第19話 転送実験
真人とフィッシャー、デュミナス、そしてシェリオ、ハーミットを乗せたターボリフトは、音もなく上へ上へと昇ってゆく。
窓の外はほぼ真っ暗だ。
方向は逆になるが、真人は不思議の国のアリスを思い出した。
「ふふ、どこかにジャムの瓶はあるかな」
アリスのワンシーンを思い出したが真人がクスクスと笑って暗闇をのぞき込む仕草をすると、気づいたシェリオが振り返った。
「ん……何が欲しいって?
必要なら用意するよ」
「ああ、ごめん。不思議の国のアリスのシーンだよ。
最初に地下に落ちてくアリスが途中でジャムの瓶を拾うシーンあるよね?
なんとなく、それ思い出してさ」
「ああ、不思議の国のアリスか。
あはははは、ならアリスの服とアクセ一式を用意しようか?」
「それは……流石に遠慮しておく」
「えー、青いエプロンドレスも似合いそうなのに……っと、目的の階層に入った。
そろそろだよ」
しばらくして、リフトが停止する。
降りた先は全てが人工物で覆われたドーム状のエリアだった。
果てしないほどの巨大な人工空間に、巨大な機械がみっしりと詰まっている。
底には湖みたいな純水のプールが広がり、底にある大プラントを覆い隠している。壁には巨大なチューブリングが縦横無尽に交差していた。
天井の中央付近が細く高くなっており、一本の巨大な柱というかタワーが貫いている。
そのタワー周辺にも、無数のタワーがあった。
真人たちがリフトから降りた先も、そんなタワーの天辺だった。タワーの中では小型のものらしいが、それでも空母の甲板かと思うような大きさがある。
真人の機械の肌がビリビリと震えた。
空間全体に、よほど強大なエネルギーが流れているのだろう。
「真人、ここ全体が転送装置だよ。
ここのは初期型で機能も完全じゃないから、呼べるのはギリギリ一名。
真人の本体は中央にある、あのドリフター・シリンダー……天井まで通じている一番高いタワーの基底部にあるポットに呼ばれることになる」
シェリオが中央のタワーを指さす。
巨大なタワーの水面近くの部分だけが、捩ったように細くなっている。
そこにポッド部分があるのだろう。
よく見れば、ここにある機械は全てが中央にある巨大タワーに集約されているようだ。
「……」
真人が押し黙る。
やっと実感が湧いてきた。自分はもうすぐ、ここへ来ることになる。
デュミナスが真人に見えるように緑のスクリーンを作り出した。真人本体の情報が踊っている。
「本体は未だ睡眠状態にあります。
態勢が悪いせいで右手が痺れているようですが転送に問題はありません。
制御鍵はパワーキャスターとして本体とサロゲート体の両方に書き込まれます。
書き込んでる間は動けませんので、ご辛抱を願います」
「手順は了解したよ、デュミナス。
それで、その間こっちの僕はどうしたらいいの?」
「隣のタワーの屋上にスターゲイトの端末を作ったから、真人はそこで待機お願い。
いまサーフクラフトを取ってくるね」
「シェリオ、大丈夫」
真人はふうと溜息をつくと改めて皆を見渡した。
ふっと気を抜くと、ぺこんとお辞儀する。
「準備ができるまで、あそこで待ってます。
僕は見てるだけしかできませんけど、どうせ見てるだけならハッピーエンドが見たいです。
成功をお祈りしています」
「ああ、任せてくれ」
皆を代表したフィッシャーの答えに真人は満足そうに頷くと、そのまま軽く床を蹴って後ろ向きにプラットフォームから飛び降りた。
驚くフィッシャーたちを尻目に、真人は途中に張り出したアンテナを軽く蹴って再跳躍する。
そのまま隣のタワーの壁面まで百メートルを越える大ジャンプした。
最後にポットの上にふわりと着地して行儀良く座り、中で皆に軽く手を振る。
「ありゃ、道案内は要らなかったか」
「加速と反加速をうまく使われています。
あの身体の使い方、すっかり憶えられたようですね」
