春の茶会

 シキブがリヴィーツァ家の家庭教師として招かれてから三ヶ月。

 シャルロータの奇行はめっきり減っていた。

 彼女は両親の期待通り兵学校を受験し、危なげなく合格を勝ち取った。

 アルシュターと夫人は娘を更生させてくれたシキブをいたく気に入り、侍女として継続雇用することを決めた。


 季節は春を迎え、王城の離宮では茶会が催されていた。

 年に二度開かれるこの茶会には王も姿を現し、臣下と直接言葉を交わす貴重な席である。

 外様貴族へのガス抜きも兼ねており、王の暗殺計画に関わる家々も多く集まる。

 シキブは侍女兼ボディーガードとしてシャルロータに付き添い、会場へ向かった。


「剣をお預かりいたします」


 警備を担当する少数の兵士以外、茶会の場に武器は持ち込めない。

 クロークルームの係員に指示され、シキブは刀を預けた。


「魔具もお持ちであればお出しください」


 もちろん魔術を発動させるのに必要な道具も禁止だ。

 シキブは右手首に付けた紫紺色の数珠を外して渡した。シャルロータも雌獅子の腕輪を外し、向かい合う獅子の彫刻にキスをしてから預けた。


「どうぞシャルロータ様。リヴィーツァ夫妻はすでにお入りになられています」


 係が扉を開け、二人を広間へ招き入れた。


「緊張してますか?」


「ぜーんぜん」


「今日は頭皮の匂い嗅いでねーですもんね」


「黙って!」


 離宮の広間には大勢の貴族たちが集まっていた。

 みな礼装に身を包み、テーブルを囲んで歓談している。

 その中には暗殺計画に加わり、シャルロータの命を狙うエジノローク卿と娘のリゼタの姿もある。何も知らないリヴィーツァ夫妻が、彼らと楽しげに談笑していた。


 テーブルに近付いてきたシャルロータに気付き、エジノロークが声をかけてきた。


「これはシャルロータ嬢、ご機嫌麗しゅう。兵学校ご入学おめでとうございます」


 シャルロータは「ありがとうございます」と一礼した。


「晴れて同窓ですわねシャルロータ。共に高め合っていきたいものです」


 リゼタが微笑む。彼女の声には明らかな緊張があった。

 「素人め」と内心で嘲笑いながら、シャルロータは笑みを返した。


「さぁシャルロータ、陛下にご挨拶を」


 奥の一段高くなったスペースには玉座が据えられ、国王ガラダィン1世がつまらなそうに座っていた。


 王は美丈夫として知られている。今年で五十を迎えるがその美しさは健在だった。

 しかし本人はそんなことにまるで関心がないのだろう。

 質素なガウンを着崩し、長い銀髪を束ねようともしない。

 そして思い出したかのように頭に乗せられた王冠。

 やる気のなさが溢れていた。


 父に促され、シャルロータはシキブとともに御前ごぜんへと進み出た。


「麗しいな気狂い娘よ。見目だけでなく振る舞いでも余を楽しませてくれるか?」


「ええ。陛下の退屈を紛らすに十分な余興を用意してございます」


「ほう?」


 王は頬杖を突き、薄い笑みを浮かべた。

 リヴィーツァ夫妻は顔を見合わせ、娘の言葉に首を傾げている。

 シャルロータは「失礼致します」と言って頭を垂れ、髪に飾ったティアラをゆっくりと外した。


 場に居合わせた者たちは、室内の大気が震えるような感覚に襲われた。

 魔術に心得のある者ならば、それが術の発動する前兆であることが理解できたことだろう。

 当然ながらアルシュターはこれを察知した。


「シャルロータ!?なにを……ッ」


 まばゆい青銀色の光が炸裂した。

 それは大気中の元素と魔力が反応した時に起こる変成反応の光だった。

 光の中から触手のようなものが無数に伸び、茶会の参加者たちに襲いかかった。


 触手は人々を貫き、そのうちの一本がガラダィンへと向かった。

 王は座したまま身じろぎ一つせず、薄く笑って目を閉じた。


 ――ドシュッ!


