暗殺計画

 結局その日はシャルロータの真意を聞き出すことはできなかった。

 学校に行ったら死ぬとはどういう意味だろうか。


(人付き合いが苦手すぎて死んじゃう的なやつかな……)


 シキブがそんなふうに考えながら自室に向かって歩いていると、窓の外で庭木の手入れをしているアルシュターが目に入った。

 庭師を雇う金を節約しているのかと思っていたが、どうやら庭いじりは彼の趣味らしい。

 なんとも素朴な貴族だと思いながら、シキブは庭に出た。


「どうも旦那様」


「やぁシキブ殿。授業は捗ってますか?」


「手を焼かれそうになりました」


「え!?手!え…っ!?す…すまない……。またあの子の悪い癖が出たか……」


「癖とは?」


 アルシュターは「どう言ったらいいのか……」と困り顔になり、枝切り鋏を動かしながら語りだした。


「禁忌的な行いを想像することは誰しもあると思うんだ。例えば私はいま植え込みの剪定をしているわけだが、ちょっと手を滑らせて切りすぎれば形が台無しになってしまうよね?当然そうならないように気をつけて切っているが、敢えて手を滑らせようと思えば、いつでもそうできるわけだ」


「はぁ……」


「あの子は悪い結果がわかりきっている選択肢に惹かれてしまうんだよ。禁忌的な行いを、妄想に留めておけないんだ」


(ただの馬鹿じゃねーか……)


 そう思ったシキブだったが、今の話だと、シャルロータの言葉が矛盾してくる。

 学校に行くと死ぬ。

 それがわかっているなら、むしろ学校に行きたがるのではないか。


「しかしそんな地雷みたいな娘になぜ国王陛下は目をかけておられるのでしょう?」


「それなんだが……陛下がまた少し変わったお方でね……」


 マルクト国王・ガラダィン1世――。

 幼少から文武両道に秀でた神童であったそうだが、それゆえに若くしてあらゆることを極め終わってしまい、世の中への関心を失ってしまったという。政変のゴタゴタで偶然に王となったような人で、はじめから王位にも興味がなかったらしい。

