第54話 賭けて誓う
目の前には革張りの椅子がたくさん並んだ観客席が広がっている。
真人が通路を進むと、二階席の天井が切れた辺りで突然数条のスポットライトが浴びせられた。
もちろん、真人はそのくらいで視界が奪われたりはしない。
ぐるっと周囲を見渡すと、真っ暗なステージの上に黒いシルエットが立ちはだかっているのが見えた。
綾香、マーキス、ユーシン、森里、トゥイー。
それに九輪――のカタチをしたキュリオス。
舞台の上には、黒いサロゲートたちが全員揃っていた。
真人が数歩動いてスポットライトから抜け出ると、代わりにステージの照明がついた。
スクリーンを背に、派手な電飾で飾られたセットが浮かび上がった。さっきも聞こえたアコーディオンのメロディが流れ出す。
「ほいよ」
セットに腰かけたキュリオスが、何故か横に立つ綾香に紙幣のようなものを差し出した。
差し出された綾香は戸惑ったようにその紙幣を見つめるだけだ。
「あれ、お気に召さない?
なら飯か酒を奢りゃいいのかな。
――ん? ああ、そういえばそっちは何を賭けるか決めてなかったな。
なら無効になるのか?
ううん、なかなか難しいな」
二人のやり取りを見た真人が、訝しげに皆を見つめる。
「綾香さん、何のこと?」
「なーに、賭けって奴だよ、真人。
真人が素直に来るか、来るとしてどこから来るか……ってね?
オレは真人はここには来ない、無視して奥のターボリフトに行くに賭けてみた。
そう言ったら綾香が正面の扉から堂々と入って来るって言ったんで、目出度く賭が成立したってワケさ。
――そしてオレが負けた。
真人を使った賭けは難しいが面白いな」
キュリオスがおかしそうに笑った。どうやら本当に楽しんでいるらしい。
真人はそのやり取りを聞いて柳眉をしかめた。
「ああ、無視するって手もあったよね……
それは思いつかなかった」
「なんだ、俺には最初から勝ち目がなかったって訳か。
奥が深いもんだ……あん?」
言いかけたキュリオスが何かに気づき、喋るのをやめた。
その頭上に赤い物がふわっと降りる。
キュリオスの手に、古風な赤にドレスをまとったビスクドールが落ちてきた。
真人が放った物だ。
「綾香さんへの報酬は僕から進呈するよ。どこか安全な場所に置いておいて」
「なんだこりゃ?」
キュリオスが手にある人形をしげしげと眺める。
何かは分かるが、意味が分からないようだ。
「フランス人形……かな? 凄い高そうだね」
綾香が真人の方を見ながら、答えた。
彼女も何故に真人がこれを持っていたか、その理由は分からないようだ。
「ここを通り抜ける時に見つけたんだよ。
人かと思って。
でも折角だから、その娘も助けておこうかと思ってさ。
それだけだよ」
「こういうのを集める趣味でも?」
「助けることが重要なんだよ」
「――ふむ?
代償行為……って訳でもないな。真人が望む結果は、真人の行動から生まれる?
気持ち、心……ふむ。
まあいい、面白いから願いは聞いてやるよ。
特別だぜ?」
キュリオスが右手を振ると、床からさっきのロボットの手が伸びて人形を受け取り、そのまま引っ込んでいった。
「さぁて、と」
キュリオスが立ち上がった。
ぱんぱんと埃を払う。
「真人、別件の賭けのツケだが……こっちも、ちゃんと払っておいたぜ」
「ツケ?」
「最初のはプールの件だな。あれ、俺が負けたって言ったろ?