 骨肉を抉る音とともに、近衛の兵が倒れた。王は自分を庇って死んだ兵士を、冷めた目で見下ろしていた。


「庇われた」


 シャルロータが焦るでもなく言う。

 彼女の髪は生きた蛇のようにうねり、先端は細剣のように尖っていた。


 脇に控えていたシキブが玉座めがけて跳躍する。

 右手には近くのテーブルから拝借したフォークが握られている。

 ザクッという音が響き、御前の絨毯に血の粒が散った。


「その目には見覚えがあるな……どこかで会っているか?」


 ガラダィンがシキブの闇色の瞳に向かって尋ねる。

 彼は玉座から動かぬまま、掌底でフォークを受け止めていた。

 右手はシキブの左手首を掴んで封じている。


「いいえ陛下。お初にお目にかかります」


「で、あろうな。余にも会った覚えはない」


 益体の無いことを言う。ああ時間稼ぎか、と思ったシキブは攻撃を続けるために身を引こうとした。


 が……動けなかった。

 フォークを王の手のひらに突き刺した瞬間のまま、彼女の体は凍りついたように動かなくなってしまった。


「貴様の経絡けいらくは余が掌握しておるゆえ、脳からの指令は筋肉に届かぬ。なに、時間は取らせぬよ」


 魔術の類か、とシキブは思ったが、違った。

 若くしてあらゆることを極め終わったというガラダィン。

 極めた事柄の中には古今の武術も含まれている。

 彼はシキブの手首にある秘孔を押さえることで、すべての動きを封じてしまったのである。


「貴様は旅の者であろう。旅とは良いものか?」


「悪くねーです……」


「で、あろうな。わかった。では案内あないいたせ」


 時間は取らせないという言葉は本当だった。

 たったそれだけの会話をして、ガラダィンはシキブを解放した。

 そして羽織をはだけ、腰帯に挿している護身用の短刀の存在を、シキブに示した。

 シキブは手首をさすりながら、訝る視線を王に向けた。


「なにを戸惑う?その目を見ればわかる。貴様はそういう生き物なのであろう?」


 なるほどわかっているのか、とシキブは納得した。

 おそらく王はシキブのような存在と過去に会っているのだろう。

 この世に興味を持たぬ王が、人殺の本能を持つ相手に向かって「案内」を求めたのだ。

 王命に背く理由はなかった。


「それではお連れいたします。、陛下」


 シキブは王の腰から短刀を抜き、彼の喉を真一文字に斬り払った。


「よい旅を……」





 広間では警備兵とシャルロータが争っている。

 シキブは血の滴る短刀を手に、御前から降りた。


「どうなってるんだシキブ殿……娘に一体何をしたんだ……?」


 シャルロータの髪の毛は彼女の両親をも貫いていた。

 夫人は胸と頭を穿たれ、すでに息絶えている。

 アルシュターも血を流しながら浅い呼吸をしており、もう長くはない様子だった。


「シャルの体内に元素を直接取り込み、髪の毛を魔具の代替とすることで魔術を発現させました。今の彼女は生きた魔具のようなものです」


「そんな無茶な……体の中身がごちゃごちゃになってしまう……。いや、無茶だからこそあの子はやったのか……」


 娘の禁忌衝動を思い、アルシュターは溜め息交じりに頷いた。


「しかしなぜ王を……?」


「リヴィーツァ家は謀反のスケープゴートに選ばれていたのです。どうせ罪を着せられるなら現実にしてしまおう。雌獅子の実力を示し、ほかの謀反人共も道連れにしてやろうと、シャルは考えたのです」


 シキブがアルシュターに事の顛末を語っている一方、シャルロータはクロークから武器と魔具を取り返していた。


「シャルロータッ!!」


 広間に戻ったところで、一人の少女がシャルロータに叫んだ。

 エジノローク家のリゼタだった。

 父親の死体にすがって泣いている。


「どうしてなのシャルロータ!?私達、子供の頃いっしょに遊んだ仲じゃないっ!」


 暗殺者がよく言うものだとシャルロータは思った。


「そうね。でも私達はもう子供じゃないし、遊び相手ならほかに見つけたの」


 シャルロータは玉座の方を見やった。

 兵士数人がシキブに向かっている。短刀一本ではさすがに分が悪そうだ。

 こんな小者の相手をしている時間はない。


「じゃあ、そういうことで。ごきげんようリゼタ」


 スカートをつまんで一礼し、シャルロータはリゼタに背を向けた。

 リゼタは化粧の崩れた顔を持ち上げ、憎悪に染まった目でシャルロータの背中を睨みつけた。


「このぉ……っ」


 近くに倒れている兵士の剣を拾うリゼタ。


「この気狂いがぁあああああアアアアアッ!!」


 血染めの金髪を揺らすシャルロータの背中めがけ、リゼタは斬りかかった。


 ――ヒュッ!