 政治には関わろうとせず、美術品の収集や寵姫との遊びに耽りながら常に冷めた顔をしていることから、「退屈王」と揶揄されているそうだ。

 人事についてもたまたま目に付いた存在を気まぐれでそばに置く傾向にあり、シャルロータはその「たまたま」に当たったのだった。


 アルシュター曰く、王宮で行われた茶会の席でシャルロータは突如服を脱ぎ捨て、料理を手づかみで食いながら全裸で歌い踊ったという。

 周りからはすっかり気狂い娘と思われたシャルロータだったが、王は彼女を気に入り、兵学校卒業後に側仕そばづかえとなるよう勧めた。


「珍しい動物をペットにしたがっているだけでは……?」


「ははは!まったくもってその通り!……だがそれでも構わない」


 アルシュターの声音が、いつもの気の抜けた調子から一変した。


「最初は道化でも良い。あの子の非凡さに気付く者は必ず居る。私のような凡人と違って、あの子はもっと広い世界へ羽ばたくべき存在だ」


 植え込みをいじる手を止めて、アルシュターはシキブに向き直る。

 彼女の洞穴のような空虚な瞳をまっすぐ、物怖じすることなく見つめる。


「王宮の連中にナメられないだけの教養を、あの子に叩き込んでくれ」


 娘のことで頭がいっぱいの彼には、シキブの瞳が持つ不気味さに気付く余裕はなかった。





 翌日。午後の授業を終え、シキブはシャルロータの部屋で夫人が運んでくれた紅茶を飲んでいた。


 シャルロータはベッドの上でゴロゴロしながら読書している。

 せわしなく寝返りをうってポジションを変えており、落ち着きがない。

 そしてときおり頭を掻いては、手を鼻先に持っていって頭皮の臭いを嗅いでいた。

 はじめてシキブと会ったときにもやっていた仕草だ。


 その様子を見てシキブは、ちょっとからかってやろうという気分になった。


「頭皮の臭いがお好きですか?」


「んえっ!?」


 不意を突かれたシャルロータが間抜けな声を上げる。

 頬を染め、嗅いでいた手を引っ込めた。

 シキブは紅茶の入ったカップをソーサーに置き、椅子から立ち上がった。


「獣は縄張りに他の生き物のニオイが交じることを嫌う。自分の体臭で心の安定を図るのは、動物的本能と言えましょう……」


 獲物を追い詰めるように、一歩ずつゆっくりとベッドに近付く。

 照明を背にしたシキブの影がシャルロータを覆う。

 逆光の中で、シキブの暗い瞳が鈍く光るのを、シャルロータは見ていた。


「お前強気に振る舞ってるけど……メンタル弱ぇーな」


 素の口調。

 微かに上がった口角。

 色を帯びた闇色の瞳。


 何者も演じていない、が、そこに立っていた。


 そのことを認識した瞬間、シャルロータの目の色が変わった。


「……みぃぃぃいつけたぁ♪」


「!?」


 はっ、と。シキブは我に返った。

 シャルロータは口の端を歪めて笑っている。

 そもそもがおかしかった。なぜシャルロータをからかってやろうなどという気分になったのか。

 たかだか一時しのぎの飯のタネに過ぎない相手に、積極的に関わろうと思ったことなど、今までのシキブにはなかった。


められたのか……?)


