第9話 On the Beach

「とおちゃくー」


 シーサイドホテルの駐車場へ車を停めたシェリオが、勢いよく飛び降りる。

 ちょうどセカイは朝を迎えようとしていた。

 高層ホテル周辺には他に建物はなく、砂浜と朝焼けを独占している。


「く……車が分解するかと思った」


 真人も青い顔を朝焼けに染めたまま、しがみついていたシートから指を離した。

 到着したことより無事であったことを喜んでいる。

 ホテルは別セカイへの入り口があった場所からかなり離れている。シェリオの車はチャイムをかき鳴らしながら、道のりを物凄い早さで飛ばしてきていた。

 ちなみにチャイムは百キロを越えると鳴るらしい。

 古い日本車のガラパゴス仕様ということだった。


「朝焼けが綺麗だったよね。

 このセカイは走りやすいから、いつもこのくらい出しちゃうんだ」


 シェリオがあはははと笑いながらホテルのロビーに入っていく。

 立派なロビーだったが、人はチラホラとしかいない。

 フロントは空だ。

 ロビーからは直接砂浜へ出られるらしく、先の方で綺麗な水平線が覗ていた。

 どういう技術なのか、水平線は地球と同じように丸みを帯びている。


「司令はビーチにいるってさ。

 まだ少し時間があるから、他のサロゲートさんたちを紹介するね。

 真人はずっとラボだったからほぼ全員初めてだよね?」


 シェリオの案内でロビーを抜け、ビーチへ出る。

 建物の裏手にはオープンエアのレストランがあるらしく、プールの向こうにパラソルとセットになってるテーブル席が幾つも並んでいた。

 何人かの歓声も聞こえてくる。


「スタッフが誰もいないことを除けば、普通のホテルだね」


「人はしょうがないよ、別に営業してるワケじゃないから。

 こういう場所に住みたいと思う人が自宅代わりにしてるくらいかな。

 ハーミットもここに住んでるよ。

 よくそこのプールで泳いでる」


「ビーチサイドのホテル住まいか、いいなぁ」


「山も良いけど海も良いよね。

 もし地球に帰れたら、一緒に海に行ってくれると嬉しいな」


「うん、地球で待ってる」


 裏手に廻ると、白い砂浜が視界一杯に広がる。

 南洋植物の林が涼しげに揺れ、波打ち際には昇ったばかりの朝日に照らされた二人の女性が水遊びに興じている――と、思った瞬間、真人の目が自動でズームをかける。

 小学生ぐらいの女の子が、ハーミットと遊んでいた。

 二人とも水着だと真人が認識するのとほぼ同時に、二人の水着のサイズなどの細かいデータが頭に思い浮かぶ。

 ハーミットが鮮やかな青いビキニで、もう一人の娘は子供物らしいフレアの付いた赤いワンピースだ。更にはスリーサイズを始めとする詳細データと共に、各部のズームイメージが……

 真人はあわてて首を振り、テンポラリのセンシング情報を消去した。

 事情を察して苦笑いするシェリオが奥を指さす。


「真人、皆はあそこのパラソルの下のテーブルにいるよ」


 見ると、何人かの集団がテーブルを囲んで歓談してるいるようだ。

 すぐそばにあるオープンキッチンでは、頭にタオルを巻き、エプロン姿でフライパンを奮う偉丈夫もいる。

 その顔は真人も知っていた。

 偉丈夫――フィッシャーもこちらに気づくと、破顔して手招きした。

 真人とシェリオが小走りにエプロン姿のフィッシャーの元に駆け寄る。

 シェリオが礼儀正しく敬礼した。


「司令、ただいま戻りました」


「お久しぶりです、フィッシャーさん。

 料理、美味しそうですね」


「やあ真人くん、我らのささやかな拠点へようこそ!

 君の決断をうれしく思う。

 我らも君に答えるべく、全力を尽くそう」


 フィッシャーは頭に被っていたタオルを取ると、真人に恭しく頭を下げた。

 慌てて真人がフィッシャーに頭を上げるように促した。


「僕は見てるだけしかできません。皆さんを信頼してます」


「ありがとう、その信頼には必ず答えてみせる。

 その前に……何かどうだね?

 料理はここへ来てから自分で覚えたんだ。

 よければ、私自身から君にふるまわせて欲しい」


「実験の前ですけど、食事は……」


「大丈夫、実験には影響しない」


 フィッシャーは楽しそうに、シーフードがたっぷり入ったフライパンを揺すってみせた。

 油がはぜる良い音とともに香ばしい匂いが広がる。

 美味しそうな匂いだった。


「司令、綾香さんからジャスミンティーの追加オーダーです。

 ああ、聖くんも軽くどうだね?

