第70話 ハッキング

 セカイとセカイの境界の最深部に、そこはあった。

 建物というより、体内と呼べそうな場所だ。

 見たこともない材質でできた曲がりくねった巨大なチューブ状の通路が、時に分岐しつつも延々と続いている。

 明かりはまったくない。

 ここは人のための場所ではなく、文字通りカナンリンクの《体内》なのだ。

 その通路のずっと奥に、漏斗状の巨大な空間があった。高層ビル群がすっぽり収まりそうなほど深く、巨大な冷却剤のプールの中に有機的な印象を与える複雑な構造の機械が広がる大空間。水面から延びた部分は、まるで天地をつなぐ巨木のように細まった天井と一体化している。

 これらが下位の制御システムを束ね、さらに巨大な中枢ユニットへと繋がっているコア部分だった。


 アイビストライフはこのバーセラス=コアからカナンリンクへ接触しようとしていた。慎重に足場を組み、それでも足りない部分には乗ってきたサーフクラフトを無理やり固定させて真人とコアの接合装置を設置していた。接合装置には手術着みたいな服に着替えた真人が固定されている。

 真人は文字通りの《鍵》であり、パワーキャスターを直接バーセラス=コアと接合させる必要があるから、機材が届く距離まで近づくこと自体は仕方ない。

 それだけなら誰も困惑はしなかったが……問題はその格好だ。

 両サイドがほぼスリットのぺらぺらな布地の手術着なのだ。下が剥き身の裸だとハッキリ分かる。

 さらに機材レイアウトの関係から、真人は仮設した大量のチューブ類をまたぐ格好になっていた。そのため両足を開かざるを得ず、生足が危険な角度で露出している――


 周りで忙しそうに働く者たちは誰も口に出さないが、真人の現状はかなり倒錯的な雰囲気となっていた。作業するアイビストライフの中には身体のラインがはっきり出るカードソルダート用のインナーを着ている女性もそれなりにいたが、生き残ったメンバーは女性が多いため、必然的に真人の方が目立つ。

 ――もっとも、真人は周囲の困惑に気付いてもいなかったが。

 もちろん、この微妙に浮ついた雰囲気にあって一切動じていない者もいた。その筆頭がフィッシャーだった。

 フィッシャー自身には一分の隙もない。


「気分はどうだね、真人?

 アピオン、チェックは厳重に頼む。我々には万が一すらも許されない」


『順調に進んでいる、フィッシャー司令』


 ニコルの頭の上に陣取って作業全体を支援するアピオンが応える。

 その場を選択したのはアピオン自身であるため、引っぺがすワケにもいかずにニコルも一緒に連れて来られていた。

 ニコル自身は周囲を物珍しそうに見回っている。

 彼女には真人が恥ずかしい格好をしているという認識はない――というか、自分の普段着に近いのでそういう服だという認識しかない。


『真人のパワーキャスターには、守護システム級のリンカーサーキットを付与した。

 私との間でのテスト結果は良好。

 念のため、リンカーには論理防御システムであるデコイも設置してある。

 いざと言うときに真人の身代わりとなってくれる物だ。

 手持ちは八基で、すべて私の身体に装着されている。これは貴重な物なので慎重に扱ってくれ』


「有り難うございます、アピオンさん。

 ――シェリオ、いいわよ」


 ガランサスのインナー姿のままのハーミットがタブレットから目を離すと、目線を慎重に動かしてシェリオに声をかける。失礼にならない程度に真人を視界へ入れないよう慎重に計算された動きだ。

 真人は見慣れているハーミットだったが、それでも今の真人に気を散らされないようにするためにはそれなりの精神力を使う必要があった。

 呼ばれたシェリオは、キティ用のインナー姿のまま足場の上に直接横になって機械をオペレートしていた。変な格好は座る場所が無かったことと、真人に背を向けられる方向に陣取れるのがここしかなかったこともある。


「了解したよ、これより最終チェック開始するね。

 第一項目群チェック……クリア、第二項目群チェック……クリア」


 シェリオとしては真人にお尻を向けるのは少々気が引けたが、気を取られてミスするよりはマシだ。大多数の女性陣と同じく、シェリオすらも脳裏の真人を思考から追い出すのに苦労していた。

