第18話 キュリオス

「えい!」


 掛け声とともに、百キロはありそうな瓦礫が宙に浮く。

 わずかなタイムラグの後に砂浜にぶち当たり、何度か転がって止まった。

 塊をぶん投げた綾香が自分の手を見るが、キズ一つ付いていない。


「凄い力だよね、これ……」


 綾香が無造作に手を伸ばすと、ビーチサイドホテルの広い駐車場入口を塞いでいる最後の瓦礫に手を掛ける。

 こちらもかなり大きいが、瓦礫は軽々と持ち上げられた。


「私だって、この程度はできますよ、っと!」


 そのまま瓦礫を放り投げると、駐車場の入り口が完全に空いた。

 これで車の出し入れに障害はなくなった。

 綾香は満足げに笑ってみたが、やがてつまらなそうに口元を歪ませた。

 ホテルの駐車場にある何台もの立派な車たちは、所有者もないままに放置されている。

 綾香は軽くため息を付いた。

 最初にこのセカイに呼ばれた時は、凄いドキドキしたことを覚えている。

 だが平和な日常の中で熱気はとうに萎んでいた。


「異世界に呼ばれました、凄い力を与えられました、そして普通に暮らしてます……か」


 綾香が軽くため息を付く。

 自分は非日常を望んでいたはずだ。退屈で窮屈な日常からの開放を。

 だけど……


「さっき、変なコト考えちゃったな」


 口をとがらす。

 さっき自分の本体が呼ばれる可能性が分かった時に、真人がここへ直接来ると分かった時に、自分は何を考えたか?


「ここには来たくない、自分はそんなことはしたくない……か。

 はあ……」


 声に出してみると、ますます惨めな気分になる。

 お腹の奥底から空気を全て外に絞り出すような、深い溜息を付いた。

 そのままトボトボと、元海岸だったエリアを歩き始めた。

 胸の奥から自己嫌悪がジワジワと沸き上がってくる。

 さっき自分が感じたことは、背信だと思った。

 皆と……そして非日常な状況を望んでいたはずの、自分への背信行為。

 日常から開放されるためなら悲劇の一つや二つ、望むところだと思っていた筈なのに。


「――せめて、この身体に何か武器でもあればなぁ」


 そんな物が何かの役に立つとも思えない。

 ただ、非日常の象徴みたいなものにはなってくれるかも知れない……


「駄目だ、頭冷やそ……ん?」


 視界の端に何か動くものが写ったような気がした。

 そちらに視線を向けると、護岸された足場の下にある灰色に濁った巨大プール――この場合は、元海というべきか――の表面がボコっと弾けた。


「なっ……に?」


 綾香が警戒するより早く、水面から黒い塊が伸びて足を搦め捕られた。

 塊は生き物のように伸び上がると、綾香の身体の上を這いあがる。とっさに払おうとした綾香の右腕にも張り付いた。

 腕を締め付ける感覚は、まるで蛇のようだ。


『チッ……チッチ……チー』


 黒い塊から甲高いノイズのような雑音が響く。

 その不快な音色に綾香の生理的嫌悪感が一気に膨れ上がった。


「宇宙モンスターか、エイリアン?」


 間抜けな単語だが、ここは宇宙で、異星人の作った施設の中なのだ。

 いても不思議ではない……かも知れない。

 綾香が辛うじてパニックを起こさなかったのは、サロゲート体の膂力を頼れるという安心感があったからだ。


「このっ!」


 綾香は黒い塊を力任せに引きはがそうとする。

 だが綾香の手が触れた瞬間、その黒い塊の表面に光が走った。

 光は黒い塊の表面に幾何学的な文様を描く。


「これ、真人くんの……」


 それが真人の肌に浮かんでいたものと同種の紋様だと理解すると同時に、鋭い頭痛と目眩が綾香を襲った。

 視界にブロックノイズが入り、耳には短く、かん高い雑音が入る。


『――解析完了、システム同調』


「だっ、誰!?」


 雑音の中、低いが意外にしっかりした声が響く。

 突然の声に驚いた綾香が目眩を押さえつつ周囲を見渡すが、誰もいない。

 いるとすれば……

 綾香が驚いて腕を見る。


『荒い対応を謝罪する。私は君の腕に張り付いているモノだ。

 私の言葉が聞こえているかね?』


「あの……話せるの?」


『声を出せるかという意味では、否。

 この端末には発声器官がないため、今は君に直接触れてやり取りを行っている。

 私は別セカイの守護システムの一部だ。

 全体での固体名は――キュリオスでいい。ここの守護システムであるデュミナスの命名規則に則る。

 私は別エリアで事故に巻き込まれ、今まで停止中だった。

 何故ここにいるかは分からないが――破片と共に飛び込んだと予想する。

 君はデュミナスのサブシステムか?』


 見た目はともかく、名乗る程度の礼儀や常識はあるらしい。

 綾香は内心の嫌悪感を我慢して、とりあえず自分も名乗り返すことにした。


「サブシステム……って何でしょうか。

 名前は見鳥綾香です」


『デュミナスに管理された下位のシステムという程度の意味だ。

 サブシステム・見鳥、デュミナスとの接触前に情報が欲しい。

 知性統合を要請――

 もし不可能であるなら、可能な範囲で現状の説明をお願いする』


 綾香は背筋がスーッと冷たくなるのを感じた。

 デュミナスと同格ということは、間違いなくアイビストライフの人たちが障害と認識しているものだ。

 綾香はそっと身構えた。

 チャンスを見つけて、助けを呼ばなくてはならない。


「その前に一つ効きたいけど、さっきの爆発はあなたのせい?」


『否。事故だ。

 デュミナス守護下のセカイに影響があれば、支援の用意がある』


「ええと……私はデュミナスさんの連絡先は知らないの。

 自分で勝手に動いてるだけで、何かあれば向こうからやってくるから……」


『――ふむ。了解した。

 君は実験体の模擬試験用サブシステムと理解する。

 これはまた骨董品級のシステムを動かしているな。

 推測されるデュミナスの実験目的を阻害せず、かつ私の目的を達成するための最良の手段を実行する』


「えっ、ちょっと……」


 制止するより早く、綾香の右手にからまったままの黒い塊――キュリオスと名乗ったソレの表面に、再び複雑な光の文様が走った。


「――きゃっ!」


 綾香が叫んだ瞬間、表情が消えた。

 そのままゆっくりと地面に崩れ落ちる。

 脱力したというより、まるで電源を切られた機械が待機状態に戻ったかのようだ。

 綾香が動かなくなると、キュリオスはその身体をいじり始めた。服すら脱がされる。

 どうやらコネクターの類いを探しているらしい。

 やがてキュリオスがパッと触手の端を持ち上げた。お手上げのポーズらしい。


『ふむ、強固な保護だ。

 自律型とはいえ、ここまで干渉を拒む意味が分からない。

 ――ふむ? ならば仕方がない、次善の手だ』


 キュリオスの身体の中央にある紋様の色が変わった。

 同時に綾香の身体のどこかでカチッと音がした。空気が抜ける音が響くとともに、ゆっくりと綾香の身体が開く。

 それはサロゲート体のメンテナンス用アクセスパネルの類いなのだろうか。

 開くと同時に警告音が鳴り響く。

 隙間からは、綾香の機械部分のコアが剥き出しになっているようだ。キュリオスは身体の一部をそこに滑り込ませた。


『対象サブシステムのコア機能へ干渉を行う。

 デュミナスの設定を一部破壊することになるが、こちらの目的を優先。

 だが修復は可能と判断する……』

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