 演じ、騙し、取り入るのは自分の側だという先入観が、油断を招いた。

 落ち着きのない仕草も、頭皮の臭いを嗅ぐ癖も、「シキブ」をおびき出すための罠だったのだ。

 道化を演じていたのは、この娘も同じだった。


「し、失礼しましたシャルロータ様……」


「シャルって呼んで!お友達になりましょう、シキブ!!」


 慌てて取り繕おうとしたシキブだったが、もう遅かった。

 シャルロータはベッドから身を起こすと、シキブに抱きついて胸に顔をうずめ、そのまま体重を後ろに傾けた。

 シキブはシャルロータに引っ張られる形で、ベッドに倒れ込んだ。


 離れようとするシキブの顔を、シャルロータががっしり掴む。

 頬を潰されたシキブの口から「ぷぎゅっ」っと音が出た。

 シャルロータは空色の目を爛々と輝かせ、まだ色が残るシキブの瞳を覗き込んだ。


「ようやく本物のあなたに会えたわ。なにが家庭教師よ。こんなをプンプンさせて……誘ってるとしか思えないっ!」


 顔を上気させたシャルロータが鼻息を荒くする。

 行き場のない興奮をシキブのほっぺたにぶつけてくる。

 むにゅむにゅと顔をマッサージされながら、シキブは「面倒なことになったな……」と思った。


 シキブはキャラ作りをする時に、基本的に二枚の仮面をかぶっている。

 一枚目は、日常を無難に過ごすための仮面。

 これは師匠に当たる男性からコピーした人格で、普段遣いにしている。

 長くかぶりすぎて、もはやシキブ本人となりつつある人格だ。


 二枚目は、目的達成のためにかぶる使い捨ての仮面。

 かつて所属していた殺し屋ギルドの仲間たち。

 バイトで一緒になった人。

 街ゆく人々。

 いろいろな人間を観察して学んだ、インスタントな人格だった。


 今回の仕事では早々に二枚目の仮面が剥がれ、ほぼ一枚目だけでやってきたが、おおらかなリヴィーツァ家の人々に対しては十分に事足りた。

 少なくとも父親と母親には。


「あなたを一目見て気付いたわ。私とはぜんぜん違う人だって。ただひねくれた行動にこだわって狂人ごっこをしている私とはね」


 シャルロータは二枚目の仮面も、一枚目の仮面も選ばなかった。

 シキブが隠し持っているもう一つの選択肢……最悪の選択肢が提示されるのを、虎視眈々と待った。

 大抵の人間はその存在にすら気付かないか、気付いたとしても触れないようにするだろう。

 ところがシャルロータは、悪い結果がわかりきっているその一択以外、眼中になかったのだ。


 人が無意識にシキブと距離を取ってしまう理由――それこそが彼女の本質。

 ほかに何も持たないシキブが、唯一持って生まれたもの。


 ――それは「人を殺す」という本能だった。


 人が目的を成すために取る手段で最終にして最悪の選択肢。

 これがシキブにとっては、最も身近で自然な選択肢となる。

 そんなものを抱えているのだから、普通の人間は感覚的に彼女を忌避する。


 生まれついての殺人者。

 人として生を受けながら、人の中に在ってはならない者。

 それがシキブ・ハナオリという生き物だった。


 しかし皮肉にも、この生き物に惹かれてしまう人間というのが、折に触れて現れる。

 その殆どが、シキブの持つ「選択肢」の犠牲となってしまった。

 彼女の本質に触れてなお生き残っているのは、師匠くらいのものである。


 この女はどうだろう?と、シキブは思う。


 禁忌に対する憧れだけでシキブの本質にたどり着いてしまった、シャルロータ・リヴィーツァという少女。

 この愚かな少女がどこまで自分について来れるのか。


 ――興味が、湧いてしまった。


「シャル、そろそろ教えてくれませんか?学校に行ったら死ぬとはどういう意味ですか?」


「ああ、それ。国王陛下がもうすぐ暗殺されるのって知ってる?」


「……あ?」


 寝耳に水だった。事前の調査でもそんな情報は捕捉できなかった。


「先の政変で割りを食った貴族たちの間で、王を除こうという動きがあるの。お父様は、その実行犯に選ばれた。本人はそんなこと気付いてもいないけどね」


 筋書きはこうである。

 まずシャルロータが非業の死を遂げる。

 愛する娘と出世のチャンスを失ったアルシュターは発狂し、積もり積もった王族への怒りを爆発させてしまう。彼は深夜に王宮に潜り込み、隠し持った短剣で王の喉を切り裂く。

 もちろん王を殺す実行犯は別におり、アルシュターは罪をなすりつけられる役ということだ。


 シャルロータを殺す役を与えられたのは、リヴィーツァ家と同じく外様貴族であるエジノローク家の娘、リゼタ嬢。

 ほかにも複数の協力者が兵学校に紛れ込む。

 学校に入ってしまえば、シャルロータは籠の鳥なのだ。


「夜逃げでもすればよろしかろう」


「娘が宮廷に上がるチャンスを蹴って夜逃げ?そんなの、計画に気付いたって相手に知らせるようなものじゃない。一生追われる身になってしまうわ」


(なるほど……)


 進めば暗殺計画の駒として殺され、逃げれば口封じのために殺される。

 謀反人の存在を立証できるだけの信頼も権威もこの家にはない。

 リヴィーツァ家は完全に詰んでいたのである。

 宮廷で行われている血生臭い駆け引きなど、あの牧歌的な夫婦には察知できまい。

 唯一気付いた娘のシャルロータは、やり場のない怒りをささやかな奇行で発散していたというわけだ。


「ふむ……」とシキブは考え込んだ。

 互いの鼻先が触れ合うほどの距離で、シャルロータと見つめ合う。金色の髪が彼女の目を隠していたので、無意識にその毛束を指で梳いた。

 空色の瞳の真ん中で、瞳孔がきゅっと縮まるのが見えた。


「…シャルは禁忌的な妄想を実行してしまう人だと、お父様から聞きました」


「ええまあね。禁忌そのものみたいなあなたに比べたら、足元にも及ばないごっこ遊びだけど」


「人を殺した経験は?」


「…………」


 質問にシャルロータが黙り込む。

 シキブはベッドから降りると、テーブルに置かれたティーポッドを手に取り、紅茶をカップに注いた。

 それにひとくち口をつけて、シャルロータを振り返る。


「人が思い描く禁忌……。人殺じんさつが出てこないはずはないと思いますが?」


「人を殺せば人から殺されるリスクが高まるわ。復讐だったり法の裁きだったり。妄想を実行し続けるためには、生きていないとね」


 これにはシキブも納得できる部分があった。

 シキブの本能を見抜き、殺しを生業とする道へ導いてくれたのは師匠だった。

 もし彼から「生き方」を学ばなければ、シキブはただ闇雲に殺し、殺されて終わっていたことだろう。


 だがシャルロータはもう終わることが確定しているのだ。

 リスクを恐れる必要もあるまい。


「貴女の性格ではただ殺されるのも癪でしょう。最後に雌獅子の意地を見せてやったらどうですか?」


 シキブはシャルロータの前にひざまずき、ソーサーに乗せたカップを差し出した。

 シャルロータは紅い水面に映る自分の顔と見つめ合った。


「……人の殺し方を教えてくれるってこと?」


「シャルには計算も読み書きも教える必要がねーですからね。せっかく家庭教師を仰せつかったんです。料金分の仕事はしますよ」


「いい考えね。だったら私やりたいことがあるの」


「なんですか?できることなら協力します」


 シャルロータはカップを受け取って、シキブが口を付けたのと同じところに唇を付けて紅茶を啜った。


「私の手で、王様を殺すわ」


「おぉっと……」


 道化じみた声を上げるシキブに、雌獅子は牙を見せて笑った。

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