 逆に言うと真人からは結構色っぽい眺めになる。

 同じく真人に背を向けているアイビストライフは多かったため、真人は真人で色々と苦労していた。

 精神を落ち着かせるためもあって、真人がフィッシャーに話しかけた。


「フィッシャー司令、接触対象の選定は済みましたか?」


「ああ、真人の提案で勧めている。

 宇宙船のような大型機体だったな?」


「はい、セカイ移動時に発見したものです。

 もしあれが本当に宇宙船なら、独立したシステムを搭載している筈です。

 直接カナンリンクの中枢システムにアクセスするよりも安全かも知れませ……あっ……んんっ!」


「あっ、ごめん!」


 シェリオの操作が急すぎたのか、真人が艶っぽい声を上げた。両手が固定されているので腰を少し浮かせて何度か身をよじる。バーセラスの中枢と真人をつなぐケーブルが引っ掛かって服のスリットが広がり、裾もずり上がる。真人の身体のラインが危険な角度で晒された。

 近くにいた女性陣と大多数の男性が全員、真っ赤になって端末に目を落とした。

 女性で動揺していないのはニコルと、接合装置の背後で作業しているデュミナスくらいか。


「――慎重に頼む。それと雑念を払え」


「も、申し訳ありません!

 真人も変なよがり方しないでよ、なんか生々しいから」


 シェリオが口をとがらす。

 ハーミットが後ろで何度か咳払いし、オペレーターたちも慌ててそれぞれの手元に集中する。

 少女が一人がふらふらと立ち上がると、冷却と触媒のための超巨大プールに頭を突っ込んだ。

 どうやらが限界に達したらしい。


「鼻血でてるよ、エフジェイ。

 あとその水はゼプトライトたっぷりだから、髪とかお肌がゴワゴワになると思う」


 シェリオに指摘された少女エフジェイが真っ赤になって鼻にハンカチを当てる。

 アジア系で、年齢は中学生くらいか。

 髪と肌は年齢補正もあって気にしてなさそうだ。

 女の子でも興奮すると鼻血が出ることがあるんだな……真人が、そういうどうでもいいことをボーッと考える。


「ごみぇんなはい、まひとさん……」


「真人、この子はアルト姉さんのカンパニー最年少のエフジェイ。

 エフジェイを変な声で悩殺するのは、ほどほどにしてね」


「変なって言われも……

 なんていうか、機械のリンクにも感覚があるんだよ。

 情報量が多いほど強くなる。

 それで、つながってるのが分かるというかさ」


 フィッシャーに服を直してもらいながら真人が答える。自分の反応がどういう風に見られたかについては、特に気にした様子はない。

 何度も何度も謝りつつ、エフジェイが仕事に戻る。


「よし、これでいい。

 シェリオは再度チェック、慎重に頼む。

 ――デュミナス、さっきの真人の意見をどう思う?