 という風を切る音が聞こえたかと思うと、いつの間にかリゼタの視界は天井にある壁画を捉えていた。

 獅子を従えた乙女が天使たちを率い、戦場へと向かう勇壮な姿が描かれた絵だ。

 その絵が徐々に小さくなり、視界が回転する。広間の様子が一望できた。

 逃げ惑う人々と、転がる死体。

 玉座の近くでは黒髪の少女が兵士たちと戦っている。彼女の元へと、金色の獣が駆け寄っていくのが見えた。


 ――ゴトッ!!


 衝撃とともに、リゼタの意識は途絶えた。

 彼女が最後に見たのは首を失って血を噴き出す自分の体と、それを振り返りもせず遠ざかっていくシャルロータの後ろ姿だった。



 シキブは三人の兵士に取り囲まれていた。


「謀反人め!」


 女性兵士がサーベルを抜き、シキブに斬りかかった。


「シキブッ!!」


 シャルロータが髪の毛をしならせて刀を投げる。

 シキブは「便利な髪だな」と呟いてキャッチし、朱塗りの鞘から刀を抜き放った。

 その瞬速の抜き打ちは女性兵士の胴を払い、彼女はサーベルを振り下ろすことなく絶命した。

 返す刀でもう一人が斬り捨てられ、最後の一人はシャルロータの髪に貫かれた。


「ありがとうございます。二つとも大事な品なので助かりました」


 刀を鞘に収めたシキブは、シャルロータが持ってきてくれた数珠を手首にはめ直し、礼を言った。


「どういたしまして」


 誇らしげに胸を張るシャルロータ。

 彼女の乱れた髪の毛が気になったので、シキブは手櫛で整えてあげた。

 シャルロータは気持ちよさそうに目を細めた。


「では脱出を……」


「シャル…ロータ……」


 アルシュターのかすれた声が、娘を呼び止めた。


「お父様……」


「話は聞いたよ……私はとんだ間抜けだな……」


「間抜けは私だわ。お父様を一撃で殺してあげられなかった」


 ははは…と、アルシュターが弱々しく笑う。


「ごめんなさいお父様。私、欲しいものができたの……。そのために家を出ます」


「それがいい……。こんな場所、お前の居場所じゃない。クソくだらん貴族どものお遊びに付き合う必要など無いんだ。お前はお前らしく生きなさい……」


 アルシュターは壁にもたれ、妻の死体を抱き寄せた。

 異形の存在となった娘を眩しそうに見つめる。


「いやしかしとんだ怪物になってしまったなぁ……。私達は今まで何を育てていたんだろうね?」


「あなた達は優れた親だった。どうか誇ってください」


 娘の言葉に、父親の瞳が強い光を宿した。


「ああ、誇るとも……。私のような凡人が怪物を生み出せたんだからな……ッ!」


 王殺しの雌獅子・リヴィーツァ。

 その最後の当主となった男は、二つ名に恥じぬ邪悪な笑みを浮かべて事切れた。

 傍らには獅子たちの抱える狂気も知らず、ただひたすらに心優しいだけだった夫人が寄り添っている。

 シャルロータは左手首で揺れる大きな腕輪を右手で包み、「父様パパ母様ママ…大好きよ」と呟いた。


「そこを動くなッ!!」


 ライフルを装備した部隊が突入してきた。

 シキブはシャルロータの手を引いて、テラスまで走った。

 銃弾の雨が二人を追尾する。


 遠くに王都ロクヤーオンの街明かりが見えている。

 テラスの下は中庭になっているはずだが、真っ暗闇で何も見えない。


「怖くないですか?」


「私は獅子の娘よ。なにも恐れたりしないわ」


 その言葉に頷き、シキブはシャルロータを抱き上げた。そして闇に向かって飛んだ。

 夜風が二人の肌を通り過ぎていく。

 春先の風はまだ冷たかったが、火照った少女たちの体にはちょうどよかった。


「いい匂い……」


 シャルロータがシキブの首もとに鼻を寄せて囁いた。

 幼い獅子からは血と汗と、悲しげな狂気の匂いがした。

 シキブは「シャルもいい匂いだ」と言いかけたが、舌を噛みそうだったので言わなかった。

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