シェリオとハーミットが顔を見合わせてクスクスと笑いあう。
フィッシャーも鉄面皮を少し崩して苦笑いする。
デュミナスは真人を見て何か考えていたようだったが、やがて軽く頷いた。
「フィッシャー、わたしは実験終了まで真人の側におります。
皆さんの支援も真人の傍らから行いますが、よろしいですか?」
「構わんよ。真人くんのフォローを頼む」
「心得ました。
地球人、成功を祈っておりますよ」
デュナミスがそう微笑むと同時に、その頭上に浮かぶリング状の装飾が金色の光を放った。
そのまま音も無く空中に浮かび、デュミナスもゆっくりと真人の後を追う。
「――ふむ?」
その様子を興味深そうに眺めていたフィッシャーが小さく頷いた。
フィッシャーが珍しく口の端を吊り上げるのを見て、シェリオが首をかしげる。
「どうかいたしましたか、司令?」
「ああ、いま彼女は微笑んでたように思えてな。
初めてかも知れない」
「笑うこと自体は前からあったと思いますが……」
ハーミットが首をかしげた。
その問いにフィッシャーは力強く頷く。
「うん、そうなんだが……
何て言うのか、ヒトに在らざる彼女も、我々と同じく成功を……ああ、そうだ。
彼女も我々の成功を楽しみにしていてくれているのかもしれないな」
フィッシャーが小さく笑った。
その目線の先には、真人のそばに移動したデュミナスがいる。
それを見ていたシェリオとハーミットが首をかしげた。
「デュミナス、真人に特に優しい気がしますよね」
「真人が使ってるサロゲート体は元々デュミナスの予備の身体ですから、それが関係あるのかも?」
「どちらにせよ好ましい変化だ。
我々も行くぞ、コントロールセンターに移動だ」
*
デュナミスは真人をポット内のシートにそっと寝かせた。
不安そうにする真人の頬をデュナミスが優しく撫でる。
「心配ですか、真人?」
「大丈夫、皆に任せる」
デュミナスのバイザーの下には機械の瞳しかないが、真人には彼女が優しくほほ笑みかけてくれたように感じた。
「大丈夫です、ずっと側にいますよ」
「うん、その……よろしくね」
デュナミスはもう一度真人を優しく撫でると、自分と有線でつないで行く。接続と同時に、二人の肌に光の文様が浮かび上がった。
文様――ソートナインのブースト時に出るパワーキャスターが色違いのまま徐々にパターンを揃えてゆく。
「――はい、これで私たち間の同調完了です。真人の制御を支援します。
よろしく、真人」
「変な気分だな……とにかく、よろしくお願いするね、デュミナス」
デュナミスが笑いながら軽く左手を握ると、同時に真人の左手が同じように動いた。
真人がちょっと不安そうに笑いながら右手を上げると、今度はデュミナスの右手が動いた。
「あれれ、こっちからもデュミナスを動かせるの? ごめん」
真人が慌てて手を振るとデュミナスも同じ動きをする。
しばらくそんなダンスを続けていたが、それがおかしかったのだろうか、堪えきれずにデュナミスがクスクスと笑った。
――いや、顔の造形は変わってない。
顔はそのままだ。
ただ、真人にははっきりとデュミナスが笑って見えた。
「真人のサロゲート体は元々私の予備を流用しております。
そのせいでしょうか、真人と私の境界が曖昧になっているようですね。
真人の個を強く感じます」
そういってデュミナスがバイザーを上げた。
同時に真人の中に誰かがいるような、不思議な感覚が起こる。
不快ではなかったが不思議な感覚だった。
「制御を変わります」
「よろしく、デュナミス」
真人からコントロールを受け取ると、デュミナスが真人側だけを動かす。
しばらくそのまま真人を見下ろしていたデュミナスだったが、不意に真人の頬を撫でた。そこから出る反応を拾っているらしく、バイザーに真人の情報が踊った。
「急にどうしたの?」
「この感覚は興味深い。
次は本当にこのタイプにしてみます」
「へえ、身体を変えられるんだ?
