第55話 いまはただ、ゲームの駒
「ははっ、オレは何でこんなことを喋ってるんだろうな!
本当に壊れたか?」
キュリオスが自分の拳に張り付いたままの真人の身体を掴むと、無理やり向かいにあったビルの壁に叩きつけた。
だが衝突する寸前、真人の身体は残像と化す。
追撃で放たれたキュリオスの拳のみが壁を砕いた。
加速と反加速を繊細にスイッチしながらキュリオスの射程外に出た真人は、少し離れた看板の上に出現する。
「真人、随分慣れてきたじゃないか。
その身体が気に入ったか?
前は嫌ってたように見えたがな」
「気に入るも何も、今はこれが自分の身体だ!」
叫ぶキュリオスの脇に、垂直降下でダッシュしてきた真人の肘が炸裂する。
だがとっさに庇った腕のパワーキャスターが弾いた。
本来ならカウンターを喰らった真人がバランスを崩してくれるはずだが、速度を司る相手には期待するだけ無駄だ。
キュリオスは牽制も兼ねた回し蹴りを放って空中に飛び出し、そこでフィールド推進システムをフルブーストして一度距離を取った。
そのまま元の場所――劇場二階のバルコニーに着地する。
そこで戦いを見守っていた綾香たちと目が合った。
ステージから二人を追ってきたのだろう。
だが全員棒立ちのままだ。
「おい、お前たちもさっさと参戦しろ。
真剣にやってる真人に失礼だろうが!」
キュリオスが黒いサロゲートたちに叫ぶ。
その声を受けて、やっとマーキスたちがノロノロと動き始めた。
綾香も一歩、二歩動いてから全身のレーザーを放つ。
だが狙いは明らかに適当で、当てる気はなさそうだった。
自分たちはどうすればいいのか――
その顔は、そう語っていた。
「頭を吹き飛ばせば楽になれるぜ?」
顎を掴んでムリヤリ綾香を振り向かせたキュリオスが、むしろ優しげに声をかける。
だが、綾香はゆっくりと目を伏せた。
「死にたく、ない」
「なら――」
「死ねば、次の私がまた繰り返す。
次の私は……きっと真人くんに、本当に酷いことをする。
そんなの嫌だ、ぜったい、いやっ!」
「大丈夫だって。
次のお前は、悩まないようにしてやるよ。
だから安心しな?」
叫びと共に、キュリオスの拳にあるフィールド衝角が綾香の頭部に放たれる。
綾香の頭部を吹き飛ばすのに十分な一撃が突き刺さる。
――その、残像に!
真人が綾香をキュリオスの手から奪い去っていた。
助けられたと気付いた綾香が目を伏せる。
だが真人は気にせず、顔を綾香にぐいっと近づけた。
「いい、綾香さん?
どういう事情かは分からないけど、今は奴の言いなりでもいい。
大丈夫、僕はそう簡単にやられないから」
「でも……それじゃ真人くんが……」
綾香が反射的に真人にすがりつき、そして声を凍らせた。
手から伝わる真人の感触は驚くほど弱々しかった。
「九輪さんは僕が殺した」
真人が、綾香より先に口を開いた。
小さな告白を受けた綾香の身体がビクンと大きく震える。
その一言は凪のように静かで、真人の決意が決して揺らがないことを示唆していた。
そう分かってもなお、綾香が反射的に叫ぶ。
「違うっ! 真人くんは……真人くんだけは、人殺しじゃない!」
綾香がもう一度真人の肩をしっかりと掴む。
真人は、その手の中で儚げに笑った。
「正当防衛だと言ってくれてたけど……言い訳はしたくない。
僕の意志だよ。
九輪さん……最後は笑ってた。僕は、これで正義のヒーローだって……」
綾香が崩れ落ち、膝をついた。
これは自分の罪だ――綾香の中でそう声が響く。
自分が望んだセカイだ。自分は、こんなセカイを望んだのだ!
「僕も罪人だよ。いつか……罪を償う。
でも――」
真人がゆっくり立ち上がり、数歩の距離をとる。
綾香はまるで今生の別れを惜しむように、真人へ手を伸ばす。
だが手は届かない。
「今は前へ進む。
立ち止まって堕ちたら、二度と這い上がれなくなるから。
綾香さんも、皆も、そうして下さい。
例え、それが楽な道では無かったとしても……」
真人が、元の場所に立ってこちらを眺めているキュリオスを睨み付けた。
キュリオスは悠然と真人の視線を受け止めた。両者の間に火花が散る。
綾香は俯いたまま、真人へ延ばした手を下げた。
そのまま両手を床に付き、細い肩を小さく振るわせる。
小さな嗚咽が盛れた。
「分かった……
いつか自由になれたら、必ず真人くんとアイビストライフの皆の役に立ってみせる……」
「うん」
真人の小さな言葉を聞いて、綾香がゆっくり立ち上がった。
綾香の横にトゥイーが寄り添う。
他の黒いサロゲートたちも移動しており、建物の端から遠巻きに真人を見つめていた。
「もういいかい?」
最後に、真人の正面に移動したキュリオスがおどけた声をかける。
普段なら神経を逆撫でされそうな口調だったが、不思議と真人の心は静かだった。
真人から何の反応もなかったキュリオスが軽く肩をすくめると、綾香たちに向けて指を三本立てた。
「三つ確認しておくぞ。
ひとつ、オレの最終目的は地球種、特に真人を使ってシヴィライズド実験を始めることにある。
なので真人は必ず生きたまま捕獲する。
真人の可能性は、真人しか持ってないからな」
キュリオスが指を一本折った。
「ふたつ、我々は地球種を適切に管理する義務を負っている。
勝手に殺しはしない。
だが、実験や管理上の都合で処分する必要が出たら別だ」
キュリオスが二本目の指を折る。
処分という言葉に真人が柳眉を吊り上げる。
「みっつ……お前ら、真人を本気にさせろ!
