司教の受難
「セフィロのお部屋にようこそ!ごゆるりとおくつろぎください!」
案内されたのは街の郊外にある、使われなくなって久しい小さな聖堂だった。
その地下に、セフィロのお部屋はあった。
「てっきり修道院の寮に案内されるかと思ってました」
「あそこじゃ無能がうるさくて集中できないからね!自分用の研究室を買ったんだ!」
一応は教皇の娘であるセフィロはある程度自由に使えるお金を持っているらしい。
彼女が言うところの「無能」の介入を防ぐため、研究資材の購入を装って買ったのが、この秘密のお部屋なのだった。
少女らしさのかけらもない石造りの殺風景な部屋で、床と壁一面に計算式や魔術式が書き連ねられている。
その一つ一つの式についてセフィロは嬉々とした表情で説明をしてくれた。
シキブはそれらの説明を理解できたが興味はなかったので、適当に相槌を打ちながら聞き流していた。
どうやら街一つを破壊するに足る広域魔術を作っているようだが、使用する大量の魔力の確保とその出力方法が明確ではないように感じた。
「そこで登場するのが生命の樹です!」
セフィロはポケットから、破り取った本の頁を取り出した。
古代文字で描かれた円形の術式と、それらをつなぐ経路が枝のように張り巡らされている。
果実が実った樹のようにも見えるそれは、魔術師たちの間で「生命の樹」と呼ばれる式だそうだ。
「これを使えばセフィロ一人でもたくさんの魔力の管理と出力ができます!」
「……
「それは数多の術者が無能だったせいだと考えられます!セフィロなら大丈夫と思います!」
「……ふーん」
シキブは部屋の隅に置いてあるボロボロのソファに腰を下ろし、手近に落ちていた本を拾って読み始めた。
内容に興味はなかったが、時間を潰す役には立ちそうだった。
「せ、セフィロのお話楽しくない?」
「お気になさらず。もともと楽しいという感覚に疎いんです。あなたのように何かに夢中になれる人が羨ましいです」
「ほんと!?セフィロが羨ましい!?」
「ええ、そりゃあもう。嫉妬で狂いそうですね」
嘘だった。
もともと理解できない感覚を羨ましく思うはずもないのだった。
だがセフィロはシキブの社交辞令をたいそう喜んだ。
「じゃあセフィロが魔法を完成させるところを見せてあげるよ!きっと楽しいよ!」
「あー…ところで大量の魔力はどこから持ってくるつもりなんです?」
「街の人達からもらうんだよ!もうすぐ街を囲む術式が完成するんだ!そしたらそれを生命の樹につないでドーン……!」
両腕を大きく広げたセフィロが、はたとして黙り込む。
猛禽じみたギョロ目でシキブを見やり、それからきょろきょろと視線を回転させる。
「シキブは……セフィロを止める……?」
「なぜです?」
「この魔法が完成したら、無能がたくさん死ぬから」
「私は楽しいという感覚はわかりませんが、だからといってなにかを楽しんでいる人の邪魔をするつもりもありません。あなたがやり遂げたいことがあるなら、好きにすればいい」
「!!!!!!」
セフィロは目を輝かせた。
「ねえシキブ!シキブは人を殺すお仕事をしてるんでしょ!?」
セフィロがシキブの携えている刀を指して訊ねた。
「まぁそうですね。必ずしも殺すことが仕事ではありませんが。情報収集や護衛なんかも請け負ってます」
「ぴったり!セフィロを無能から守る人になってください!!」
「護衛の依頼ということで?ふむ……」
シキブは顎に手を当てて考えた。
ギルドを通さず勝手に依頼を受けるのは少し気が引けた。だが集団に属してはいてもシキブはあくまで個人事業主だ。
この街には検診の目的で来ているので、その分のスケジュールは空いている。
本来の目的である検診はすでに終えているのだから、余った時間で仕事をしても咎められるいわれは無いだろう。
「二~三日でよければ。報酬は……そうですね、寝る場所と食事を用意してくれればそれでいです。初回サービスにしておきます」
「じゃあここ泊まってシキブ!魔法が完成するまで一緒に暮らそう!!」
「ええいいですよ。どうぞ、ごゆるりと魔法を完成させてください」
シキブの答えにセフィロは喜色満面。
鼻歌を歌いながらチョークを手に取り、壁の術式を加筆し始めた。
その背中を眺めながら、シキブは晩ごはんを何にしようか考えていた。
シキブはセフィロを否定しなかった。
大量の
人の生き方について、あるいは死に方について、このシキブという少女はあまりにも無頓着なのだった。
◆
ガイウス・アリギエーレ司教は苦労症であった。
勢力を拡大していく
教会が頒布するイケメン修道士カレンダーに採用された経験もあったが過去の話。
やや神経質でワーカホリック的な気質はご婦人方を遠ざけ、大教区の司教となった現在も浮いた話にはご縁がなかった。
