第66話 嵐の後

「――いっちゃったね」


 空中で静止したまま遠距離から機械の目で皆を見ていた綾香が、ほっとため息をついた。

 周囲が急に静かになったような気がする。

 気が抜けると真人とデュミナスの会話が蘇ってきた。サロゲートだけでセーブやロード繰り返せば精神が劣化する――正直、そうなんだろうなとしか思えない。真人たちに害があるならともかく、自分のことで何を思えばいいのか。

 そもそも、今の自分は単なるコピーだ。

 本体は何も知らずに地球で平和に暮らしているだろう。綾香に限れば、その平和に不満を感じながらとなるが……


 そこでふと、ある可能性が思い浮かんだ。

 このままキュリオスに使われ続け、今の自分が地球にいる本体と別人となってしまった後、本体と出会うことがあったら……

 何て言われるだろう。


「格好いい……かな。さもなければ面白そうか。

 感嘆符いっぱいつけて」


 考えただけで目の前が真っ暗になるようだ。

 何もなかった頃の自分なら言いかねない。

 胸の内を焼き焦がす黒い炎に無言で耐えていると、すぐ横にいたトゥイーがぽっと声を漏らした。


「アイビストライフのみんなや真人もそうだけど……デュミナスも生きてて良かったね。

 それに……お墓だって」


 横で羽ばたいていたトゥイーが中央の島を見ながら、綾香も静かに呟く。そこにはニコルのご両親のお墓がある――真人はそう言っていた。それが綾香の愚かで拗くれた黒い衝動を、なんとか心の奥に押し込めてくれた。


「ここでは……もう戦いたくない、ね」


「うん、そっとしておこう」


 綾香の呟きは聞こえていた筈だが、トゥイーがそれを話題に出すそぶりはない。

 気持ちは綾香と同じなのかも知れない。

 バードフォームのトゥイーが綾香の回りをゆっくりと旋回する。空中で一カ所に止まり続けるのは、できなくはないが苦手なのだ。


「トゥイーちゃん、私の肩に止まっていいよ。

 私は平気だから」


「有り難う、綾香ねーちゃん」


 トゥイーがバードフォームのまま、綾香の肩に静かに止まる。

 空中に静止する綾香の身体は微動だにしない。


「ところで……あっちは、生きてるのかな?」


 トゥイーが湖面を見下ろす。

 湖水はすっかり濁りきってしまい、底は見えなくなっている。

 もっと別のセンサーを使えば分かるだろうが、する気も起こらなかったので、そのまま顔を上げる。


「生きてると思うよ。

 トゥイーちゃん、行って探してくる?」


「やだ、あんな泥水に入りたくない」


 トゥイーがぷいと横を向く。

 例え水中特化のドルフィンフォームを持っていようと、キュリオスを探すためだけに泥水に入るのは嫌だということだろう。

 予想通りの返答に綾香が苦笑いした。


「まあ、しょうがないか。

 一度皆のところへ――」


『水中からは、もう出てる……いてて』


 急に入った通信に綾香とトゥイーが嫌な顔をした。プライベートなチャットルーム内に勝手に乱入されたような気分になる。

 綾香は気が進まないまま、精度の高いセンサーに切り替えて嫌々周囲をサーチする。

 キュリオスはあっさり見つかった。

 落下地点から離れた水辺にべたーっと倒れている。ぱっと見た感じでは特にダメージを負っているようには見えない。


「ダメージはなさそうですね……

 それで、これからどうするんですか?」


 綾香が高度を下げるとトゥイーが先に降りた。岸辺に着地する瞬間、ドッグフォームへと変えて着地する。

 二人の到着と共にキュリオスが無造作に身を起こした。


「――ふむ?

 条件はお互い五分だが、正面から仕掛ければ守護システム同士でエフェクターをぶつけ合っての泥仕に持ち込んでやる……ってことかね。

 さっきのアレは抑止力のつもりかな」


 キュリオスが九輪の顔で目を寄せる。

 トコトコと近づいてきたトゥイーがその少し手前で四つ足のままちょこんと座り、綾香もその脇に着地した。

 近くで見るとキュリオスもある程度のダメージを受けていることは分かったが、既に一通りの修復は済んでいるようだ。

 やはりさっきのデュミナスの一撃は単なる警告だったのだろう。


「ならゲームはこれで止めます?」


 そんなことにはならないだろうな……そう考えながら、綾香が願望を口に出す。

 キュリオスは肩をすくめた。


「地球種は母星へ帰還するつもりでいる。

 もし帰還すればアーソア文明がシヴィライズド汚染を引き起こす。ここまで事態が進んだ後ではますます賛同できん。

 だが真人は強化され、守護システムも付いた。今のままでは確かに手詰まりだな。

 ――ああ、盛り上がってきやがったぜ!

 だがこっちも何か面白い手を考えなけりゃ真人に失礼だよなあ……

 さーて何がいいか」


 キュリオスが少しの間――あくまで綾香にとってはだが――考え込んでいた。

 その目が綾香の上でちょっと止まったかと思うと目を細め、ニヤリと笑った。さらに軽くガッツポーズまで取る。

 ガン見された綾香が半歩ほど下がった。


「な、なんですか?」


「対真人用にいい手を考えついたんだよ!!

 ステータス……ふーむ?

 良さそうだが、どれを使うかは充分に精査する必要があるなぁ。

 それに別途、大量の駒も必要だ。

 こっちは何とかなるだろうが……」


 キュリオスが綾香の全身をジッと見る。

 きっと持ちキャラのステータス画面を見てるようなモノなんだろう。痴漢などとは違った意味で綾香の胸に嫌な感情がジワジワとわき上がってくる。

 ふと自分にプライバシーがどこまであるのか疑問が浮かんできた。


「キュリオス……さん、もしかして私のステータス画面みてます?」


「常時開きっぱなしだよ。

 全員分の詳細ステータスをズラーっと並べてる」


 キュリオスが指を立てて空中でくるっと回す。

 仮想の空間一杯にデータを広げていると言いたいのだろう。

 何がどこまで表示されているかは聞けなかった。


「普段は閉じておいてくれませんか。

 気分……悪いです」


「気分?

 自己診断かけ……ると、少々面倒だな。時間もかかるし。

 なら最低のだけにしとくよ。

 開こうと思えばいつでも開けるが」


 うんうんと一人納得すると、そのままキュリオスが飛び上がる。

 嫌々ながらバードフォームに変型したトゥイーが続く。

 最後に綾香が飛び上がろうとして、ふと振り向いた。視線の先にあるのは、お墓があると言っていた丘だ。


「ここで一生暮らす……か。

 私に限れば文字通りの終身刑だよね。大量虐殺犯への刑罰としては軽い方かな」


 綾香が自虐的につぶやく。

 そう考えると自由がない今の状態も刑罰の一種のように思える。

 刑務所の中はそういう生活になると聞いたことがある。


「どうした、いくぞ」


 綾香の呟きを無視して、キュリオスから声がかかる。

 バードフォームのトゥイーも心配そうにこちらを見下ろしている。

 一拍おいてから綾香も空へ飛び上がった。

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