リヴィーツァ家

 数日後、シキブの宿泊するホテルにリヴィーツァ家から面接の案内が届いた。

 日時はいつでも良いのでなるべく早く来てほしい、というアバウトな内容だった。

 よほど切迫した事情があるのだろうか?

 シキブはすぐに荷物をまとめてホテルを出た。


 リヴィーツァ家の屋敷は郊外の森の中にあった。有閑貴族が別荘地として使うような閑静な場所で、市街地の喧騒や蒸気もここまでは届いてこない。

 逆に言うと王城に頻繁に出仕している者であれば、居を構えようとは思わない場所だった。通勤に時間がかかりすぎる。


 面接の案内が届くまでの間に、リヴィーツァ家の事情は調べてあった。

 かつては宮廷魔術師を輩出してきた名門だったそうだが、先々代の時に政変が起こり、立ち回りに失敗したリヴィーツァ家は外様とざまに置かれてしまったらしい。

 現当主のアルシュターは作家を夢見て出奔したこともある自由人で、政治には明るくなく、魔術書の翻訳をしながら細々と暮らしているとのことだった。


「没落貴族か……」


 屋敷へ続く小道を進んでいくと、生け垣と門が見えてきた。庭師と思しき男性が、枝切り鋏で植え込みの剪定せんていをしている。

 シキブは一旦立ち止まると、「あーあーあー」と発声練習をした。普段より少し高めの、人懐っこい声色に調整する。


 本来のシキブが持つコミュニケーション能力は皆無に等しい。

 しかし過去に女優を志す少女と関わったことがあり、彼女から演技の基礎を学んでいた。

 相手の欲しがる人物像を汲み取り、表情と声色を調整する。この演技スキルを得たことで、シキブはカタギの世界にも身を置くことができるようになったのだった。


「すみませぇ~んっ!」


 庭師がシキブの声に顔を上げた。四十過ぎくらいの、あごヒゲを蓄えた細身の男で、ボサボサの長髪を首の後ろで束ねている。


「家庭教師の面接で参りました、ハナオリと申しますぅ~。ご当主様にお取次ぎを……」


「あ!家庭教師の!はいはいどうぞどうぞ!私が当主のアルシュター・リヴィーツァです。よろしく先生」


 お前が当主かよ、と内心で突っ込みながら、シキブは笑顔で握手をした。


「こんな格好で申し訳ない。いまお茶を持って来させるよ」


 当主自らの案内で応接室に通された。壁には風景画や一族の肖像画が飾られている。

 アルシュターと妻子が並んで映っている写真もあった。真ん中で変なポーズを決めている少女が、今回シキブが受け持つことになる娘だろう。

 ソファに座って待っていると、ドレスにエプロンを付けた三十半ばくらいの女性が来て、ニコニコしながら紅茶とお菓子を出してくれた。

 家族写真に映っていた女性だった。どうやらリヴィーツァ夫人自らがお茶汲みをしてくれているらしい。


(……そんなに金が無いのか)


 さっきから使用人の気配がまるでない。ちゃんと報酬がもらえるのかシキブは不安になってきた。


「お待たせしました~」


 書類を持ったアルシュターが入ってきた。ネクタイを締め、襟に豪華な刺繍が入ったコートを羽織っている。

 庭で会ったときよりは名門の当主感があった。

 シキブの対面のソファにアルシュターが腰かけると、夫人もその横に座った。


「ご足労感謝しますシキブ・ハナオリ殿。兵学校では大変優秀な成績だったそうで。…しかし主席に近い成績ならば、もっといい働き口があったのでは?」


「平民の出ですので……」


 苦笑しながらのシキブの言葉に、アルシュターが「ああ…」と納得し、同情するような顔をした。

 つかみはオッケーだな、とシキブは思う。

 才はありながらも、出自を理由に不遇な立ち位置を強いられている苦労人。

 成り切れない貧乏貴族に対しては、こういうキャラが刺さるのだ。

 もちろん兵学校での経歴は詐称である。シキブは学校になど通ったことがない。


 そんなことはおくびにも出さず、シキブは紅茶を一口すすって微笑んだ。彼女がカップを置くのを待って、アルシュターは語り始めた。


「実は娘のシャルロータが国王陛下に目をかけられていてね。我が家としてはこのビッグウェーブに乗るしかないと考えているんだが、娘本人にやる気がないんだよ」


 リヴィーツァ家の一人娘シャルロータは宮廷でも噂になるほどに美しく、利発で、魔術にも優れた才を見せているという。

 家としては宮廷魔術師への返り咲きを狙いたいわけだが、どういうわけかシャルロータは兵学校への入学を嫌がっているらしい。

 兵学校での人間関係は国政に大きく影響する。政治の世界に入る者であれば避けては通れない道なのだ。


「昔から少し気難しい子ではあるんだが、最近は部屋にこもって煙草を吸ったり、物を壊したり、非行に拍車がかかっていてね……。大変な仕事だと思うが、頼めますか先生?」


 お願いをする言葉だけ丁寧語にして、アルシュターがすがるような目で見てくる。

 隣の夫人も手を合わせて祈りを捧げるような仕草をしていた。


(ちょっとめんどくせー感じだな……)


 貼り付けた笑顔を崩さぬまま、シキブは心の中で渋面になった。

 勉強を教えるだけならまだしも、非行少女の更生まで請け負うとなると割が合わない。


「まぁ~とにかく一度お会いしてみないとですね~~」


「ありがとう!ではこちらへ!!」


 アルシュターの案内で、屋敷の廊下を進んでいく。

 廊下の壁には穴が空いている箇所があり、薄い板と釘で雑に補修されていた。

 シャルロータが癇癪かんしゃくを起こして開けた穴だという。


「根は優しくて真面目な子なんだ。本当だよ?」


 顔を合わす前からフォローが始まっている。

 そんなにヤバい奴なのか。

 冷や汗をかきながら娘を擁護する父親に、シキブはとりあえず笑みを返した。


「シャルロータ?家庭教師の先生がお見えになったよ」


 そうこうしているうちに娘の部屋に着いた。

 扉越しにアルシュターが呼びかけるが、返事はない。


「開けるよシャル~?」


 アルシュターがノブを回し、部屋の扉がゆっくりと開かれる。

 どんな相手であれ所詮は十四の小娘。殺し屋として修羅場をくぐってきたシキブの敵ではない。面倒が過ぎるようなら放っぽり出して逃げればいい。


 そんなふうに高をくくっていたシキブの鼻腔に、部屋の中で圧縮されていた空気が流れ込んだ。

 その瞬間――



「臭っっっっせぇ!!!!!!!!!!!」



 貼り付けた仮面も、纏っていた風格も、すべてをかなぐり捨てたシキブの叫び声が、廊下に響き渡った。


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