はじめての授業
アルシュターが娘を医者に見せるために飛び出してから数時間。
日がすっかり落ち、ロウソクの明かりだけが照らす薄暗い室内で、シキブはリヴィーツァ夫人と留守番をしていた。
気まずさに耐えかねた夫人がひたすらに紅茶を淹れるので、シキブはすっかり水腹になってしまっていた。
(まぁ普通にクビだよな……)
シキブは紅茶を啜りながら、次は何の仕事をしようか考えていた。
やがて外から馬の蹄と車輪の音がし、屋敷の前で止まった。
ほどなくしてアルシュターと、頭に包帯を巻いたシャルロータが居間に現れた。
夫人はほっと胸を撫で下ろし、帰宅した娘を抱きしめた。
アルシュターはやつれた顔でふぅ~と息を吐き出し、手近にあった椅子にどかっと腰を下ろした。
「おかえりなさいませ旦那様。ではわたくしはお暇を頂いてもよろしいですか?」
「あーいや……待ってくれシキブ殿。正式にあなたを家庭教師として迎えたい」
「マジか。あ、いや……マジですか?」
「マジよ」
シャルロータが答えた。
鋭い犬歯を見せてニカっと笑う。
ロウソクの火に照らされた瞳が肉食獣めいて煌めいていた。
翌日からシキブは家庭教師としての仕事を開始した。
変わり者のお嬢様はシキブの暴挙を面白がり、正式に雇うよう父親にせがんだのだった。
シャルロータが自室から出るのを面倒くさがったので、彼女の部屋に机と黒板を持ち込んで授業をすることになった。
部屋は両親によって片付けられ、本人も風呂に入って清潔な衣装に着替えていた。
身綺麗にしているところを見ると、なるほど宮廷で噂になるだけのことはある。
ふわふわのブロンドヘアーは絹糸のように繊細で、自ら光を放っているかのように輝いている。
肌は陶器のように白くシミひとつない。クリクリのまつげは愛らしく、薄い唇は妖しく艶があった。
瞳の色も美しかったが、正直なところシキブはその目が気に食わなかった。
空色の透き通った瞳が、シキブの一挙手一投足を凝視している。
まるでこちらがボロを出すのを待っているかのように。
(どうせ受験が終わるまでの付き合いだ……)
そもそもすでにボロは出してしまっている。もう猫なで声も道化じみた態度も必要ないだろう。
ほぼ素に近いテンションで、シキブは授業を開始した。
「え~と……魔術というものは『
「それぐらい知ってるわ先生」
「でしょうね」
宮廷魔術師の家系であり、魔術に優れた才を見せていると評判のシャルロータ。
学力にも問題はなく、はっきり言ってシキブが教えることは何もない状態だった。
家庭教師の依頼は建前。不良少女の更生こそが、リヴィーツァ夫妻の求めているものであるのは明らかだった。
兵学校出身のお友達ができれば娘の意識も変わるはずだと、彼らは思っているのだろう。
「ねぇ先生!私の魔具見たい!?」
「いや別に……
「ほら立派な腕輪でしょう?お父様から頂いたのっ!」
シャルロータが左腕に付けた魔具を見せびらかす。
サイズが合っていないようで、彼女の細い手首で金色の腕輪がぶらぶら揺れている。
当主の持ち物を代々受け継いでいくのはよくあることだ。
すでにアルシュターは自分を隠居の身とし、娘を家の主役とすることに決めているらしい。
「この彫刻、イイと思わない?」
腕輪には目付きの悪い、牙を持った肉食獣らしき動物が、向かい合って鼻をくっつけている様子が彫られていた。
「猫ですか」
「獅子よ!ライオン!!リヴィーツァ家の紋はメスのライオンなの。
「へー……」
どうでもいい情報だった。それよりこの少女が兵学校行きを拒否している理由を聞く必要がある。
「なぜ学校に行きたくないんですか?今のままでは立派な雌獅子にはなれませんよ」
「知りたい?じゃあこの腕輪に手を置いて」
「……?」
言われるままシキブは雌獅子の腕輪に手を置いた。
「もし今、私が魔術を発動させたら先生の手はどうなるかしら?」
「なに?」
シャルロータがニタリと笑った。
「
まばゆい光とともに火柱が立ち上がった。
何の躊躇もなく、シャルロータは火炎の魔術を発動させた。
シキブは反射的に身を引いたため手を焼かれることはなかったが、部屋の天井は火柱が届いて少し焦げていた。
「うきゃきゃきゃきゃきゃ!!」
シャルロータが足をバタつかせて爆笑した。
シキブは手をさすりながら、笑い転げる少女を見据えた。意味がわからない。
わからないが、とにかく攻撃を受けたのだ。
シキブの本業は殺し屋である。ゲップ程度ならまだしも、手を焼こうとしてきた相手に容赦をしてやる義理はない。
手元に刀があれば迷わず叩き斬っているところだが、あいにく寝室に置いてきてしまっている。
素手で殺すしかない。
シキブはシャルロータにつかつかと歩み寄ると、その襟首を掴んで持ち上げた。
シャルロータは抵抗もせず、空色の瞳でシキブを見下ろした。
「なんで私が学校に行きたがらないと思う?」
「知らねーですよ。もう興味もねーです」
「行ったら死ぬから」
「…………ぬ?」
気持ち悪いくらい澄んだ瞳で、シャルロータはこともなげに言った。
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