えて、先輩も応えてくれるとしますよね」

「うん」

「でも、人間の心は移ろうもの。その感情が一時のものである可能性は否定できませんよね」

「ま、まぁ。そうかもね」

「私の為に死んでくれれば、愛情の大きさを証明すると共に、そこで命を終了させることにより、心変わりという事象を回避できますよね」

「普通は心変わりよりも死を回避すべきだと思うけどね」


 どうしましょう。先輩には私の気持ちが全く伝わらなかったようです。しゅんとしていると、彼女は言いました。


「あなたの言い分はちょっとおかしいわ」

「何故ですか?」


 分かりません……。愛を突き詰めると、みんな私と同じ結論に至ると思うのですが。そうしてやっと気付きました。これだと、私は彼女の愛を貪るばかりの人間に成り下がってしまう、と。

 私は愛情が薄らいだり、向けられる先が変わることを恐れてばかりで、それって結局自分のことしか考えてなかった、ということ。なんて未熟者なんでしょう。


「すみません、私が間違っていました。心臓を捧げます」

「巨人が出てくる作品みたいなこと言わないで」


 先輩は額に手を当てて、ため息をついています。そうして「違うの、根本的に違うの」と、振り絞るように言いました。


「可愛い後輩の申し出を断るのは忍びないんだけど、私……」

「待って下さい!」


 気付くと、私は大声を出していました。いま、間違いなく先輩は私を振ろうとしていました。


「あの、一日だけで構いません。お願いです。今日の放課後、もう少しゆっくりお話できませんか」

「うーん……でも、気を持たせるのも悪いし」

「先輩のことを思って死すら厭わない女ですよ、私は。今更、その結果先輩に振られたって、どうってことないです。努力を、させて下さい」

「そこだけ聞いたらすごい真摯に聞こえるけど、心ちゃんさっきからすごいことばっかり言ってるからね」


 何はともあれ、私は先輩と放課後過ごす約束を取り付けたのです。こんなことなら、もっと早く行動しておくべきでした。それもこれも、私にアドバイスして下さった命さんのおかげ。

 教室に戻ると、私はすぐに命さんに事のあらましをご報告しました。


「放課後、先輩とデートすることになりましたの」

「マジ!? やったじゃん!」

「ふふ」


 自然と笑みが溢れてしまいます。先輩は私を振るおつもりのようでしたけど、こうなったら全力で思いをぶつけるのみです。


 ***


「えーと、じゃあ、どっか行こうか」


 私からお迎えに上がろうと思っていたのに、なんと先輩の方から来て下さいました。たったそれだけのことで、天にも昇る心地です。しかし、本番はここから。軽率に天に召されている場合ではありません。


「映画館とかどう?」

「私は先輩ともっとお話をしたいので、静かにしてなければいけないところは、ちょっと……」

「あ、そうだったね。じゃあ……適当に歩きましょうか」

「はい!」


 そうして昇降口でそれぞれ上履きを履き替えます。正面玄関で他のご学友とお喋りに興じていた命さんに軽く手を振ると、すぐにこちらに気付いて手を振り返してくれました。

 彼女も応援してくれている。そう思うと、これから過ごす時間への意気込みがより一層高まった気がします。


 私達は学校を出て駅へと向かうことにしました。私は徒歩での通学ですが、先輩は3駅離れたところに住んでらっしゃるそうです。私達のデートはぶらりと遠回りをして最後に改札でお別れ、というコースになりました。

 先輩が地下鉄で3駅のところに住んでいるというのは、非常に有益な情報です。殺伐市は大きいので、どの線かは分かりませんが、やはり大動線でしょうか。いえ、頸動線……? いいえ、先輩はいつも身なりも良いですし、持ち物もシンプルながら洗練されたものをお持ちです。ご家庭が裕福である可能性を考慮すると、ここは冠動線ということになりますね。

 冠動線の前後3駅は、耳駅か歯駅になりますね。あとは駅から歩いて何分で家に着くのかを聞き出せれば、駅を円の中心として、先輩の家がある範囲を割り出せますね。


 学校の回りはほとんどが廃工場なので、かなり殺風景な景色が続きます。空のグレーと建物のコンクリートのグレーと。たまに行き交う改造車だけが私達の視界に色を添えてくれます。