便利でいいね……いいのかな」
「利便はよく分かりません。
――私は自然発生した知性に興味があります。
その理解のためにも、私という個体のアイデンティティーをもっと地球人側にも広げてもいいかと思いました。
参考のため、真人のマトリクスを貰ってもよろしいですか?
シンプレックスとなるかと思いますが、真人となら可能でしょう」
「したいことがあるなら、してもいいけど……
でも、この身体って元々デュミナスの予備なんだよね」
「身体はそうですが、その中の……」
言いかけて、言葉が止まった。
デュミナスがちょっと困ったような顔をする。
「ごめんなさい、うまく言葉に直せません。
非常に曖昧な表現になりますが、真人という存在を形成する余剰次元側の境界……魂?
とにかく、そんな物があるのですが、それは私にはありません。
ずっと疑似的にでも形成してみたいと思っておりました」
「魂、ねえ……」
真人が首をかしげた。
そんな物という言葉を使う以上は本当の意味での魂ではないのだろうし、記憶だと言わなかった以上は記憶でもないだろう。
まだ地球人には認識されてない概念なのかも知れない。
「――まあ、いいよ。
僕のデータが何かの足しにでもなればいいね」
「感謝します、真人」
デュミナスが答えると同時に、色違いだったパワーキャスターの色までもが同期してゆく。
そのままデュミナスが沈黙した――
実際は短い時間だったかもしれないが、真人には妙に長く感じられた。デュミナスにしては処理に時間がかかっている。
彼女はしばらく何かを考え込むようにした後、不意に顔を上げた。
「終わった? 随分長かったね……」
外見上は特に何も変わってないように見えたが、真人には現れた変化がはっきりと分かった。
何故ならば、彼女の顔に本当の表情が生まれていたからだ。
見開きっぱなしだった瞳は細められ、口の端が猫のように柔らかく吊り上がる。
そのまま牙と舌まで覗かせそうだ。
真人がちょっと引き気味になる。
「――あ、表情つくれたんだね。
でも、ねえ……その、悪戯を思いついたような顔はなに……?」
「知性統合の結果を最適化し、適合――
分かりますか、真人。
ええと、ちょっとテストを……」
そういうと、デュミナスはクスクスと笑いながら自分の頬をちょんと突く。
同時に真人の頬にも何かに突つかれたような感覚が現れる。
「うひゃっ」
「んっ……すいません、人の肌感覚と、そこから励起される情緒反応を試しています。
こういう反応も面白いですね」
デュミナスが自分の体をペタペタと触り始める。それと同時に真人にも身体を自分で触る感覚を受けた。
くすぐったかったが、他人に触られているという感じではない。
十七年生きてきて初めての感覚だった。
「でも、あれだけやってただ感覚を同期しただけなの……か、にゃっ」
「はぅ」
真人とデュミナスが同時に変な声を上げた。
デュミナスが自分の胸を変な風に触ったせいで真人が過剰反応し、それがフィードバックしたらしい。
両者の背筋が一瞬ピン!と伸びる。
慌てて真人が胸を押さえて上体を起こそうとした。
それが意外に強い意志だったらしく、デュミナスもその意志に引っ張られてしまう。
結果的に真人は起きようとし、デュミナスは逆に覆いかぶさるような動きになった。
そしてそのまま進んだ結果……二人とも同じように両手を胸で組んで顔をぶつけ合う羽目になった。
寸前で発動した真人の反加速もあって衝突はソフトだったが、それでも二人とも体が重なったまま動きが止まる。
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