 今日はエビがお勧めだ、嫌いでなければご賞味いかがかな」


 本場の執事かと思うようなフォーマルな服をキッチリ着込んだ長身痩躯の男――アイビストライフのハガード副司令が横合いから声をかけてきた。

 いつ見ても仏頂面顔だが、今日に限っては不思議と硬い感じはしない。


「オーダー了解だ。

 それとこっちも上がったぞ、これをウォンさんに運んでくれ。

 それで、真人くんは何を?」


「あ、えと……シェリオ、時間あるんだよね?」


「大丈夫だよ」


 シェリオが端末を見ながら、くすっと笑う。

 フィッシャーもニッコリ笑った。


「じゃあ……アイスティと、何かエビを使った料理をお願いします」


「了解した、席で待っていてくれ。

 シェリオ、真人くんをテーブルへ案内してやってくれ。

 皆への紹介もまだだろう?」


「はい、司令」


 フィッシャーは手早く次の料理に取り掛かる。

 手際のよさは、まるで本職のようだ。

 その手元を見ていた真人がニッコリと笑った。


「料理、本当にお上手ですね」


「やってみると意外に面白くてね。

 帰れたら、元がどんな人間であっても釣りと料理は続けたいと思っているよ」


「きっと帰れますよ!」


「ああ、帰ってみせるさ。ここにいる皆で、だ」


「真人、こっちだよ」


 ハガードと一緒に料理の乗ったお盆を片手で持ったシェリオが、真人を呼ぶ。

 案内されたテーブルは二つあり、計五人の男女が座っていた。

 皆は南国のリゾート地で過ごすような格好をしている。年齢も背格好もバラバラだ。

 共通点は全員がサロゲート体であることか。

 遠くから見たことのある人も何人かいたが、真人にはほぼ全員が初対面だった。名前と顔が一致するのは一人、エビと野菜たっぷりの生春巻きを口一杯にほうばっている綾香くらいか。

 綾香は真人がこっちを見ていることに気づくと、真っ赤になりながら口元を手で隠す。

 彼女は白いパーカーにハーフパンツ、サンダルといういで立ちだった。

 どうやらサーフクラフトの飛行訓練から戻ってきた直後らしく、脇にはフライトジャケットやヘルメットが置いてある。


「――まふぃとくん」


 もごもごと口を動かしていた綾香が、真っ赤になりながら挨拶する。

 そのままシェリオから受け取ったお茶を一気にあおった。


「綾香さん、食事中ごめんね」


「ふう……いーって、いーって!

 それより横空いてるよ」


 綾香のテーブルには他に二人の男が座っていた。

 一瞬どうするか考えた真人だったが、シェリオは料理を持って隣りテーブルに移動してしまっていた。

 そちらではサロゲートっぽい黒人が大量のフローティングスクリーンに埋もれている。

 随分と煮詰まっているらしく、顔を上げる気配もない。

 同じテーブルにいたアジア系の女性が真人の視線に気づくと、彼を邪魔しちゃ駄目よ――という感じでウィンクしたので、真人はおとなしく綾香の隣りに座ることにした。

 同席してる二人に会釈すると腰を下ろす。

 真人が座るのを待って、対面に座る長身眼鏡の青年が声をかけてくる。


「見鳥さん、お知り合い?」


 サマーシャツにスリムなパンツという飾り気のない格好だが、そのシンプルさが様になっている。

 その隣にいたアロハの青年は、目を限界まで見開きながら真人をまじまじと見つめていた。

 どうやら視線が外せなくなったらしい。


「うん、この可愛い子は聖真人くん。

 私たちと同じサロゲートだよ。

 真人、その格好いい人が九輪さん、横の優しそうな人が森里さん。

 あと、そっちのテーブルにも二人いるよ。

 泳ぎに行ってる子も一人。

 多分後でみんな紹介して貰えると思う」


 ――から、本格的な自己紹介はそのとき……と、言おうとした綾香が何か言う前に、森里が勢いよく手を上げた。


「はっ――はじめまして、真人ちゃん!

 僕は森里真幸、日本で普通の大学生やってますっ」


 長身の方も、つられて挨拶する。


「初めまして聖ちゃん。

 俺は九輪くわみなと、同じく日本で下っ端の医者見習いをやってる」


「はじめまして森里さん、久輪さん。

 聖真人です」


 真人も軽く頭を下げてから、愛想よく笑顔を浮かべた。

 その笑顔は多少好意をオマケしてあるとはいえ、単なる愛想笑いでしかない。

 だが、真人から笑いかけられた森里の顔が急激に赤く染まった。ただでさえ緩かった顔がもっと緩くなる。

 クールそうな九輪も目尻が下がるのを必死に誤魔化そうとしている。

 当の真人は二人が何に戸惑っているか理解できないらしく、何となく不思議そうにしながらも笑顔は絶やさない。


「念のため言っておくけど、真人って男の子だよ?」


 綾香が真人の肩を軽く引き寄せながら、面白そうに森里に突っ込みを入れる。

 真人は何を言われてるのか微妙に分かってないようで、愛想笑いを浮かべたままだ。


「うそぉ?」


 これが鼻の下を延ばした顔です――と、人類史の資料に記載されても文句が言えないような顔をしていた森里が、目を剥いて驚く。

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