あんときは賭けに乗る気はなかったが、さっきの二回戦でも負けたし、実験の形態として悪くない気がしてな。
乗ってみることにしたってわけさ」
キュリオスが派手に肩をすくめた。
真人は困惑しているようだ。
「で、勝者に何を払えばいいか悩んだが、元のセカイ――二個上の、あそこな。
あれを元に戻しておいたよ。
真人への報酬としては十分だろう」
「壊したのは、お前だ」
そう答えた真人は平静を装うが、今の情報は重要だった。
あのセカイが元に戻っている。
そして、それが二個上にある――有益な情報だった。
「そりゃそうだが、壊したのと直したのは全く別の件だな。
さっきも言ったが条件を出して勝負するって形式が気に入ったんだ。
実験の新しい形になるかも知れない。
真人も見返りがあるとやる気が出るだろうしな」
「ふざけ……っ!」
「上のセカイだがね」
キュリオスの言葉に、真人が自分の言葉を飲み込んだ。
真人がこちらの言葉を待つのを見て、キュリオスは満足そうに笑う。
「あのセカイはWRSの不調で修理を開始した。
直るまで実験は中止だ。
――意味、分かるな?」
真人が形の良い唇をぎゅっと噛んだ。
キュリオスの言いたいことが理解できたからだ。
それを見たキュリオスがにやっと笑う。
「どうだい、賭けないか。
俺が真人に勝てば修理完了を宣言する。実験は再開だ。
だが、もし真人が勝てば……」
「修理中のまま……」
「賭ける気があるなら、そうなる。
乗るかい? 反るかい?
乗るなら真人も何か賭けてくれ、賭け金が割に合うと思えば俺も受けるぜ」
「なら……」
真人が息を大きく吸い込む。出せる物は一つしかない。
「僕自身を、賭ける」
「いいね!
そうやって自分から決定してくれるのがいいんだ。
勝利条件はどうする?
どうすれば、どっちが勝つか」
「捕まえられたら、そちらの勝ち。
逃げ切れたら――僕の勝ちだ」
「いいとも!
付帯条件として、条件が変わらない限りこっちは補充や補給を行わないことを約束する。
途中でリタイアした奴がいた場合は、次のステージまで出さない。
後は逃げ切るの定義だが……真人がセカイ間を移動した時点でいいかい?
そこで仕切り直しだ。
――ああ、条件追加。俺たちを殺してもいいぜ?
なに、身体の代わりは幾らでもある」
「ひとつ、いい?」
真人がキュリオスを睨みつけた。
キュリオスは口を閉じて真人の言葉を待つ。
「僕たちは、このセカイにいる人たちの助けになるために呼ばれた」
真人が使ったのは、僕たちという言葉だ。
口調に責めるニュアンスはない。
それは弾劾ではなく、真人の宣言だった。
自分たちが何者であるか、どう生きていくか――
綾香たちが真人をジッと見つめる。
「ここの連中の勝手でね?」
キュリオスが、茶化すようにリアクションする。
真人が顔を伏せた。
「彼らは祈るしかなかった。
何かに縋り付くしかなかったんだ……!」
「念のために言っておくが、カナンリンクは地球種の生存を意図的に阻害したことはないぜ?
想定範囲内の奴は別だが。
ただ……真人が考える『助けた状態』に移行させたいなら、協力してもいい。
例えば――」
「助けた状態を再現するだけなら、断る」
相手の言葉を切り裂くように遮った真人が、ゆっくりと顔を上げた。
キュリオスは組んでいた腕をほどく、両腕をだらんと下げる。
二人の目がぶつかり合う。
「分かっているとは思うが、さ?」
キュリオスが唇の端を歪めた。多分笑ったのだろう。
真人は微動だにしない。
「オレたち守護システムには、この実験を中止する権限がないんだわ。
だからデュミナスの決定を聞いて壊れたと判断したんだよ。
シヴィライズド実験を止めろと言うだけ無駄だし、例えオレを倒しても無意味だ。
そのうち次が来る」
キュリオスの両手両足に光るラインが縦横に伸び、フィールド衝角が起動する。
対する真人に動きは無い。パワーキャスターを展開する気はないようだ。
ただ、その瞳だけが凄味のある光を称える。
「お前の主張は、デュミナスの決定と矛盾してる」
「言ったろう、あいつは故障の可能性が高い」
キュリオスが一歩踏み出す。
真人は変わらず不動。
「故障しているのがお前たちの側でないと、何故言える?」
「ふむ?」
キュリオスが軽く首をかしげる。
問答を続ける意味があるか、ないか。それを探っているようだ。
最後に、にっこりと笑った。
――次の瞬間、超高速で突進した真人とキュリオスが空中で激突した。
連撃を叩き込みながら真人が高速通信で叫ぶ。
「お前たちは何をどうしたいんだ!」
キュリオスはその叫びに答える代わり、手足のフィールド衝角を駆使して連撃を受けきる。
反撃とばかり、真人へ鋭い打撃を繰り出した。
一撃が真人の髪を掠めていく――が、真人は構わずに前へ避ける。そのまま踏み込むと一気にキュリオスの懐へ飛び込んだ。
加速、反加速を駆使して衝突の寸前で停止し、胴に反撃の一撃を叩き込む。
だがパワーキャスターを抜けるほどは強くなかった。
あきらかに真人は消耗している――
「謎を解きたいのさ!