もっともこの歳まで独り身を通してしまうと、身の回りの面倒は自分でやったほうが早いし、妻帯したところで余計なストレスが増えるだけなのではないかと考えてしまう。
「そういうところですよ」
とは、助祭であるマリオ・ヴェチェッリオ神父(三十歳妻子持ち)の言。
歯に衣着せぬ性格で、ドライな気質のアリギエーレとはウマが合った。
彼の補佐なくして、アリギエーレがこのマーヤ修道院の院長としての職責を全うすることは不可能だったろう。
最近の忙しさの主たる原因は、教会本部から押し付けられたセフィロのお守りであった。
教皇エレウテルスとアリギエーレはともにマルクトの兵学校に遊学した仲であり、当時からアリギエーレはパシリとして使われていた。
「まさか子育てまでパシらされるとは……。あのヒヒ爺め……」
アリギエーレは毒づく。
エレウテルスが教会の運営する研究施設を視察に訪れた際、知り合った研究者の女性と一夜の過ちを犯して生まれた子供。
それがセフィロだ。
セフィロの類まれな魔力経絡の強さをエレウテルスは賞賛し、自身の娘として認知した。
だがすぐに興味を失い、教育はすべて修道院の人間へ放り投げた。
もともと魔術研究者としての権威を持つ男だ。そういう連中はどこかしら破綻している場合が多いことを、アリギエーレは知っている。
セフィロはセフィロで周りの人間を無能と見下し、独自の研究に没頭していた。
あの娘は周囲への貢献など考えたこともないだろう。
だが彼女の研究が生み出した副産物は、主に兵器開発の分野で教会の糧となっていた。
セフィロの無軌道ぶりに教会が大きな口を挟めないのには、そういう理由もある。
敵に回すよりは目の届く場所で飼育して、金の卵を生むのを待つのが建設的だと考えたのである。
その飼育係を任されたのがアリギエーレであった。
彼の地位であれば若い修道士の教育に直接関わることはまず無いのだが、へたな人間に任せて不祥事を起こされてはまずいと、セフィロが参加する実習などには必ず監督役として関わることになっていた。
先日も見事に魔術式を暴走させてみせたセフィロに、アリギエーレはとうとうキレてしまった。
スプリンクラーの水でずぶ濡れになりながら自分の説教を聞き流していたセフィロ。
反省の色もなければ落ち込んでいる風でもなかったのだが……。
「セフィロ様が寮から姿を消して三日……。私が叱ったから家出しちゃったのかなぁ……」
教会へどう報告すればいいのか。
最悪司教の叙階を剥奪される可能性もあるが、あのざっくばらんな教皇のこと、
昔なじみであるアリギエーレのミスをゲラゲラ笑ってからかいながら、うまい具合に取りなしてくれるだろうとは思う。
気持ち悪い話だが、そういう絆に近い信頼関係をアリギエーレと教皇は結んでいた。
「とはいえあの爆弾娘を長く市井に紛れ込ませておくのはまずい。なにかやらかす前に連れ戻さないと……」
「司教。そのことで気になる情報が」
資料を整理していたマリオ神父が声をかけてきた。
「数日前、街外れの湖畔にある廃聖堂を買い取った人物がいます。それと関係するのかわかりませんが、街の周辺で水路がいくつか破壊されています」
「水路が?どのへん?」
「えっと……」
マリオがルビニエの見取り図を机に広げ、破壊された水路の位置にバツ印を付けていく。
ルビニエは小さな島同士が運河と橋によって結ばれている。
マーヤ修道院が位置する中央の島を起点に、十一の島から形成される水上都市だ。
破壊された水路は主に街の外へと向かう、いわば水はけの役を担っているものが多いようだった。
「………………」
ペンを握るマリオの手が震え始めた。
アリギエーレも、ずり落ちたわけでもないモノクルを指で押さえつけ、口の端を引きつらせている。
「その……何者かが買い取った廃聖堂というのは、どの位置ですか……?」
問われたマリオはごくりと唾を飲み込み、街の北端に位置する湖畔にバツを描いた。
見取り図の中に立ち現れた「陣」の姿を認識した二人は、互いの血の気が引いていく音が聞こえるほどに青ざめていった。
「きょ…教会本部へ連絡をッ!!!!」
アリギエーレが甲高い声を上げて指示するより早く、マリオは部屋を飛び出していった。
「くそ!クソァ!ファック!!なんで私がこんな役を――ッ」
セフィロの計画が成れば、いかな教皇といえど、アリギエーレを庇いきれないだろう。
それだけの事態が起ころうとしていた。
アリギエーレはキャビネットから戦闘用の錫杖を掴み出すと、警備員宿舎へ向けて全速力で走った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます