崩壊
ランタンの光が照らす薄暗がりの中で、セフィロは術式の仕上げに取り掛かっていた。
シキブはソファでピザをつまみながら、生命の樹について解説した本をぼんやり眺めている。
術式の構造自体はそれほど難解には見えない。
これを起動できないとすれば、術者のスペックの方に問題があるように思えた。
「その本面白い!?」
「あ?まぁ…暇潰しにはなります」
「それは無能には読めない本だ。シキブは頭がいいんだね!」
「そうなんですかね?」
――ガタ…ッ!
上階から物音がした。
セフィロが肩をビクつかせ、不安そうな目でシキブを見る。
「やはり私には、読書よりもこっちですね」
シキブは刀を手に取り、扉へと向かった。
「待ってシキブ!」
扉の取っ手を掴んだシキブに、セフィロが駆け寄ってきた。
「これあげるよ!おまもりにして!」
セフィロは耳の上に付けている花飾りを乱暴に外し、シキブの手に握らせた。
皮脂でベタついている上に、毟り取られた髪の毛が数本垂れ下がっている。
「いつも身に着けているものですよね?大切なものなのでは?」
「死んだ母親からもらったやつだから何となく付けてただけ!セフィロにはシキブが居るから、もういらないんだ!」
「はぁ…?それはどうも」
シキブは花飾りをジャケットの胸ポケットにピンで固定した。
「では、いってきます」
「いってらっしゃい!!」
ぶんぶん手を振るセフィロに送り出され、シキブは地下のお部屋を後にした。
上階ではアリギエーレと、警備担当の修道士達が踏み込んできたところだった。
古びた聖堂はカビ臭く、月明かりに照らされて埃が舞っているのがよく見えた。
「げほ…っ!本当に人住んでるんですかね?」
口元を袖で押さえながら、アリギエーレが顔をしかめる。
「足跡がありますよ」
埃が積もって白くなった床に、子供サイズの足跡がいくつも残っている。
それを辿って警備主任の修道女が一歩踏み出した時、
プツン……っ
と、糸が切れるような音がした。
次の瞬間、風を切る鋭い音とともに飛来した矢が、修道女の首を貫いた。
静まり返った聖堂に、ただの肉塊となった人間の倒れる音が、鈍く響いた。
「狙撃かっ!?」
「トラップです!!」
別の修道士が、上方の壁に固定されたボウガンを発見した。
死んだ修道女はボウガンのトリガーにつながった糸を踏んでしまったのだろう。
「この聖堂は結界を張っているので安全です。セフィロが事を成すまで、おとなしく待つのをオススメします」
奥の暗がりからシキブが姿を現した。
修道士たちが一斉に武器を構える。
「やはりセフィロ様が…!そこをどきなさい!抵抗するなら異端審問にかけますよッ!?」
「私は護衛の仕事をするのみ……」
アリギエーレの警告を無視し、シキブは刀に手をかけた。
「司教!ご指示を!」
「しゅ、粛清しなさいッ!!」
抜刀して突っ込んできたシキブめがけ、二人の修道士が銃を乱射した。
数発が命中し、うち一発は脳天を貫いた。
シキブは床に崩折れ、動かなくなる。
「仇は取ったぞ……」
ショットガンを持った修道士が、仲間の死体に向かって呼びかけた。
首に矢が刺さった修道女は、自分が死んだことも理解できなかったのであろう、口をぽかんと開けて絶命している。
……その口が、わずかに動いた。
「…ありがとう……」
死体が、そう呟いた。
「えっ…!?」
驚いて硬直した修道士の体を、冷たい光が一閃した。
彼の腰から上がゆっくりとスライドして床に落ち、血飛沫の向こうで矢が刺さったままの修道女が立ち上がる。
その姿が、徐々に刀を携えた少女のものに変わってゆく。
「幻術です!そっちが本体!!」
アリギエーレが金切り声を上げる。
聖堂に入った時点で気付くべきだったのだ。幻術使いは幻の投影先として水や埃を活用する。
この建物が埃っぽかったのは、長年打ち捨てられていたことに加え、シキブが幻術用の
「うわぁあああ!?」
修道女が悲鳴を上げながらハンドガンを構える。
しかし彼女が狙いをつけるより速く、シキブの一足飛びからの袈裟斬りが叩き込まれた。
斬り殺された修道女が最期の力で発射した銃弾はステンドグラスに命中し、破片がアリギエーレに降り注いだ。
「ひぃぃイイイ!?」
「うぉおおおおおおッ!!」
情けない悲鳴を上げて防御姿勢を取るアリギエーレを尻目に、気勢の雄叫びを上げた大柄な修道士がシキブに突貫した。
袈裟斬りを打ち下ろしたばかりのシキブの背中はがら空き。
大男はシキブの長い後ろ髪を掴んで引き倒した。
「粛清するァアアアアアアッ!!」
そのままシキブの体を持ち上げて振り回し、力任せに床に叩きつけようとする。
「ぐ…っ!」
シキブは体幹に力を込めてなんとか体を捻り、掴まれている髪の毛を自ら刀で切断した。