そのために仮説を構築し、実験を行い、結果を検証して、また仮説を立ててを繰り返してる。
そんだけさ」
「謎って何だよ!」
真人の叫びを遮り、再びキュリオスの一閃が飛ぶ。
足のフィールド衝角による回し蹴りが放たれるが、露骨なフェイントだ。
本命の左が真人の――残像を打ち抜く。
「謎は、謎さ!
実はな、カナンリンクを作った文明は、もう随分前に発展が止まったままなんだわ。
世代船の時代にあった拡大の熱気は遠い過去の物になっちまった。
まだまだ出来ないことは幾らでもあるのにな!」
キュリオスは真人の移動地点を予測し、そこへ先行の一撃を放つ。
その一閃を加速と反加速を駆使して垂直に体を沈めてかわした真人が、キュリオスの足を超音速でなぎ払う。
「だから閉塞を打破するナニカを欲しているんだよ。
前へ進むためにな!」
だが、飛べるキュリオスに足払いは意味がない。
空中でコマのように身体を回転させてバランスを取り戻と、そのまま真人の頭めがけてフィールド衝角の蹴りを放った。
加速能力自体は、キュリオスと真人でほぼ拮抗している。
だが真人には反加速能力がある。
真人は慣性を無視した回避で蹴りを間一髪で避けた。
かわされたキュリオスの足が劇場の床に小さなクレーターを穿つ。
真人はキュリオスが体勢を立て直す前に壁や天井を駆け上がり、一気に二階の観客席へ飛び上がった。
フィールド推進のフルブーストで逆制御をかけたキュリオスも、真人を追って弾丸のように飛び出す。
追いついたキュリオスが真人に組み付いた。
その手を真人が払う。
「進みたいなら自分で方向決めて勝手に歩けばいい!
自分たちの道だ」
真人が踏み込み、右掌をキュリオスの胸に叩き込む。
とっさに身構えたキュリオスの身体に真人が反加速を当てる。
空間に固定され、案山子になったキュリオスの顎めがけて真人の鋭いハイキックが襲う。
体格差がありすぎて本来なら届かない間合いだが、真人は加速・反加速を駆使して身体全体を跳ね上げるように蹴りあげた。
今の真人の体重は子供一人分。だが脚の先端は超音速に達している。その威力は絶大。
超音速の蹴りが下からキュリオスの顎へ叩き込まれた。
真人は大開脚したまま、勢いを殺さずオーバーヘッドキックのような姿勢で縦回転する。
顎を蹴り上げられたキュリオスも、後ろへ吹き飛ばされた。
着地した真人が即座に反加速を当てて即座に体勢を入れ替える。
「――っつ、まあ……自分らでも努力はしてんじゃねーのかね?
そっちは担当じゃねーから知らねーが!」
真人の渾身の蹴りを顎に受けたキュリオスが両手両足のフィールド推進を全開にして無理やり体勢を立て直すと、ブーストして前に踏み込んだ。
地面を踏み抜かないように半ば滑空したキュリオスが、真人めがけて体当たりを噛ます。
超音速で飛翔する身体は飛び道具と変わらない。フィールド衝角の一撃が真人の真芯へ叩き込まれる。
――だが真人を粉砕する筈の拳は、その身体に張り付いたままだ。
真人は打撃を手で受け、そのままキュリオスと一緒の方向へ加速することで威力を無効にしていた。
そのまま二人はもつれ合うように劇場の二階ロビーに飛び出し、さらに窓をブチ割って外へ飛び出した。
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