第20話 ゲイトウェイ!

 ――ゆっくりとデュミナスが顔を上げた。

 同時に真人も正気に戻る。


「あ……ひゃぅ」


 制御が正常に戻ったと同時に、真人がズサッと身を引いた。

 そのままポットの一番端まで身を下げる。


「わっ、たっ……ごっ、ごめんなさい!」


「痛くはないですか、真人?」


 慌てふためく真人に対し、デュミナスはずっと冷静だった。

 何か高度な計算を行っているらしく、額に上げたままのバイザーに走査線が目まぐるしく走っている。


「ふむ、これは難しい」


「えーと……

 な、なんのことでしょうか……」


 真人が慎重に言葉を選ぶ。

 まるで地雷源を手探りで進む兵士のような顔だ。

 対するデュミナスは――これまで見たこともないような、さわやかな笑顔で顔を上げた。


「これはお互いファーストキスになるかと思いますが、こんな時はどういう態度を取るべきなのか……」


「わーっ! わーっ!」


「そもそも私は女性でよろしいのでしょうか。

 仮に女性の態度をるとして――ならば……ふむ?」


「ちょっと待ってデュミナス、その……」


「真人くんの、えっち」


 その瞬間、真人の思考が停止した。

 同時にポットの端にあったリンクコムから爆笑の渦が沸き起こる。

 その大量の笑い声には全て聞き覚えがあった。

 どうやらコントロールセンターからの音声らしい。

 真人がキョロキョロと周囲を見回す。


「のっ、覗いてたのっ?」


『すまない、元からそこはモニター対象なので……』


 スピーカーからフィッシャーの声が響いた。

 珍しく声に柔らかさを感じるのは、後ろに流れる盛大な爆笑をBGMにしているせいかも知れない。

 一番大笑いしているのはシェリオのようだ。


「そ、そんなに笑わなくても……」


『えー……おほん。マーキス・スティールです。

 世紀の偉業を前にアイビストライフのモニター回線をお借りし、聖真人さんへのインタビューを行っております。

 聖さん、地球外知性体と人類史上、初めての……えー、をカマしたご感想を頂けますでしょうか?』


「マーキスさんまで……というか、みんないつの間に……」


『見学にね。

 ああ、インタビューは本当だよ。

 俺はこれが本職なんだ。

 アイビストライフが地球へ帰還できたら、余すところなく報道するつもりだ』


 スティールがリンクコムの向こうで胸を張って答えた。


『そうだ、デュミナスも質問いいかな。

 地球人の唇はどうだった?』


「悪い感じはしません。

 真人から伝わってきた反応や、内面の心理パラメーターの変移も……」


「わーっ、わーっ! ぼっ、僕のプライバシー!」


 再度笑いが漏れる。

 一息ついたところで、フィッシャーがリンクコムの向こうでコホンと咳払いした。


『盛り上がっているところ申し訳ない。

 カウントダウンは続行している、そろそろ次フェーズに入る準備をしたいんだが……』


 その言葉でモニタールームの笑いもどうにか収まってきたようだ。

 もっともクスクスという笑いはまだ残ってるようだが。


「はい、こちらは並列で作業を進めておりましたので、既に完了しております。

 いつでも」


「こっちも、いつでも大丈夫です」


「こちらも準備は完了しています。

 ――真人、計画に支障のない範囲でもう少々お付き合いいただけますか?

 真人のパワーキャスターの仕様を少々見直させていただければ。

 接合端子の生成などを行っておけば、役に立ちます」


「いいけど……お手柔らかにね、デュナミス」


『では――最終フェーズに移行だ!』


 その宣言と同時に機関が大きく脈動する。

 真人のパワーキャスターが明滅すると同時に、どこかで莫大なエネルギーが生み出され、それがリングへと流れ込む気配がする。

 リング内に巨大な力場が形成されてゆくのが、肉眼でもハッキリ分かった。


「念のため、真人側からの制御を切ります。

 しばらくの間は動けませんが、じっとしていてくださいね」


「うん……最後までよろしくね、デュミナス」


 デュミナスが真人をシートに固定し終わるころ、フィッシャーから連絡が入った。


『デュミナス、そちらの状況はいいかね?』


「ええ、問題ありません」


 デュミナスが真人の手をそっと握りながら、頷く。

『――うん、ならばカウントダウン通りに進めよう。行くぞ!』


          *


 地球――

 真人が住む街の駅ビルにある従業員用通路の奥では、ちょっとした異変が起こっていた。

 既に営業時間も終わり、誰もいなくなった通路は寒々としている。

 そこに、微かにだが空間自体が不自然な光を放ち始めていた。周辺には鼻をツンと突くオゾン臭が立ち込めはじめている。

 振動も始まり、固定されていない物がガタガタと揺れ始めた。

 奥にある自販機コーナー脇のベンチで寝ていた少年の身体も例外ではない。スポーツバックにもたれかかった身体が軽く揺すられる。

 たったひとり残されていた少年は――真人は、それでも眠っていた。


          *


 カナンリンクにアイビストイライフが設けたコントロールセンターで、大勢の人間が忙しく飛び回る。

 大伽藍からは巨大なエネルギーの存在を感じさせる地鳴りのような音が鳴り響きはじめ、巨大なリングは激しく明滅する。リング内部では莫大なエネルギー流が回転しているのだろう。

 それらがリングの中央にあるポットの周辺に注ぎ込まれ、不可視の力場が形成されていく――


「トーラス=ウィグラー出力上昇。

 重力ベッドによるドリフト場も展開完了です」


「反応炉の出力は安定しています」


「エネルギーロス、僅かですが上昇中です。

 地球、聖さん周辺では発光と振動、それに若干の熱、電気が生成されつつあります。

 被転送者への影響は……ありません!」


「よし、何があっても被転送者にダメージを与えるなよ。

 力場内の気圧や温度を維持、線量にも気を配れ!」


 コントロールセンターから離れたポッド内にいた真人が小さくつぶやく。


「うう、緊張する……」


 大空間の中では、莫大なエネルギーの奔流がハッキリと分かるほどになっている。

 施設から生まれた全エネルギーは、自分の身体が入るというポッドが設置されたシリンダーへと集まっていく。

 真人の緊張に気付いたデュミナスは静かに頷くと、真人の手をぎゅっと握った。


『9、8……』


 カウントダウンの声が響く。


『……3、2、1、0、ゲイトウェイ!』


          *


 駅ビルの従業員通路では、光の粒子が竜巻のように回転を始めていた。

 小さな雷のようなスパークが頻繁に奔る。

 振動も既に、はっきりと人体に感じられるほどになっている。

 警備員たちが気づいて飛んできたが、彼らではただ遠巻きに見つめることしかできない。

 音は段階を踏むように大きくなっていき……やがて一瞬、静寂が訪れる。

 次の瞬間、大きな破裂音が響いた。

 これが野外なら雷かと思われただろう。

 風が奥のコーナーの辺りに猛烈な勢いで吹き込んでいく。


 ――しばらくして風と音が収まった。


 数名の警備員が恐る恐る近づいてきて、自販機コーナーの奥をのぞき込んだ。

 蛍光灯が残らず割れており、辺りは暗い。

 薄暗い中にあったのは大きく傷ついた自販機、ベンチ、凹んだごみ箱。散乱する何かのゴミ。

 そして……壁などに残る、ほんの僅かな血痕。

 そこにあったのは、それだけだった。

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