ざんばらのショートヘアとなったシキブは、ちょうど大男の背後に回る形で着地。巨体の背中を刀で薙ぎ払った。
斬撃を受けた男は短く唸ると、首をぐるりと回して血走った目でシキブを睨みつけた。
手応えはあったが、さきほどのように両断できるほどの威力は乗せられなかった。
振り回されたせいで平衡感覚も鈍っている。
距離を取ろうにもフラついて逃げられないだろう。
この場で、男の攻撃より速く、確実な致命打を放つ必要がある。
「グォオオオオオッ!!」
獣のように叫び、大男が拳を振り上げる。
シキブは刀を左手に持ち替えると、刃が下に向くよう逆手にした。
そして腰をかがめて低く構え、右手首の魔具に魔力を収斂させていく。
「潰れろォォオオッ!!」
大男の一撃が振り下ろされる寸前、シキブは低い姿勢から跳ね起きるようにして体を持ち上げた。
魔力を乗せた右拳で刀の峰を押し上げ、バネの勢いとともに剣撃を撃ち放ったのである。
紫紺色の剣閃が男の正中線を真っ二つに割り、肉と骨を破壊する音が爆発音のように響き渡った。
「そ、そんな……っ!?」
ガラス片の中でうずくまっていたアリギエーレが、目を丸くする。
幼児のような体格の少女に、四人の大人があっという間に倒されてしまった。
もう残っているのは自分だけだ。
「ああ……神よ。あなたはなんと役立たずなのでしょう……」
アリギエーレは司教の立場にありながら敬虔とは言い難い人間だった。
縫製工場を運営する家庭に生まれ、幼少期は家業を手伝いながら民間の学校に通った。
近所に住むガキ大将、のちに教皇エレウテルスとなる少年に強引に誘われ、修道院で神学と魔術を修めるに至った。
アリギエーレを指導した先輩修道士は昼間から酒を煽っているような生臭坊主で、助祭として補佐した先輩司祭は、賄賂で私腹を肥やしている少年性愛者だった。
実家の工場で働いている労働者たちのほうがよほど勤勉で、節度というものを知っていた。
もし神がいるのなら、自分の取り巻きの堕落を罰するべきだろうと思った。
だから彼は早々に信仰を捨て、賄賂も貰わず、女も買わず、ただマニュアルに沿って仕事をこなす職業神父となった。
後でトラブルになるようなことには関わらず、仕事をして、金を貯めて、隠居する。
それがアリギエーレの人生設計。
神に祈ったところで腹は膨れないのだ。
この世界はすべて人間の自己責任で回っている。そう思っていた。
だが今、彼はたしかに神の存在を感じていた。
人の命を冷徹に奪うことを生業とする、人の姿をした、人ならざる者。
目の前で巨躯を両断してみせた、この少女が冠するに相応しい神の名があるとすれば……
「死神……っ!」
無論彼女が人間であることはわかっている。
しかし神が実在しないのであれば、神がかった所業をやってのける人間が、すなわち神と呼ばれる存在になるのではないか。
死神シキブ・ハナオリ。
それが神を信じない聖職者、ガイウス・アリギエーレ司教が最初に出会った神であった。
「あと、一人……」
虚ろな目をした小柄な死神が、アリギエーレに迫ってくる。
彼女が放つ冷たい靴音が、死へのカウントダウンのように感じられる。
「く、来るなぁあああ!」
アリギエーレは錫杖を握り、シキブに向けて魔術を行使しようとした。
――ドンッ!
銃声とともに、アリギエーレの肩に熱と痛みが広がる。
修道士が持っていた銃をシキブが拾い、一瞬で狙いをつけて撃ってきたのである。
錫杖を取り落としたアリギエーレは肩を押さえ悶絶した。
ゆったりと距離を詰めてきたシキブは、アリギエーレの頭部に銃口を向けた。
アリギエーレは冷や汗をかきながら顔を上げ、死神の目を睨みつけた。
「…貴様!セフィロがやろうとしてる事がわかってるのか!?街の中心を囲むように破壊された水路……そして水脈の起点となるこの湖……!ここから地下水に魔力を流せば街を包囲する魔法陣が完成するんだぞ!?」
「でしょうね」
「でしょうねって、マジで何なんだ貴様ァアアアアアッ!!?」
キレる中年親父。
噂に聞く老害というやつだろうか?
そんなことを思いながら、シキブは銃の引き金に手をかけた――
――ドゴォッ!!
銃が発砲される寸前、地鳴りのような音とともに下から突き上げる衝撃が建物に走った。
シキブとアリギエーレの体が宙に浮き、聖堂の窓から青銀色の光が雪崩のように差し込んできた。
大量の魔力の変成反応。
美しく絶望的な輝きが、セフィロの魔法の完成をシキブに知らせた。
「おめでとうございます」
浮遊感の中、光に目を細めながらセフィロを祝福し、シキブは意識を失った。
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