「先輩、あの」

「なぁに?」

「爪、もらっていいですか?」

「駄目よ」


 たどたどしく発せられた言葉を、こうも容易く拒絶されるとは予想していませんでした。だって、私としては大分譲歩致しましたわ。心臓からいくつグレードを下げたのか分からない、替えが利く体の一部の要求。それを無碍にされるだなんて。


「……心ちゃんがそんなにショックを受けている意味が分からないのだけど」

「私は爪を剥いで頂きたいという意味で申し上げましたが、例えば爪切りに残った爪や、髪の毛であったなら……?」

「イヤだよ?」

「え!?」

「あ、驚くんだ」


 先輩は話題を切り替えるように、前方に見えるとあるお店を指差しました。あれはホームセンターです。ごく一般的なホームセンターですが、それがどうかしたのでしょうか。


「お店が見えてきたけど、入ってみる?」

「いえ、特に用事は……いや、待って下さい。私、ちょうど家具が欲しかったんです」

「ごめんね、私が変なこと聞いたね。このまま通り過ぎようね」


 何かを察した表情で、先輩はそう言いました。まさか、一緒に選んだ家具を部屋に置きたいという私のささやかな願望に気付かれてしまったのでしょうか。


「変な意味ではありませんよ。ちょうどベッドが欲しいと思っていたんです」

「今はお布団なの?」

「いいえ、あるにはあるんですが……」

「うん?」

「今日これから壊れる予定なので」

「帰ろうね」


 腕を組まれ、ぐいぐいと引っ張られてしまいます。あぁ、待ってホームセンター。出入り口に何枚も貼られている【チェーンソー大安売り!】の広告を見つめながら、私は為す術も無くお店から離れていきます。

 あのお店はいつもチェーンソーを安売りしています。そして種類が途方もなく豊富で、もはやチェーンソー屋さんと言っても過言ではないくらいの品揃えです。用途は分かりませんが、いつか必要になる時がきたら、絶対にここで買おうと思っています。というか、他にまともなものが置いてないので、それ以外の用事で自主的にここを訪れることは無いでしょう。


「大分離れたね」

「はい……」

「そんなに落ち込まないで。家具を買おうとするからよ」

「どんな商品であれば一緒に来てくれましたか……?」


 先輩とのデートが今日だけと、まだ決定したワケではありません。デートでホームセンターというのも大分変わっている気がしますが、あそこは欠損女学園に通う生徒なら必ず通る道なので。後学のために知っておいて損はないです。


「うーん、なんだろう。園芸品とかかな」

「なるほど。確かに可愛らしいですね。園芸用品売り場にある花は大体枯れていますけど」

「そうなのよね。あのホームセンター、ちょっと変だなって思ってる」


 厳密に言うと、園芸用品売り場の一角の生花コーナーの花が、です。あの売り場は九割が造花なので、いつでもぴんぴんしています。ちなみに私は植物に対してそんなに大きな関心はありません。言ってしまえば、花なんてものは簡単に命を刈り取れてしまいますからね。面白みを感じるかと聞かれてしまえば答えは否です。

 しかし、美裂先輩が花を愛でる子を可愛らしいと感じる方だと知れたのは収穫でした。私は先輩のことなら何でも知りたいですから。本当に何でも。食の好みやスリーサイズはもちろん、心理テストでどんな回答をするかも。

 そうして私は思い至りました。先輩は花を愛でる子が好きなのではなく、先輩自身もまた、草木を愛する人なのではないか、と。


「先輩は恋人が花になってしまったら、毎日世話してあげますか?」

「何その質問……うーん、そうかな。毎日話しかけちゃうかも。心ちゃんは?」

「私は綺麗に咲き誇っているところを刈り取りますね。それが花にとっても幸せです」

「聞いた私がバカだったね」


 先輩はにっこりと笑ってそう言いました。いつもはお淑やかな印象の先輩の満面の笑みは国宝にも値するでしょう。無形文化財というのはどちらに申請を出せば良いのでしょうか。


 しばらく歩いて赤信号に立ち止まります。このままずっと信号が変わらなければいいのに。一時間くらい。ささやかな願いも虚しく、信号はすぐに青になってしまいました。

 渡ろうと一歩踏み出したところで、右側から物凄い轟音が聞こえてきます。見ると、随分と賑やかな二輪車に乗った方々が集団で走ってきます。私は彼らが過ぎ去るのを待ってから歩き出しました。