手を抜くな、ここにいるサロゲート全員にソートナインドライバーがあるんだぞ!
その可能性で真人の可能性を広げろ、それこそがオレのサブシステムとしての存在理由だ。
真人の経験値になってやれ。
それができないなら……できるタイプに変える。
例え、お前達の能力を制限することになっても、な?」
キュリオスの宣言を聞いても、黒いサロゲートたちは無言だった。
「以上だ。じゃあ仕切り直しな?」
キュリオスが一歩を踏み出す。
――瞬間、超音速の残像となって真人を襲った。それをピンクの残像が迎え撃つ。
両者は再び超スピードで激突した。
フィールド衝角を展開したキュリオスの拳が超音速で真人に襲いかかる。
真人は正中を軸に超音速レンジで身体をずらし、一撃を受け流す。
衝撃波が髪を薙ぐが真人はまったく怯まない。反加速を当てて即時、次の行動へ移る。
真人はそのままキュリオスの間合いの中に飛び込むと、その腕の中で鋭く回転した。小さなお尻がキュリオスに押しつけられたと思った瞬間、その上下がひっくり返った。背負い投げだと理解したのは地面に叩きつけられた後だ。
追撃の蹴りを放とうとした真人の身体が大きく揺れた。
その瞬間、地鳴りとともに地面が二つに割れ、区画の上に乗る廃墟の屋敷が丸ごと地面に吸い込まれて行く。
「強いな、真人! だから少しハンディを貰うぜ」
キュリオスの口元が歪んでいた。
どうやら区画の強制パージを実行したらしい。
加速で離れようと、傾いていく床を蹴って駆け上がる真人の鼻先に綾香のレーザーが打ち込まれる。
真人が横に跳んで避けた。
その隙に立ち直ったキュリオスが真人に襲いかかる。
傾いてゆく床の上、転がってくる瓦礫を避けながら、再び両者の打ち合いが始まる。
「おい、綾香!」
追いついたマーキスが綾香に叫ぶと、その肩に手をかける。
トゥイーも不安そうに綾香を見つめた。
「おねーちゃん、真人に酷いことするの……?」
バイザーを降ろしたままのトゥイーが、すがるように綾香の手をそっと握った。
だが綾香は前を向いたままだ。
「前に言ってた通り、これはゲームよ。派手にいきましょう!」
驚いたマーキスが、もう一度彼女を見る。
綾香の目には強い意志の光があった。
「――このゲームでは、私たちは悪役、敵役よ。
派手に暴れて……最後は、ヒーローにぶちのめされてオシマイ。
それならいい、何度でも喜んでやる!」
「はは……」
綾香の言葉を聞いた森里が力無く笑う。
だが、徐々に笑いに力が戻って来た。
「いや、ははは……いいですね!
なら、せいぜい頑張って真人ちゃんの経験値になりましょうか」
「ねえ……真人は、強いんだよね?
私たちより、ずっと、ずっと……」
トゥイーが不安そうにつぶやいた。
手は綾香を放さない。
最初にキュリオスに乗っ取られた時のことを思いだしているのかも知れない。
綾香がしゃがみこむと、小さな肩をそっと抱いた。
「真人くんは……大丈夫だよ。きっと大丈夫」
まるで自分に言い聞かせるように呟く綾香に肩を抱かれたまま、トゥイーがバイザーを跳ね上げた。
隈の浮いた目が、超音速で真人と打ち合うキュリオスに向けられた。
「――ねえ、私たちをケンカさせて楽しい?」
「喧嘩か、そりゃいいや」
高速通信越しにキュリオスが人間臭く笑った。
その笑いは、悪人の物とも善人の物とも違う。
しいて言うなら……ゲームをプレイする者の笑みだろうか。キャラクターたちとは決して同じ立場になることはない、向こう側の誰か。
そこにあるものは断絶だった。
トゥイーはキュリオスから目を外すと、再びバイザーを降ろした。
綾香をぎゅっと抱き締め返すと、勢いよく体を離す。
その小さな身体にパワーキャスターが展開されていく。
「わたしも……行く。
痛いのくらい平気だよ」
トゥイーがバードフォームへと変形して飛び立った。
空中で大きく旋回する。
マーキスも立ち上がった。
「俺も行くよ。次の俺が悪さしないように……
くそっ……いつか倍返ししてやる!」
その腕にはジオノレーター・キャノンが装備されている。
ソートナインドライバーが起動し、超高圧・大電流が大砲に注ぎ込まれてゆく。
「カナンリンクにバグがあることを祈るわ。
どんなに優れたシステムでも、どこかに必ず綻びが眠っている。
――今は、そう信じる」
ユーシンのソートナインドライバーが起動し、エキゾチック=マテリアライズが開始される。
電子流すらトラップするディグが次々と空間に穿たれた。
「まったく、難易度の高い人生ですね……
グッドでハッピーなエンディングが用意されていれば良いんですけど」
森里が屋根を蹴って、地面に降りた。
すぐ目の前には、まるで切り込まれたように急角度で落ち込む床がある。
「望みのエンディングがないなら自分たちで……作る。
いまは無理だけど、真人くんのハッピーエンドだけは必ず作ってみせる!!」
綾香が屋根を蹴る。
ソートナインドライバーが起動し、その身体が物質変換まで行って変形を始める。
空中で飛行形態に変形すると一気に飛び上がった。
――ふと、綾香は少し前に自分がそういう能力を望んでいたことを思い出した。
綾香の胸の奥が、さらに黒く焼け焦がれてゆく。
黒いサロゲートたちは、次々と真人との戦いへと身を踊らせていった。
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