 宇宙船の方だ」


 フィッシャーが声をかけると、真人の後ろで作業をしていたデュナミスがぐるっとまわって近づいてきた。

 彼女の作業はほぼ終わったらしい。

 そのまま、フィッシャーと真人の傍らに立つ。


「独立型のシステムを目標とすることには賛成です。

 ただ真人が見たものか分かりません。

 真人、確認のためにもアピオンを含めた三人による知性統合を要請します。

 リンカーのテストを兼ねられます。

 お二人とも、よろしいですか?」


『私は構わない。

 ドーター機のデータも提供するので、真人が処理してみるといい』


「知性統合に慣れるためにもよさそうだからいいけど……

 デュミナス、頭の中の変なところは見ないでね?」


 真人、デュミナス、アピオンの了解を確認したフィッシャーもまた頷いた。

 ゴーサインを貰ったと解釈したデュミナスが、ニコニコしながら真人の側に立つ。動けない真人の頬を軽く撫で、そのまま襟口から手を中に差し込んで首筋を撫で上げた。

 多分何かの準備行動だと思われるが、ちょっとだけ艶っぽい触り方のようにも感じなくもない。

 真人がくすぐったそうにした。


「ん……」


「とても可愛い概念です……真人。

 大丈夫、優しくします。

 アピオンもご協力を感謝します。

 では始めましょう――」


 アピオンもニコルから離れて真人の太ももに止まった。

 デュミナスも真人の首筋に触れたままだ。

 次の瞬間、真人、デュミナス、アピオンの身体にパワーキャスターが奔った。

 本当に無造作に知性統合が始まる。

 状況をモニターしていたシェリオの端末も同じ色に染まった。


「うわ……

 処理量が大きすぎてオーバーフローした。

 これ、かなり性能良い奴なのに」


 とんでもないデータ量だが、デュミナスにはまだまだ余裕があるようだ。

 モニターしようとしていたシェリオが諦めて端末を閉じ、真人たちを見守る。

 やがて三人の肌からパワーキャスターが消え、元に戻った。

 デュミナス、アピオンも真人から離れる。


「――ふむ?

 フィッシャー、興味深い事実が判明しました」


「うん、報告を頼む」


「はい、真人が見つけた物は――ゲートシップだと思われます。

 超光速船と言えば分かりますか?

 何世代前も前に使われていた初期型の船が、非常脱出艇としてそのまま使われているようです」


 デュミナスの言葉が皆に浸透するまで、わずかなタイムラグがあった。

 真人が顔を上げ、期待を込めた目でフィッシャーを見上げる。

 だがデュミナスは静かに首を振った。


「残念ながら目的地は我らの主星アーソアに設定されております。

 目的外ジャンプダイバードは難しい。

 超光速燃料もどれだけあるか。

 ただ、内蔵するゲートシステムはあなた方が地表の残骸からサルベージしたスクラップよりずっと高性能です。惑星間航行用のリパルサーエンジンもありますし、充分な出力を持ったステラレーターもあります。

 今回のターゲットとするには十分すぎる」


「――よし!

 ハーミット、選定作業をしている者たちに今の情報を伝えてくれ」


「了解しました、選定会議室へ報告してきます。

 デュミナス、シェリオ、後をお願いね?

 私の担当分の準備は完了しております」


 ハーミットがシェリオに端末を預けると、立ち上がってサーフクラフトの操縦席まで駆け出していった。デュミナスが進み出て、シェリオの手にあるハーミットの端末に軽く触れる。


「フィッシャー、全システム・オールグリーン。準備よし。

 真人が問題なければいつでも始められます」


「僕はいつでもいいです」


「私たちも準備いいよ、いつでも!」


「よし、では――システム起動!

 ハンドシェイク・シークェンスからだ」


 デュミナスの目に機械の光が踊る。アピオンの全身にパワーキャスターが複雑な文様を描き、真人の顔からも表情が消え、瞳孔が大きく開かれる。真人の腕にはパワーキャスターとは違う硬質なパターンが浮かび、左手のインジケーターに接続を示すステータスが踊った。

 この瞬間、極めて短かい時間に莫大なデータのやり取りが行われている筈だが、真人とデュミナス、そしてアピオン以外にそれを知る術を持つ者はいない。


「真人、大丈夫なのかな……きゃっ!」


『ニコル、止まるんだ』


 ニコルが真人をのぞき込もうとしてアピオンに止められた。

 その瞬間、システム全体にスパークが奔る。

 白熱化したデコイが瞬く間に破裂し、同時に真人のパワーキャスターが落ちた。

 肌の上に縦横無尽に奔っていた光条が消え、元に戻る。

 その四肢が大きく痙攣したかと思うと力無く投げ出された。

 ニコルが慌てて真人の肩を掴んだ。


「真人!?」


『大丈夫だ、真人は正常に稼働している。

 私とデュミナスのチェックでも問題はなかったが、念のため自己診断モードへ移行してもらった。

 これは真人の意志で行われている。

 独立システムであることと、真人のアンチボディが予想より遙かに高い抵抗力を発揮してくれたのは嬉しい誤算だった。

 デコイは残数三基』


 真人は小さく寝息を立てていた。

 シェリオが端末を操作して真人のコードを外し、服を整えるとお姫様だっこでそっとチューブから持ち上げる。

 そのまま床に横たえた。

 ついでにジャケットを掛けて、膝枕をしてあげる。


「フィッシャー、ゲートシップ本体は制御鍵により真人の管理下へ移行。

 さらに真人が眠る前に私へも管理権が委譲されています。

 ――成功です。

 そして……問題が発生しました。

 皆さんにとって大きな問題が一つ、そして私にとって大きな問題が一つ」

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