「ああいった危険な行為は好ましくないですね」

「まぁ君も暴走しているという点ではアレらと同じなんだけどね」


 駅が見えてきてしまいました。ゆっくり歩きたいけど、先輩は私の歩調に合わせては下さりません。これまでと変わらぬ調子で、スプレーで落書きされた壁の横を颯爽と歩いていきます。その後ろ姿が、眩しくて遠いです。

 私が先輩の隣に追い付くと、彼女はぽつりと言いました。


「あのね、私、一人で卒業するんだ」


 控えめな声量でしたが、声色からは強い意志を窺わせます。あぁ、私、やっぱり振られてしまうのですね。パートナーだった人の代わりには、なれない、と……。ショックに打ちひしがれながらも、先輩の独白に耳を傾けます。というか、そうすることしか、できませんでした。


「パートナーが退学しちゃったのは本当だけど、それは親の事情でこの街を離れるからで。卒業したら一緒に暮らす予定なんだ」

「そんな……」


 つまり、初めから私の一人相撲だった、と。そういうことだったのですね。悲しみに暮れるにはまだ早いです。私は一縷の望みに縋るように問いかけました。


「あのどちらで暮らすんですか?」

「今日一日の流れを考えたら君に絶対に所在を教えてはいけないってことくらい分かるよ」


 先輩は鞄から定期入れを取り出しながらそう言いました。立ち止まって話をして下さるようには、とても思えません。だけど私は食い下がります。


「……じゃあパートナーの方のご住所は?」

「もっと言えないよね、気付こうね」


 このまま改札を抜けてしまう、そう思った瞬間、美裂先輩は振り返りました。その顔は、真剣そのものです。


「でも、君が心臓を捧げたいって言うなら、もらってあげてもいいよ」

「え?」

「私はそれをすぐにゴミ箱に捨てるけど」

「え……さすがに殺伐市とはいえ、心臓がゴミ箱に捨てたられたらそれなりに事件になると思いますが」

「なんで急に返答が現実的になるのかな」


 私の気持ちを汲んでのことでしょうが、一体何故急にそんな話になるのでしょう。先輩の仰っしゃりたいことが、私には分かりません。


「でもさ、無償の愛ってそういうものじゃない?」

「……確かに」

「心ちゃんは、私に捨てられるって分かってて、命を捧げられる?」

「……!」


 何も、言えませんでした。

 それが、今の私の全てです。


「迷った?」

「少し」

「それが答えだよ」

「……そう、ですね」


 問われた瞬間、即座に死ななければ、私がこれまで語った先輩への愛なんて嘘です。そうして、そんな半端な愛で先輩の命を欲していたことを、深く反省しました。

 私は先輩に深くお辞儀をしました。じゃあね、そう言われても、私はしばらく頭をあげられませんでした。大切なことを教えて下さった感謝と、半端な感情を向けてしまった申し訳なさから、動けずにいたのです。

 顔を上げた頃には、先輩は改札を抜けて階段を降りるところでした。麗しい横顔は、私が憧れた彼女そのものでした。


 ***


 翌朝、教室に辿り着くと、席に着きます。私よりも早くに登校されていた命さんと挨拶を交わし、すぐにご報告しました。


「私、先輩のことは諦めることにしましたの」

「え!? 昨日一日で何があったの!?」


 彼女は大きな声を上げて、驚きのあまり起立しながら私に問います。何があったのか、一番の仲良しである彼女には知っておいて欲しい。そう思って、私は昨日手に入れた一つの真理を告げることにしました。


「大切なことを学んだので……」

「何を?」


 生唾を飲んで私の返答を待っている様子に、少しだけ緊張してしまいます。しかし、私が学んだことは、絶対に間違いではないはず。そう決心して口を開きました。


「無闇やたらに心臓を欲しがってはいけない、ということです」

「うん、それは当然だよね」


 どうやら今年の査定もクリアできなさそうです。

 命さんのため息が教室の喧噪に消えていきます。

 呆れたような視線を向けられて傷心した私は、帰りにホームセンターに寄ることを決意しました。


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